J.S.ミル『経済学原理』第2巻第6章【21/75】
J.S.ミル『経済学原理』の第2巻第6章「自作農」をAI翻訳しました。誤訳や読みづらいところが残っているかもしれませんが、温かい目で読んでいただけたらうれしいです。
この翻訳について
目的:個人の学習・読書用の試訳です。学術的な厳密さまでは保証できません。
方法:AIで下訳 → 自分で全体を見直し、一部の表現を修正しています。
出典:原文はこちら。
お願い:引用の際は出典の明記をお願いします(本文リンク・本記事URLなど)。
AIによる要約
小農自作地制度の位置づけ(奴隷制との対比)
【主張】小農自作地制度は、生産物が単一の所有者に帰属する点では奴隷制と似るが、労働者の自由と自立を最大化する点で正反対の社会を生む。
【根拠・内容1】地代・利潤・賃金の区別がなく、産出は所有者(耕作者)に一体的に帰属する。
【根拠・内容2】奴隷制が抑圧と屈辱を強めるのに対し、小農所有は労働者が自分の境遇を自ら決めやすい。
英国における理解不足と論点の偏り
【主張】英国では大土地所有・大規模経営の経験に偏り、小農自作地の実態理解が乏しいため議論が歪みやすい。
【根拠・内容1】大陸側は大資本・大規模耕作の経験が乏しい一方、英国側も農民的自作農の現実をほとんど知らず誤解しがち。
【根拠・内容2】英国史の「ヨーマンリー」やカンバーランド等の“ステーツメン(自作農)”は、独立心と社会的好影響の例として挙げられる。
【根拠・内容3】用語慣習(地主=小作人を含意)が障害となり、「所有者」を小作的零細耕作と混同する誤りも生んだ。
実証例:スイスに見る生活水準・自立・勤勉
【主張】スイスの自作農地域は、厳しい自然条件でも生活の余裕、人格的自立、勤勉と高い農業管理を実現している。
【根拠・内容1】シスモンディの観察:農民住宅の堅牢さ・清潔さ、備蓄の豊かさ、家畜管理の良さ、住民の健康と誇りが描写される。
【根拠・内容2】自作農は市場価格変動に左右されにくく、家族労働を通じて土地改良(植樹・水路・品種改良等)を継続しやすい。
【根拠・内容3】イングリスの観察:早朝から日没後までの作業、畑・庭・垣根まで徹底した手入れなど「尽きることのない勤勉さ」が確認される。
【根拠・内容4】一方で、土地細分化の行き過ぎや負債(例:チューリヒ州)など、制度の“過剰”が問題化しうる点も示される。
実証例:ノルウェー/ドイツ(プファルツ等)に見る共同性と改良
【主張】自作農は、所有のインセンティブにより勤労・協力・改良投資を促し、インフラ整備や土地生産性の底上げにつながる。
【根拠・内容1】ノルウェー:渓谷での大規模灌漑(水路網)など、協力して公共的仕組みを維持する行動が観察される。
【根拠・内容2】大陸の耕地帯(フランドル等)は英国同緯度の地帯より作柄が良い場合が多く、小区画の丁寧な手入れが生産性を押し上げると論じられる。
【根拠・内容3】ドイツ(プファルツ等):農具の不足を「徹底した仕事ぶりと粘り強い労働」で補い、家・果樹園・多作物の継続的管理が描写される。
【根拠・内容4】専門家証言(ラウ、ライヒェンスペルガー、テーア等):小所有・自作の方が同面積で総生産・純生産が上回りうる、との評価が重ねられる。
決定的反例としてのベルギー/チャネル諸島(効率と豊かさ)
【主張】ベルギーやチャネル諸島は、小農自作でも高集約・高収量・貧困の少なさが両立し得ることを具体的に示す。
【根拠・内容1】ベルギー(フランドル等):元来の不毛地が、施肥・輪作・土地の徹底利用で高肥沃へ転化した事例が詳述される。
【根拠・内容2】勤勉と節約により資本蓄積が進み、土地取得競争で利回りが低下しても小所有が広がり、富が広く分配される傾向が示される。
【根拠・内容3】凶作期(1846–47年)の困窮は「平時の低生産性」ではなく、損失を価格転嫁できない自作農の構造条件と異例の不作が主因だと整理される。
【根拠・内容4】チャネル諸島(ガーンジー等):貯蓄銀行統計や乞食の希少性などから生活の安定が裏づけられ、耕作者密度が高くても非農業人口まで養う生産性が報告される。
フランスをめぐる通説批判と最終結論(適正規模・人口条件)
【主張】「小農所有=農業荒廃・飢餓」という通説は単純化であり、鍵は“所有”そのものより、過度の細分化を避けうる規模と人口バランスにある。
【根拠・内容1】革命前のフランス農業はすでに劣悪で、土地所有の広がりだけを荒廃原因とする説明は整合しない。
【根拠・内容2】反小農派だったアーサー・ヤング自身が、優良耕作の場面で「所有が勤勉と改良を生む」と繰り返し確認している。
【根拠・内容3】他方、ロレーヌ等では極端な細分化が困窮と低水準農業を招くとされ、家族の注意と時間を十分投じられないほどの零細化は不利。
【根拠・内容4】結論として、小土地所有の利点は「細分化が行きすぎない(扶養人数が生産に比して過大でない)」ことが条件で、最終的には人口問題(過剰を促すのか抑えるのか)に帰着する。
本文
一
小農による土地所有の体制では、奴隷制と同様に、生産物のすべてが単一の所有者に帰属し、地代、利潤、賃金といった区別は存在しない。けれども、そのほかの点では両者の社会は正反対であり、奴隷制の社会は労働者階級に最も強い抑圧と屈辱を与えるのに対して、小農の土地所有体制の社会では、労働者が自分の境遇を自らの判断で最も自由に決められる。
土地の小規模所有の利点は、政治経済学の領域でもとりわけ意見が分かれる論点である。ヨーロッパ大陸では異論もあるものの、住民のなかに土地所有者が多いことは社会にとって有益だという見方が、多くの人の心に公理として広く共有されている。これに対して英国の有力な論者は、大陸の農業関係者の判断を十分に知らないか、あるいは彼らが好条件のもとでの大土地所有を経験していないことを理由に、その判断を退けがちである。そして、大土地所有の長所は大規模農場も併存してはじめて感じられること、また耕作地帯で大規模農場を成り立たせるには大陸の一般水準を上回る資本の蓄積が必要になることから、牧畜農場の場合を除けば、大陸の大領地の多くは小区画に分けて耕作のために貸し出されているのだ、という理屈を述べる。たしかに一面の真実はあるが、同じ理屈は逆にも成り立つ。大陸が大資本による大規模耕作の経験に乏しいのだとすれば、英国の著述家の多くも農民的な小土地所有者を実地に知っているとは言い難く、その社会状況や暮らしぶりについて、ほとんどいつも最も誤った考えを抱いているとも言える。さらに、英国に伝わる古い言い伝えでさえ大陸の一般的見解に近い。かつて「英国の誇り」と称され、消滅後に大いに惜しまれた「ヨーマンリー」は、小規模地主か小規模の借地農であり、仮に後者が大半だったとしても、頑健な独立心で知られた点はいっそう注目に値する。英国では残念ながらごく一部にすぎないが、農民的土地所有者が比較的多い土地が残っており、カンバーランドとウェストモーランドの「ステーツメン(自作農)」がそれである。彼らは一般に、普遍的とまではいかないにせよ、一定の慣習的負担を支払うが、その金額は固定され、地租と同様に所有者としての性格を損なわないとされる。この土地保有がそれらの州にもたらす好ましい効果については、現地を知る人のあいだでほぼ意見が一致しており、ワーズワースが描いた農民像の原型となりえたのは、ほかならぬこうした人々であった。
