AI偽情報に最も自信を持つのは学者でもジャーナリストでもなかった:論文紹介
あなたは最近、SNSで流れてきた画像や動画を見て、「これ、本物かな?」と立ち止まったことはありますか?
生成AIの進化によって、精巧なフェイク画像やディープフェイク動画が日常的に私たちの目に触れるようになりました。正直なところ、私自身も「これはAIが作ったものなのか、本物の映像なのか」と迷う場面が増えています。では、偽情報対策の最前線にいる専門家たちは、この状況をどう見ているのでしょうか。実は2026年3月、ハーバード大学ケネディスクールの学術誌に、ヨーロッパの専門家92人を対象にした興味深い調査結果が発表されました。そこから浮かび上がったのは、「リスク認識ではおおむね一致しているのに、対策の責任については意見が割れている」という、少し複雑な現実でした。今回は、この研究を手がかりに、AI時代の偽情報問題について一緒に考えてみたいと思います。
そもそも「ディスインフォメーション」とは何か
記事の本題に入る前に、一つだけ言葉の整理をさせてください。日本語では「フェイクニュース」という言い方が広く使われていますが、今回紹介する研究では「ディスインフォメーション(disinformation)」という用語が使われています。これは、誤った情報が「意図的に」拡散されることを指す言葉です。単なる勘違いや誤解による「ミスインフォメーション」とは区別されていて、特に政策的な議論の場では、意図性と社会的害を重視するこの用語が好まれています。
生成AIを使ってわざわざ虚偽の情報を作り出す行為は、まさに「意図的」な行動ですから、ディスインフォメーションという枠組みで捉えるのが適切だ、と研究チームは説明しています。私もこの整理の仕方はしっくりきます。
専門家92人が参加した調査の概要
今回の研究は、アムステルダム大学とルーヴェン・カトリック大学の研究チームが実施したもので、ヨーロッパの偽情報対策に携わる3つの専門家グループにオンライン調査を行っています。内訳は、学術研究者47人、ファクトチェッカー29人、ジャーナリスト16人。いずれも欧州デジタルメディアオブザバトリー(EDMO)というEU共同設立の組織を通じて集められた人たちです。
調査では大きく3つのことを聞いています。「AI生成の偽情報に対処する自信はどのくらいあるか」「AIが生み出す偽情報のリスクをどう評価しているか」「その対策の責任は誰にあると考えるか」。それぞれの結果が、なかなか示唆に富んでいるのです。
発見① ファクトチェッカーの「自信」が際立っている
まず印象的だったのは、AI偽情報への対応力について最も高い自信を示したのが、学者でもジャーナリストでもなく、ファクトチェッカーだったという点です。
7段階評価で全体の平均が5.49と比較的高い中、ファクトチェッカーの平均は6.05。一方、学術研究者は5.27、ジャーナリストは5.10で、ファクトチェッカーとの差は統計的にも有意でした。研究者とジャーナリストの間には差がなかったというのも面白い。
これは考えてみれば当然かもしれません。ファクトチェッカーは日々の業務でAI検出ツールに触れ、真偽不明のコンテンツと格闘しています。いわば実戦経験が圧倒的に豊富なわけです。一方でジャーナリストは、偽情報の「報道」はしても、「検証」そのものを専門にしている人は限られます。だからこそ、現場感覚に基づく自信の差が出たのでしょう。
私はこの結果を見て、「自信があること」と「実際に能力が高いこと」は必ずしも同じではないけれど、少なくとも日常的に偽情報と向き合っている人たちが「やれる」と感じていることには、一定の心強さがあると感じました。
発見② リスク認識は驚くほど一致している
次に、AI偽情報がもたらすリスクについて。ここは3つのグループ間で意見がかなり揃っていました。
特に目立つのが、「AI偽情報は、何が本物で何がフェイクかについて混乱を引き起こす」という項目。なんと専門家の90%がこの意見に同意し、うち45%が「強く同意」と答えています。加えて、民主主義的な議論を損なうリスクについても69%が同意しています。
同時に興味深いのは、「これは新しい技術に対するモラルパニックの一種だ」という見方にも一定の同意があったことです。つまり専門家たちは、「AIによる偽情報は確かに深刻な問題である」と認めつつも、「過去にもテレビや新聞が登場するたびに同じような騒ぎは起きてきた」という歴史的な視座も持ち合わせているのです。
これは私たち一般の情報受け手にとっても大事な示唆だと思います。「AIで世界が終わる」式のパニックに煽られる必要はないけれど、「まあ大丈夫でしょ」と楽観しすぎてもいけない。専門家たちのスタンスは、まさにこの「心配しつつも冷静に」というバランスの上に立っているわけです。