しかし、イングランドで一般的な農業経営や耕作制度のもとでは、小農が自分の土地を持つ仕組みの性格や働きを身近に理解できるような経験を得る機会が、ほとんど与えられてこなかった。さらに、イングランド人の多くは外国の農業経済について驚くほど知識が乏しく、小農が土地を所有するという発想そのものがイングランド人の感覚になじまず、容易には受け入れられない。用語の慣習も障害になっている。土地の所有者は慣用的に「地主」と呼ばれ、この語は常に「小作人」との関係を含むものとして理解されているからである。飢饉の時期に、小農自作地をアイルランド改良の手段として導入すべきだという提案が議会や新聞で議論された際にも、見識があると自負する論者の一部が「所有者」という語から明確な像を思い描けず、アイルランドのコッター小作人が耕す零細な小区画を小農自作地と取り違えた。これほどまでに問題が理解されていないのなら、理論に入る前に、事実として現実がどうなっているのかを示すことが重要だと考える。そのため、通常なら詳しすぎると思われるほどの長さになるが、耕作の実情や耕作者の生活のゆとりや快適さ、満足感、幸福に関する既存の証言を、耕作者以外が土地の大半を所有している国や地域を中心に、あえて丁寧に、少し長めに紹介しておきたい。
二
北アメリカの状況については、ここでとくに重点を置いて論じる必要はほとんどない。周知のとおり、かつての奴隷州を除けば、土地はほぼ例外なく、鋤を握るのと同じ人が所有しているからである。アメリカの自然の肥沃さに、現代ヨーロッパの知識と技術が加わった国は事情がきわめて特殊であり、財産の安全が脅かされたり、圧政的で専制的な政治が行われたりしない限り、勤勉な階級の繁栄が大きく損なわれるとは考えにくい。私は、シスモンディにならって、古代イタリア、ことにラティウム、すなわちカンパーニャ地方を例に挙げ、当時は人口が密集していたまさにその地域が、反対の体制のもとで人口を失い、いまではマラリアのため居住が困難、あるいは不可能になったという対照を、より強調することもできる。しかし私は、同じ著者が実地の経験と個人的な観察にもとづき、自ら直接知っている事柄について述べた証言を採用したい。
シスモンディ氏は、小農が土地を持って暮らすことの幸せを判断するには、とくにスイスを巡って実地に学ぶのがよいと述べている。収穫の利益を受ける当事者自身が耕作する農業だけで、人口が多くても暮らしに十分なゆとりが生まれ、地位の自立から人格の自立も生まれ、住民の暮らしが全体として楽になることで消費が盛んになり、商いも活発になるという。しかもこれは、気候が厳しく、土壌の肥沃さがほどほどで、遅霜や季節の不安定さがたびたび耕作者の見込みをくじく国でも成り立っているとする。さらに、もっとも貧しい農民の木造家屋でさえ驚くほど大きく、隙間なく頑丈に造られ、彫刻で飾られている光景には目を見張るといい、家の中では広い廊下が大家族の部屋を分け、各部屋にはベッドが一台あるだけだが、カーテンや寝具、真っ白なリネンが十分にそろい、家具も丁寧に手入れされていると述べる。たんすにはリネンが詰まり、乳製品の作業場は広くて風通しがよく、清潔さが行き渡り、同じ屋根の下に穀物や塩漬け肉、チーズ、薪が豊富に備わり、牛舎にはヨーロッパでも最上級といえるほどよく世話された牛がいるという。庭には花が植えられ、人びとは清潔で暖かい身なりを整え、女性は昔ながらの衣装を誇りをもって守り、顔には健康と力強さの印が表れているとして、ほかの国が富を誇るのは自由だが、スイスはいつでも自国の農民を誇りとして示せるのだと結んでいる。
先に触れたこの問題で知られる著名な著述家は、小農自作制度一般について、次のように意見を述べている。
小規模な自作農が多い地域では、暮らしに一定のゆとりが生まれ、生活の安心や将来への自信、自立の感覚がそろって、人々の幸福と徳が同時に支えられている。農民は子どもとともに、相続した小さな土地の仕事をすべて自分たちでこなし、地代や賃金の支払いに追われることもなく、消費に合わせて生産量を調整し、自分で収穫した穀物を食べ、自分で造ったワインを飲み、麻や羊毛で衣類までまかなえるため、市場の価格の変動に必要以上に左右されにくい。売る物も買う物も少ないので、商況が急に変わっても、すぐに生活の破綻につながりにくいからである。農民は先行きを恐れて悲観するよりも希望を持って未来を見ており、年ごとの農作業に必要な時間以外は、子どもや次の世代の利益になる仕事に回す。ほんの数分もあれば、一〇〇年後に大木となる種をまき、清水を引くための水路を掘り、日々の合間の時間を積み重ねて身近な動植物の品種改良も続ける。小さな土地は、わずかな稼ぎや利益をすべて受け入れ、余った時間も取りこぼさず価値に変えるという意味で、まさに貯蓄銀行のように働き、自然の絶え間ない力がその努力を一〇〇倍にもして返してくれる。土地を持つことの幸福を強く感じるため、農民は高値でも土地を買おうとし、その価値を上回り、ときには将来の収益を上回る額を払うこともあるが、賃金市場で買いたたかれることなく労働を有利に投じる場を常に確保できることや、食料が不足したときでも高値で買わずにパンを確保できることを見込むなら、その判断は必ずしも不合理ではない。
自ら耕して土地を所有する小農は、耕作者のうちで土地の生産力を最も引き出しやすい。先を見通して手を打ち、経験から得た工夫を積み重ねていけるからである。労働力の使い方も効率がよく、家族全員に仕事を割り振り、一年三六五日のどの日にも何かしらの担当が残るようにして、だれも手が空かないようにする。このような自作農は、耕作者のうちで暮らしへの満足度が高い。同時に、土地が疲弊せずに安定して食料を生み出し、最も多くの住民を養えるのは、自作農が土地の所有者として暮らす地域である。さらに、自作農は比較的豊かで、商業や工業を押し上げる力も大きい。
「尽きることのない勤勉さ」と「土地への愛着に近い関心」という評価は、スイスでも知的水準が高いといわれるカントンについての英国人の観察によって裏づけられる。イングリス氏は、チューリヒ近郊を歩けば住民の並外れた勤勉さが至る所で目に入り、土地所有者が一〇パーセントの収益を得ていると聞けば、「それに値する」と言いたくなる、と記した。ここでは農村の労働について述べるが、あらゆる商いにおいてもチューリヒの人々は勤勉だと思う、としつつ、とりわけ耕作の働きぶりは比べるものがないという。氏によれば、朝の四時から五時に窓を開けて湖と遠くのアルプスを眺めると畑ではすでに労働者が作業をしており、夕方の散歩から日没後かなり遅く、時に八時半ごろに戻っても、草刈りやぶどうのつるを結んだり束ねたりする作業が続いていた。畑や庭、生け垣に限らず、木一本、花一輪、野菜一つに至るまで手入れが行き届き、小道が穀物畑の中や脇を通るところでは、穂が道に垂れて踏まれたり引き抜かれたりするのを放置せず、柵で区切って約一ヤードごとに杭を打ち、地上二、三フィートの高さに枝を横に渡して柵にする。夕方にカリフラワーやキャベツの畝をのぞけば、株には一本ずつ水が与えられ、広い庭でも植え付けは整然として、雑草や石は見当たらない。植物は小さなくぼみに植え、そのくぼみごとに少量の肥料を入れ、毎日水をやり、種をまいた場所の上の土は細かな粉になるまで砕くほか、低木や花は杭に結び、壁際の果樹は格子を立てて枝を固定し、置き場所が決まっていないものは何一つないという。
高アルプスの人里離れた深い谷の一つについて、同じ著者は次のように述べている。
エンガディン全域では土地は農民が所有しており、この種の所有形態の地域に共通して、各人の所有地の広さには大きな差があるものの、農民の暮らしは家族に必要なコーヒー、砂糖、ワインなど少数の輸入品を除けば、ほとんど自分の土地の産物だけで成り立っている。亜麻は栽培から加工、紡績、機織りまで家の中で済み、外へ持ち出されることはない。羊毛も自分で染め、染屋や仕立て屋の手を借りずに青い上着に仕立てる。この地域ではこれ以上の開墾や耕作地の拡大は難しく、勤勉さと利益を得ようとする強い欲によって考え出せる工夫もすでに尽くされ、荒れ地は一尺も残っていないうえ、最も低い場所ですらスノードン山の山頂よりそう大きくは低くない。草が育つところには草が生え、岩が一枚の葉でも支えられるところには緑が見え、ライ麦が実るところには必ずライ麦がある。大麦とオート麦にもそれぞれ適地があって、わずかでも小麦が実る見込みがあれば栽培が試みられる。ヨーロッパでも、これほど貧しい人が少ない地域はほかに見当たらず、約六〇〇人が住むズース村では不自由なく暮らせるだけのものを持たぬ者は一人もおらず、口にする一口の食べ物についてさえ他人の世話になっている者も一人もいない。
スイスの農民が概して豊かであるにもかかわらず、国全体について、救貧を必要とする人が一人もおらず、貧困もほとんど見られないとまで断言することはできない。国内で最大かつ最も裕福なベルン州が、その反例とされる。ベルン州でも、自作農が土地を所有する地域では、勤勉さは他地域と同様に際立ち、暮らしの余裕や快適さも目につくが、州全体としては救貧対象の人々が多く、その負担が重いという。その背景には救貧制度の運用があり、改正前のイングランドを除けば、ヨーロッパでも最も不適切な制度の一つだとされる。さらにスイスは、自作農による土地所有がもたらしうる効果をあらゆる面で示す好ましい例だとも言えない。各州では、近年の分も含む統計報告が継続的に作成され、土地と住民の状況が詳しくまとめられているが、そこからは土地の細分化がしばしばあまりに細かく、過度ではないかと思われる実態が見て取れる。繁栄するチューリヒ州でさえ、土地所有者の負債は、筆者の表現によれば「信じがたいほど」に近く、「最大限の勤勉、倹約、節度、そして完全な通商の自由があってはじめて持ちこたえられる」とされる。それでも、これらの書物から導かれる全体的な結論は、今世紀初頭以来、貴族や州政府に属していた大土地が分割されるのと並行して、農業のほぼ全分野で改善が目立って速く進み、住居や生活習慣、食事も大きく向上したということである。トゥールガウ州の報告書の筆者は、封建的な大土地が自作農に分けられて以降、農地の三分の一、または四分の一が、分割前の全体と同量の穀物を生み、同じ頭数の家畜を養う例も珍しくないとまで述べている。
三
自作農が古くから根づき、人口に占める割合もとくに高い国の一つはノルウェーである。同国の社会や経済の状況については、レイング氏が興味深い報告をまとめている。同氏はノルウェーに限らず各地において小規模な土地所有を支持しており、その証言はきわめて断固としている。以下、その一部を引用する。
小土地所有者が必ずしも優れた農民とは限らないとしても、その原因を、スコットランドではそうだと言われる怠け癖や努力不足に求めるのは適切ではない。谷あいの渓谷で灌漑が広く行われている事実そのものが、努力と協力の気風を示しており、とりわけ注目すべき点であるが、スコットランドでは同様のことを何も示せない。冬の家畜の主な飼料は干し草で、干し草や穀物、じゃがいもは、土が浅く岩の照り返しが強いため、焼けてしおれやすい。そこで人々は、各渓谷の源流から水を引き、各農民が自分の畑の上端で水を使えるように、水路をできるだけ水平に近い勾配で通すことに最大の労力を注いでいる。これは、山中の高所にある年中流れる沢から、木の幹を半分ほど粗くくり抜いた木製の樋で取水し、森を抜け、谷を横切り、岩だらけで、ときにはほとんど垂直に近い渓谷の斜面に沿って主要な樋を延ばし、その主要な樋が各農家の耕地の上端を通るたびに横の樋を分けて各農民に渡すことで行われる。農民は可動式の樋で畑に水を回し、この季節には布さらしが布をぬらすときに使うような柄杓で畝を順に潤しながら、二つの畝の間ごとに樋を据えていくため、実際に見ると、人工の雨で広い土地が手際よく次々に潤されていくのが分かる。主要な樋の延長はきわめて長く、ある渓谷では一〇マイル歩いて両側に樋が通っているのを確かめたほか、別の場所では水路網が主たる谷筋に沿って四〇マイルも続いていた。このようなことをする人々を、よい農民ではないと評する向きがあっても、少なくとも怠けているとは言えず、協力して働き、共同の利益のための仕組みを維持するという考えを理解していないとも言えない。こうした点では彼らは、こちらのハイランドの谷にいる小屋住まいの共同体より明らかに進んでいるが、それは所有者として、自分の努力の利益を自分で受け取れるという実感があるからである。道路と橋の状態がよいことも、修繕を続けるという共通の利害を持つ住民がこの地にいる証拠であり、通行料もない。