唯一、グループ間で統計的な差が出たのが「人々は目にするものを何も信じなくなる」という項目。ジャーナリストは学者やファクトチェッカーよりも、この見方に強く同意していました。研究チームは、これがジャーナリズムの世界で広がるディープフェイクに対する警戒心の強さや、AI報道における悲観的なトーンと関係しているのではないかと分析しています。
発見③ 「誰の責任か」で意見が分かれる
ここが今回の研究で最もドラマチックな部分です。リスクの認識ではほぼ一枚岩だった専門家たちが、「では誰が対策の責任を負うべきか」という問いになった途端、プロフェッショナルとしてのバックグラウンドによって意見が分かれたのです。
まず、巨大オンラインプラットフォーム(Meta、Google、X、TikTokなど)に責任があるという点では全員の意見が一致しており、62%が「強く同意」と回答しています。ただし、ファクトチェッカーは学術研究者よりもプラットフォームの責任をさらに重く見ていました。
そして最も大きな分裂が見られたのが、「ニュースの利用者(つまり私たち一般市民)」に対する責任の帰属です。学術研究者は市民にも相応の責任があると考える傾向が強い一方、ファクトチェッカーはそこにはあまり責任を求めていません。研究チームによれば、学者がメディアリテラシー教育を重視する傾向を反映しているとのことです。
また、ファクトチェッカーは「自分たち自身の責任」も高く評価していました。「自分たちにはそれだけの能力がある」という自信と、「偽情報の最初の発見者・対応者としての使命感」が背景にあるのでしょう。
この結果を見て、私はある映画のワンシーンを思い出しました。チームの全員が「敵が危険だ」とは同意しているのに、「誰が前線に出るか」で揉めるあの場面です。でも研究チームは、この違いを「対立」ではなく「補完」として捉えるべきだと結論づけています。プラットフォームの規制、市民のリテラシー向上、ファクトチェックの強化──これらはどれか一つだけで十分なわけがなく、複数のアプローチが並行して必要だということです。
この研究が私たちに教えてくれること
ここからは私の意見になりますが、この研究から得られる教訓は3つあると考えています。
一つ目は、「専門家の意見」を聞くときには、その人の立場を意識すること。 ファクトチェッカーに聞けばプラットフォーム規制の話が中心になるし、学者に聞けばメディアリテラシーの話になる。どちらも正しいけれど、どちらか一方だけでは全体像は見えません。政策立案者も、そして情報を受け取る私たちも、複数の専門家の声をバランスよく聞くことが大切です。
二つ目は、「パニックにならず、でも油断もしない」というスタンスの重要性。 90%の専門家が真偽の混乱を懸念している一方で、モラルパニックの側面も認識している。この「両方を同時に見る目」は、私たちが情報の海を泳ぐうえで最も必要な姿勢ではないでしょうか。
三つ目は、「自分にもできることがある」という自覚。 学術研究者が市民の責任を強調していたのは、裏を返せば、私たち一人ひとりの情報との向き合い方が社会全体の偽情報耐性を左右するということです。「怪しいと思ったら立ち止まる」「安易にシェアしない」「情報の出どころを確認する」──地味だけど、これらの積み重ねが効くのだと改めて思います。
おわりに
今回の研究が示しているのは、AI時代の偽情報問題は「誰か一人のヒーロー」が解決する類いの話ではないということです。プラットフォーム企業、ファクトチェッカー、ジャーナリスト、学術研究者、政治家、そして私たち市民。それぞれが自分の持ち場で責任を果たすことで、初めて全体としての対抗力が生まれます。
「自分には関係ない」と思わず、日々の情報との付き合い方を少しだけ意識してみる。それだけで、あなたは偽情報に対する社会の防波堤の一部になれます。大げさに聞こえるかもしれませんが、専門家92人の声を聞いた今、私はそう確信しています。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。
出典: Weikmann, T., Wouters, F., Tulin, M., Hameleers, M., de Vreese, C. H., Zarouali, B., & Opgenhaffen, M. (2026). On the same page? Experts are mostly, but not always aligned about disinformation in times of generative AI. Harvard Kennedy School (HKS) Misinformation Review, 7(2). https://doi.org/10.37016/mr-2020-196
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