大陸において一般的な農民自作農制度が社会全体に与える影響について、同じ著者は次のように述べている。
大規模農家や農学者、政治経済学者の議論に従うと、良い農業は大農場でしか成り立たず、巨額の資本と雇用労働を前提にしなければ、排水や施肥、区画整理、除草や整地、計画的な輪作、優良な家畜や農具の導入といった改良は実現できない、ということになる。ところが、書物の説明を離れて実際の耕地を見比べると、結論はそれほど単純ではない。フランドル、東フリースラント、ホルシュタインなど、スンド海峡からカレーに至る大陸側の同程度の耕地帯では、対岸の英国で同緯度に当たるフォース湾からドーバーに至る沿岸地帯より、作物の出来が総じて良い。同じ土壌と気候であれば、耕地を小区画に分けて丁寧に手入れするほど生産性は上がりやすく、なかでも、その小区画を農民が所有している地域ほど効果がはっきり現れる。英国の農業論者でさえ、ベルウィックシャーやロクスバラシャー、ロージアン地方の大農場が、フランドルの小農が示す菜園のような集約的な耕作を行い、施肥と排水に細心の注意を払い、土地を清潔に保ちながら、もともと肥沃ではない小区画から高収量を引き出す水準に達している、とは述べていない。さらに、スコットランドやイングランドで最も良いとされる教区でさえ、畑の隅や縁、農場内の道路、放置された共有地や点在する荒れ地、役に立たない樹木の帯など、手が入らず不生産のまま失われている土地が少なくなく、これらを一か所に集めて耕せば、教区の貧しい人々を養えるほどになる、とも指摘されている。大資本は国の最良の土壌に集中しがちで、短期に回収できない小さな不良地には及びにくいが、雇用労働では採算の合わない土地でも、所有者自身の時間と労力であれば取り組める場合がある。初めは最低限の暮らしを支えるにすぎなくても、世代を重ねれば土地の肥沃さと価値が積み重なり、より良い暮らしや、さらに改良された農法に到達しうる。実際、フランドルやロンバルディア、スイスの小農では、畝間排水や夏季の舎飼い、液肥の利用が当たり前になっている一方、英国で先進的とされる大農場中心の改良地帯でも、その導入はなお途上にある。加えて、酪農や小農の協同による大型チーズの製造、火災や雹害に備える相互保険、最も科学的で費用もかかる農業上の事業である甜菜糖の製造、亜麻や麻の欧州市場向け供給、海外では最下層の食卓にさえ豆類や果物、鶏肉が豊富に並ぶのに、英国では中流層の食卓でもそうした多様性が乏しいこと、そしてこの多様さと豊かさが小農の営農と本質的に結びついていることを合わせて見れば、豊かさが小農の営農と深く結びついている面は否定しがたい。こうした事情を踏まえると、雇用労働と大資本による大農場だけが生産性を最大化し、国民に必需品と便益を最大限に供給できる、という通説は、検証なしにそのまま受け入れにくい。
四
ドイツには自作農による土地所有が広く行き渡り、豊かに暮らしながら地域が活気づく例が少なくない。そこでここでは、近年の農業と住民の暮らしを自分の目で見聞した英国人の記録を引き、状況を示しやすいという理由から、プファルツ地方を取り上げる。記録者のハウイット氏は英国の事物や社交を美しく描きがちな人物として知られるが、ライン地方の農民について述べる際には、農具の粗末さや耕作の未熟さを決して見過ごしていない。それでも、土地を所有しているという意識が農民を奮い立たせ、道具や設備の不足を徹底した仕事ぶりと粘り強い労働で補っている、と彼は記している。曰く、「農民は土地を丁寧に耕し、ならし、石や雑草を取り除いて片づけ、見事に整える。そこで得られる作物を見ると感心させられる」。また、田園生活で最も目立つ存在は農民であり、その理由は、彼らが土地の保有者であって農村人口の中心を占めているからだとも述べる。実際、国土の大半が民衆の手にあり、土地は多くの人に細かく分かれているため、農民は英国のように耕地から切り離されて雇い仕事に全面的に頼るのではなく、自分の土地を持っている。その結果、彼らは世界でも屈指の勤勉さを示し、早朝から夜まで「自分のために働いている」と感じながら働き、しかも差し迫った困窮は見られないという。人びとはそれぞれ家と果樹園を持ち、道ばたの木々も手入れされ、果実の重みで枝が裂けないよう支えや固定が施され、穀物や飼料用のビート、麻などの区画も整っているという。彼らの動きの速さや快活さは英国人ほどではなく、短時間で一気に片づける騒がしさもないが、動きが遅くても手を止めず、日々年々、忍耐強く粘り強い働き手として同じ歩調で進む姿が描かれている。所有の観念から遠ざけられがちな英国の農民が気力や目的を失いやすいのに対し、ドイツのバウアーは、この国は自分と仲間のためにあると考える。働いて節約するかぎり、立ち退きや救貧院で脅されることもないため、歩みは力強く、自由人らしい表情とまなざしで正面からこちらを見つつ、しかも礼節を備えている、とされる。
その勤勉さについて、同じ筆者は「一年を通して、仕事をせずに過ごす一時間などない」と述べ、冬のさなかでも外に出られる天気なら、いつでも必ず何かしらの作業があるという。霜が降りている間は堆肥を田畑へ運び、霜がなければ溝や排水溝を手入れし、古い果樹や実つきの悪い木を伐る。薪を十分に蓄えられないほど貧しい人びとは、山林へ分け入って燃料を集めて運ぶ仕事がいくらでもある。霜と雪の厳しい時季に丘や森へ入ると、切り株を割り、枝を落とし、役所の森林監督が許す範囲で小枝や杭、木片を集め、驚くほどの骨折りと忍耐で家まで運び込む姿が見られる、とも描かれている。丁寧で骨の折れるブドウ畑の耕作に触れたうえで、広い牧草地と大規模農場のあるイングランドでは収穫後に農村が比較的静かに見えるのに対し、こちらでは鍬入れ、刈り取り、植え付け、刈り込み、除草、収穫がいつでもどこでも続き、作物が市場園芸のように切れ目なく続いていると指摘する。にんじん、けし、麻、亜麻、サンフォワン、ルーサン、菜種、ケール、キャベツ、ルタバガや黒かぶ、スウェーデンかぶ、白かぶなどのかぶ類、テイセル、菊芋、マンゲルワーゼル、パースニップ、いんげん豆、そら豆、えんどう、ベッチ、とうもろこし、そば、染料用のアカネ、じゃがいも、主作物のたばこ、きびなど、多くの作物を家族が自分たちの区画で管理し、播種や移植のあとも耕起、除草、害虫駆除、摘心を重ね、収穫は時期をずらして順に進めるという。牧草地は灌漑草地が中心で、冠水と刈り取りを繰り返し、水路も掘り直して作り替え、早生の果実や青刈りの青物野菜を市場へ運ぶ。牛や羊、子牛、子馬のほとんどは囲いの中にいて、その世話や家禽の世話も欠かせず、夏に勢いづくブドウは剪定し、葉が込み合えば間引くとして、休みのない労働の実情は十分に想像できる、という趣旨で結ばれている。
この興味深い概略は、耕作が行き届き人口も多いこの地方をつぶさに見て回った注意深い旅人なら、おおむね事実だと証言できる内容であり、地元の名望家であるラウ教授が小冊子『パラティネートの農業について』で示した、より詳しい記述とも一致している。ラウ教授は、農民の勤勉さだけでなく技術と知性の高さも評価し、堆肥を適切に施すこと、作物のすぐれた輪作、代々続く農法を段階的に改良してきたこと、いまも衰えないさらなる改善への意欲を挙げている。「農村の人びとは一日中、年中働いており、決して怠けてはいない。彼らは仕事の割り振りがうまく、どんな空き時間にも合う用事を見つけられるからだ。目の前の状況を余さず生かし、役に立つ新しい工夫があればすぐ取り入れ、さらに有利な方法を探そうとする熱意は広く知られ、称賛に値する。この地域の農民が自分の仕事をよく考えてきたことは一目で分かる。挙げる理由が常に妥当とは限らないにしても、やり方の理由を説明でき、数字の助けを借りず記憶に頼りながらも、できる限り正確に割合を見ている。さらに、時勢を示す一般的な兆しにも注意を払い、それが利益になるか不利益になるかを見極めようとしている。」
ドイツのほかの地域でも事情は同様で、各地の経験は同じ結論を示しているという。ケイ氏はザクセンについて、過去三〇年、農民が土地を自分のものとして所有するようになってから、住まい、生活、衣服、そしてとりわけ耕作の面で、急速で継続的な改善が進んだのは周知の事実だと述べている。また、村と農業の実情を確かめるため、ドイツ人の案内人とともにザクセン・スイス地方を二度歩き、この地域の谷あいで見られる、手間を惜しまない丁寧で慎重な耕作に勝る農業は、ヨーロッパ全土を見渡してもないと断言したという。そこでは、スイスのベルン、ヴォー、チューリヒ各州やライン地方の諸州と同じように農場の繁栄が目立ち、手入れが行き届いていつも整然としており、経営も良いとされている。土地は庭のように整えられ、垣根や藪、下草や雑木が邪魔をすることはなく、いぐさやあざみ、伸び放題の草もほとんど見当たらないという。牧草地は毎春、農場の排水から集めた液肥で十分に潤され、雑草がほとんどないため、ザクセンの牧草地は、これまで見た中で最もイングランドの芝生に近い印象だったとも述べている。さらに、農民は収穫量と品質、土地の準備や土づくり、耕作全体の腕前を競い合い、小規模の地主は最大の成果を得る方法を熱心に探して改良を重ね、子どもを農業学校に通わせ、近隣の新しい工夫や手法もほどなく取り入れるという。これが誇張でないなら、その知的水準はイングランドの労働者はもとより、イングランドの農場主とも著しく異なることになる。
ケイ氏の著書は一八五〇年に刊行され、欧州各地での観察や聞き取り調査にもとづいて収集した膨大な資料が収められている。さらに、小農による土地所有の利点について、著名な著述家や論者の証言もあわせて掲載されており、ここでは、農業への影響について同書が引用する証言のうち、次に挙げる一節を抜粋して示す。
土地の区画がとくに細かく、細分化が進んだプロイセンの一地域に住むライヒェンスペルガーは、土地の自由保有制度のすぐれた帰結を示すために長大で綿密な著作を公刊した。彼は、同じ面積で比べると、小規模な土地を小所有者や農民自作地所有者が所有して耕作する場合のほうが、少数の大地主が所有し小作農が耕す場合よりも、総生産が大きいだけでなく、耕作費などを差し引いた純生産でも上回ると明確に述べた。さらに、小土地所有が中心の国では土地の肥沃度が急速に高まっていることを示す事実として、プロイセンのライン諸州では小区画の土地が大土地所有の土地より高値で取引され、しかもその上昇が速い点を挙げた。彼とラウ教授はいずれも、この地価上昇が生産力の同程度の上昇を伴っていなければ近年の購入者は破産していたはずだと指摘した。それにもかかわらず、現実には小所有者は土地に高値を払いつつも、次第にしかもいっそう豊かになっているとして、これは小土地では総収益だけでなく純収益も増えてきたことを示し、同じ面積当たりの純収益が大地主経営より高いことを示すものだと論じた。あわせて、地価上昇が単なる競争の結果にすぎないなら小所有者の利益と繁栄は損なわれるはずなのに、実際にはそのような事態は起きていないとも述べている。
農業制度のさまざまな体系を論じたドイツの著名な論者アルブレヒト・テーアは、晩年の著書『合理的農業経営の原則』のなかで、土地の純生産は、大地主やその借地人、小作人が耕作する場合よりも、小規模な土地所有者が自ら耕作する場合のほうが大きいという強い確信を述べている。この見解がとりわけ注目されるのは、テーアが生涯の前半には、イギリス流の大土地所有と大規模農場を柱とする制度をきわめて強く支持していたからである。
ケイ氏は自らの観察にもとづき、プロイセン、ザクセン、オランダ、スイスの小作農による農業は、これまでいかなる国でも見たことのある農業のなかで、もっとも完成度が高く、かつ経済的である、と付け加えて述べている。
五
小農が自作地を耕しても非効率だという英国の根強い見方に対して、最も決定的な反例として挙げられるのがベルギーである。土壌は当初、欧州でも最悪の部類であり、マカロックは、西フランドル州、東フランドル州、エノー州は広大な平原をなし、その豊かな植生は絶え間ない手入れと労働の成果であると述べている。というのも、自然の土はほとんど不毛な砂にすぎず、現在の高い肥沃さは、高度な管理と各種肥料の適切な投入によって生み出されたものだからである。フランドル農法の詳しい説明は「有用知識普及協会」の「農民叢書」に収められており、執筆者は、フランドルの農業者が、土の質や手触りがどうであれ、働くための場所さえあれば、時間をかけて必ず何かを実らせるように見える、と観察している。海岸の砂と見分けがつかないカンピーヌの砂地でさえ、最も見込みのなさそうな場所に小さな家と粗末な牛舎が建てられ、風で吹き寄せられて規則的な丘になった白い砂は荒れ地の根にかろうじて支えられているにすぎないのに、ごく小さな区画がならされ溝で囲われ、その一部は若いエニシダに覆われ、別の一部にはジャガイモが植えられ、ときに小さなクローバー畑が姿を見せる。しかも彼らは同時に固形肥料と液肥を集めており、それが核となって、数年のうちに小農場が周囲へ広がっていくという。肥料が手元にない段階では、純粋な砂地に最初に播けるのはエニシダだけだが、最もやせた土地でも育って三年で刈り取れ、薪束としてパン屋やれんが職人向けに収入にもなる。落ち葉は土をいくらか肥やし、根の繊維は土にわずかな締まりを与える。こうして耕作が進むと、肥料がなくてもソバ、さらにはライ麦を播けるようになり、その刈り入れ時までには肥料も一定程度たまって、規則的な輪作を始められる。クローバーとジャガイモによって牛を飼えるようになり、肥料を自前でつくれるようになると改良は加速し、数年で土は一変して柔らかくなり保水性を持ち、クローバーなどの根が分解して生じる植物質によって豊かになる。土地が段階的に良好な状態まで引き上げられ、一定のやり方で耕作されるようになると、もともと良い土と、労働と勤勉によって良い土へ変えた土地との差はずっと小さく見え、収穫の差も、他国で見られる土質の差ほど大きくはならない。これはフランドル方式の優秀さを示す大きな証拠であり、土地が常に改良され続け、耕起と施肥、とりわけ施肥へのいっそうの配慮によって、土の不足が補われていることを示している。
小規模な自作地や農場で集中的に働く人びとは、イングランドでは近年になって発見されたもの、あるいは新しいものと見なされがちな輪作の原則や施肥の節約を、何世紀にもわたって身につけ、実践してきた。農業全体の水準についても、フランドルがイングランドを上回るという見方は、見識ある専門家のあいだでいまなお認められている。前掲の筆者は、やせた軽い土壌や中程度の土壌の耕作は、概してフランドルのほうが、英国で同種の土壌を扱う最も改良の進んだ農場より優れていると述べている。そのうえで、資本の規模、耕作用具の多様さ、牛や羊の選定と改良では英国が大きく勝る一方、乳牛の飼養ではフランドルが先行しているとも述べ、英国の農業者は概してフランドルの農民より教育水準が高いとしている。それでも、土の性質へのきめ細かな配慮、肥料の管理と使い分け、作付けの適切な継起、とりわけ土地のあらゆる部分を常に生産状態に保つという土地の節約については、英国はなおフランドルから学ぶべき点があるとしており、学ぶべき相手は一部の教養ある進取のフランドル人ではなく、一般に行われている慣行だとしている。
国内でもとくに耕作が集約的な地域の多くは、小農の自作地から成り、所有者自身が経営し、鍬を用いる手作業に全面的、または一部を頼っているとされる。たとえば「馬を飼わずに土地をすべて鍬で耕すなら、三エーカーにつき牛一頭を飼い、飼料は人工牧草と根菜でまかなう。この耕作法は、地所がきわめて小さいウェールズ地方で主に行われ、労働は家族の各員が担う」と説明され、子どもも年齢と体力に応じて草取りや鍬入れ、牛の世話などを早くから手伝うという。ライ麦と小麦をパン用に十分確保し、牛のためにジャガイモ、カブ、ニンジン、クローバーを作れれば暮らしは成り立ち、菜種、亜麻、大麻、バターの販売収入から、負担の大きい購入肥料代を差し引いても利益が残るとされる。土地の総面積を六エーカーとすると、決して珍しくない規模で一人でも管理でき、「夫婦と幼い子ども三人を大人三・五人分とみなせば、穀物三九ブッシェル、ジャガイモ四九ブッシェル、肥育した豚一頭、牛一頭から得るバターと牛乳が必要になる。穀物とジャガイモは一・五エーカーで生産でき、余った穀物で豚を太らせ、余剰のバターミルクを豚に与える。別の一エーカーでクローバー、ニンジン、ジャガイモを作り、切り株の残る畑のカブも加えれば牛の飼料は十分足りる。そのため二・五エーカーで家族の食料はまかなえ、残る三・五エーカーの産物を売れば、地代または購入代金の利子、道具の損耗、追加の肥料、衣類代を支払える」とする。しかも売りに回すこの区画には亜麻や大麻、ナタネ油用のコルザも含まれ、農場でもっとも収益性が高いともいい、クローバーと根菜をさらに一エーカー増やせば二頭目の牛も飼えて産物を売れるとも述べられている。別の試算では、家族だけで雇い人なしにこの面積を徹底して耕作できることを示したうえで、「一〇エーカーを鍬で全面耕作するなら男一人と女一人が加われば作業は楽になり、厩肥や収穫物の運搬のため、またときに馬鍬を引くための馬と荷車があれば一五エーカーも十分耕せる」とし、結論として「鍬による農業なら、小資本で勤勉な男が良質で軽い土の一五エーカーを耕し、相応の地代を払いながら暮らし、家族を育て、さらに生涯で相当の蓄えも築ける」と位置づける一方、その成果を支える並外れた勤勉さ、ことに将来の見返りを見込んで土壌改良に投じる労働が、地代を払わずにすむことと本当に無関係なのかという疑問を示し、実質的に恒久的な小作権、あるいは借地での労働と節約がいずれ土地所有につながるという確かな見通しがなければ、こうした勤勉は成り立たないのではないか、という問題を提起している。
生活ぶりについては、フランドルの農民や労働者は、イングランドの同じ階層に比べてはるかに倹約しており、肉を口にするのは日曜日や収穫期くらいで、ふだんはバターミルクとじゃがいも、黒パンで暮らしていると伝えられている。ところが、ヨーロッパを駆け足で見て回るイングランドの旅行者の中には、こうした話だけを根拠に、大陸各国の農民は貧しく悲惨で、農業や社会の仕組みは失敗しており、労働者が恵まれるのはイングランドの体制だけだと言い切る人もいる。しかし実のところ、それは労働者が恵まれているかどうかにかかわらず、労働者が決してさらによくなろうとしない唯一の体制でもある。というのも、イングランドの労働者は、稼ぎをすべて使い切らずに残すことがありうるとは考えにくいため、倹約の兆しを貧困の兆しと習慣的に取り違えてしまうからだ。目に見える現象の真の意味を見極めなければならない。
そのため彼らは少しずつ資本を蓄え、最大の目標を自分の土地を持つことに置いている。彼らは小さな農場を買える機会があれば熱心に逃さず、すぐに購入に動く。その結果、競争で価格がつり上がり、土地が生む利回りは購入代金に対して年二パーセント前後にとどまる。こうして大規模な土地所有は次第に減り、土地は小区画に分割されて高値で売買される。一方で、住民の富と勤勉さは絶えず増しており、富は特定の個人に蓄積されるよりも、社会の幅広い層に行き渡っている。
これらの事実は広く知られており、誰でも確かめられるのに、フランドルの事例が小規模な自作地を勧める根拠としてではなく、むしろ警告として引かれているのは少なからず意外であるが、その理由として挙げられるのは、一八四六年から一八四七年にかけての凶年にブラバントと東フランドルの農民が困窮したことから、人口が過剰だったのではないかと推定する見立てにとどまっている。ところが、この問題に詳しく、特定の経済理論に偏らない記述によれば、困窮がどれほど深刻だったとしても、平時に小さな自作地の生産力が低く家族の需要を賄えないことが原因だったのではなく、自作地で自給作物を作る者は季節の変動による打撃を自ら引き受けざるを得ず、大規模農業者のように損失を価格に転嫁して消費者に負わせることができないという本質的な条件が、困窮を招いたのだという。一八四六年はあらゆる種類の穀物が部分的に不作となり、ジャガイモはほぼ全滅したのだから、六エーカーのうち半分を亜麻や大麻、油糧種子に充てていた場合に、一家の一年分の食料が不足したとしても、このような異例の災害下では不思議ではない。しかし、困窮したフランドルの農民を、数百エーカーを耕す英国の資本家農と対比させるべきではなく、仮に彼らが英国人であったなら、資本家農ではなく資本家の下で働く日雇いの農業労働者になっていたはずであり、不作の時期に日雇い労働者に困窮がないとは言い切れない。また、その年、小地主や小規模農業が存在しない国でも困窮がなかったわけではなく、ベルギーの困窮が他国に比べて不作の程度以上に深刻だったと考える理由は、現時点では見当たらない。
六
英仏海峡のチャネル諸島では、小作ではなく農民が土地を所有していることが生活をよくしているという証拠は決定的であり、その効果もはっきりしている。そこでここでは、これまでの引用に加え、現地での観察と、他者が提供する情報の丹念な検討にもとづく記述として、ウィリアム・ソーントン氏『農民所有者擁護論』からガーンジー島の報告を紹介する。同書は資料の信頼性と叙述の精密さ、整理の適切さの点で、この論点を扱う代表的な著作といえる。ソーントン氏は、限られた土地から市場に出る産物が英国でも例がないほど多いとし、耕作者が収穫物をすべて所有し、売るのも自分たちに不要な余剰分に限られる以上、貧困とは縁遠いことがうかがえると述べ、生活状態の満足さは見ればすぐにわかると記している。また、ヒル氏の「最も幸福な共同体はこの小さなガーンジー島にある」という言葉や、ジョージ・ヘッド卿の「どこへ行っても快適さが行き渡っている」という評言を引いている。英国からの訪問者がセント・ピーター・ポートの外に出てまず驚くのは、風景の中に家が密に点在して見えることで、英国なら中流の住まいに当たる家も少なくない一方、ほかの家々も農家と呼ぶには小さいのに日雇い労働者の家としては立派すぎて、誰が住んでいるのか見当がつきにくいという。島内には漁師小屋がわずかにあるほかは、英国の農場労働者に典型的な粗末な住まいは見当たらないとされ、元ベイリフのドゥ・リル・ブロック氏も「英国の粗末な小屋と、こちらの農民の家を比べてほしい」と語っている。乞食はまったく見られず、働ける者が救貧に頼らざるをえないほどの貧困も、物乞いと同じく例外的だという。貯蓄銀行の統計も生活の余裕を裏づけており、一八四一年の英国では人口ほぼ一、五〇〇万人に対し預金者が七〇万人未満で二〇人に一人、平均預金額は三〇ポンドだったのに対し、同年のガーンジー島では人口二六、〇〇〇人のうち預金者が一、九二〇人で、平均四〇ポンドだった。ジャージー島とオルダニー島でも、同様の傾向と状況が報告されている。
チャネル諸島の小規模農地の効率性と生産性について、ソーントン氏は十分な証拠を示し、その結果を次のように要約している。主要な二つの島では、農業人口密度が英国の二倍と三倍に達する。英国では耕作地二十二エーカーにつき耕作者は一人だが、ジャージーでは十一エーカーに一人、ガーンジーでは七エーカーに一人である。それでも両島の農業は、耕作者だけでなく非農業人口も養っており、その人口密度は英国の四倍、五倍に及ぶという。こうした差は土壌や気候の優位によるものではない。土壌はむしろ自然に貧しく、気候もイングランド南部より良いとはいえないためであり、全く農家による丁寧な管理と肥料の十分な投入によるとしている。小麦の収量差も明確で、一八三七年のイングランドの大農場では平均二十一ブッシェルにとどまり、州別の最高平均でも二十六ブッシェルを超えず、その後イングランド全体の平均として主張された最高でも三十ブッシェルだったのに対し、平均農場面積が十六エーカーのジャージーでは、一八三四年に平均三十六ブッシェルとイングリスが報告し、公的な統計表によれば一八三三年までの五年間で平均四十ブッシェルだったという。さらに、農場がより小規模なガーンジーでは、エーカー当たり四クォーターが良作とされるが、それでもごく普通の収穫だとも述べられている。地代についても、イングランドでは中程度の土地でエーカー当たり三十シリングが妥当とされるのに対し、チャネル諸島では少なくとも四ポンドで貸せないのは条件の悪い土地に限られるとされている。
七
小農による土地所有は不利だという議論では、しばしばフランスが根拠として持ち出される。そして、この制度のせいで農業が最悪の状態にまで荒廃し、土地の細分化によって農民が飢餓の瀬戸際に追い込まれた、あるいは追い込まれつつある、と繰り返し語られてきた。しかし、この通説が事実とは逆のまま広く流布しているのは説明しがたい。フランスの農業は革命以前からすでに劣悪で、農民、とりわけ小農の暮らしも深刻だったが、当時の農民が現在ほど広く土地所有者だったわけではない。それでも、革命前から小農が相当の土地を所有していた地域は各地に存在し、そうした地域には、劣悪な農業や広範な貧困という一般的なイメージから外れる例が多く見られた。この点で争う余地のない権威として挙げられるのは、むしろ小規模農場に頑固に反対していた近代イングランド農学派の中心人物、アーサー・ヤングの観察である。ヤングは一七八七年から一七八九年にかけてフランス各地を踏査し、耕作が際立って優れている光景に出会うたびに、その理由をためらいなく小農の土地所有に帰した。「ソーヴを出ると」とヤングは記し、「巨大な岩ばかりに見える広い土地に強く心を打たれた。だがその大半は囲い込まれ、驚くほど丹念に植え付けられていた。住民は勤勉さゆえに励まされるべきで、私が大臣なら支援する。自分の土地だと思うからこそ、岩だらけの土地でも肥沃に変え、周囲の荒れ地も庭園に変える」と述べ、ダンケルク近郊でも「ロッセンダールまで歩いてみよ。庭付きの小住宅が数多く並び、各戸が囲い込んだ一、二枚の畑を持つ。土は雪のように白い吹き砂で、本来は最悪だが、勤労で改良され、所有という魔法が砂を黄金に変える」と書き残した。さらにガンジュ周辺では、灌漑や段々畑の徹底ぶりを伝えたうえで、「あらゆる困難を押し流し、岩さえ緑で覆うほどの働きぶりがある。原因を問うのは常識への恥だ。所有の利益がこれを成した。人に荒れた岩でも確かな所有を与えれば庭園に変えるが、庭園でも九年の賃貸契約しか与えなければ荒れ地に変える」と結論づけている。
西ピレネー山脈のふもとの土地を描写するくだりでは、もはや推測や伝聞ではなく、現地で実際に見聞した知識にもとづいて語っている。ポーからモネングへ向かう一二マイルの道のりでは、石造りで瓦屋根の、堅固で隙間のない快適そうな農家が途切れず続き、暮らしにも不足がないように見えたという。どの家にも小さな庭があり、刈り込まれたとげの生け垣に囲まれ、モモなどの果樹はよく実り、生け垣には立派なオークの木が点在し、若木までも驚くほど丁寧に育てられており、こうした光景は持ち主の行き届いた手入れと目配りがあってこそ成り立つと見ている。どの家にも農地が付属し、区画はきちんと囲いで区切られ、麦畑の縁の草地は刈りそろえられ、区画から区画へ通る門も整えられていた。イングランドにも小地主が自営農を続ける地域はあるが、この水準に並ぶ例は多くないとし、土地は小所有者の手にありながらも、農場が狭すぎて過密で悲惨な人びとを生むほどには細分化していないと述べる。さらに、新築の家や厩舎だけでなく、庭や生け垣、戸口前の庭先、鶏小屋や豚小屋にまで、こぎれいであたたかく快適な雰囲気があるとし、自分の暮らしが九年の賃貸契約という一本の糸にかかっているなら、豚を快適にしてやろうなどとは考えないはずだとも指摘した。ベアルンはアンリ四世の揺りかごの地から数マイルの場所であり、農民の鍋に鶏が入るほどの豊かさは、その善政の恵みを受け継いだものではないかと示唆する。同様に、農場が小規模で小所有者が多いフランス領フランドルの農業の優秀さをたびたび取り上げる一方、同じ小所有中心でもペイ・ド・コーは綿織物工業が一帯に広がり、農業が副業にとどまるため振るわないと説明しつつ、同地はいまなお工業地帯で小所有者の国でありながら、作柄の見た目でも公的統計でも、現在ではフランス有数の耕作が行き届いた地域の一つとされるとも述べる。さらに、フランドル、アルザス、アルトワの一部、ガロンヌ川沿岸では、フランスにもイングランドに匹敵する農法があるとし、これらの地域とケルシーの広い範囲は、農場というより庭のように耕されていると評したが、それは土地所有が小さすぎるために庭のようになりすぎているのかもしれないとも言い添えている。こうした地域では、イタリアで長く行われながら当時のフランスでは一般に軽視されがちだった見事な輪作がすでに広がり、収穫が終わるやいなや次の作物をただちに播くという速い作付けの連続は、ライン川流域でも多くの観察者の目を引くのと同じ事実であり、しかもそれがこれ以上ないほどの完成に近づいているとする。そして、土を清め改良する作物を、土を荒らし疲弊させる作物の前に組み込むよう、各作物が適切に配分されているとき、こうした点こそがよい農業にとって最も肝要だと強調している。
ただし、小農による土地所有についてのアーサー・ヤングの証言を最初から最後まで一様に好意的だと受け取るのは誤りである。ヤングはロレーヌやシャンパーニュなどで農業が不振で、小規模地主が深刻な困窮に陥っていると述べ、その主な原因を土地の過度な細分化に求めた。彼は渡仏前には、たとえ小規模でも自分の土地なら十分に耕作でき、地代の負担がない分だけ改良にも取り組めて、力強い農業経営を続けられるほど生活に余裕があるはずだと考えていたが、フランスで見た実情はその見方を大きく改めさせたという。フランドルでは三〇から一〇〇エーカーの所有地で見事な農業を見た一方、ほかの地域で一般的なような細かく切り分けられた区画は、同地ではあまり見られなかった。アルザスやガロンヌ流域のように、ほとんど努力を要しないほど土地が肥沃な場所では、小規模所有地でも手入れが行き届いた例があり、ベアルンで彼の目を引いたのも、身なりのよさや清潔さ、暮らしの安定とゆとりに支えられた、四〇から八〇エーカーほどの「極小ではない」所有地であった。こうした少数の例外を除けば、彼が小規模所有地で敬意に値すると感じたのは、ほとんど途切れない勤勉さくらいで、農業の水準そのものは多くの場合きわめて劣悪だったが、所有者の働きぶりは称賛し尽くせないほどだと強調している。そのうえでヤングは、土地所有こそが過酷で絶え間ない労働を最も強く促す動機であり、耕地を山頂にまで広げるには隣接する村人が土地を所有できるようにするのが最も確実だとして、ラングドックなどの山地で人々が土を籠に入れて背負い運び、自然が土を与えなかった場所に土壌を作り出してきた実例を挙げた。
したがって、大規模集約農業を唱えてきたこの著名な農学者の経験によれば、自作農が耕す小土地所有は、あまりに小さくないかぎりその効果はきわめて良好であるが、家族の時間と注意を十分に振り向けられないほど小さいのは望ましくない。実際、土地がごく小区画に分かれていた時期には、農民の手元に多くの手すき時間が残ったとされ、彼はそのことをもっともだとしてしばしば不満を述べ、農民が知識と工夫の及ぶかぎりあらゆる方法で小さな家産の改良に熱心に励んでも、それでも埋められない手すきが生じたと指摘した。この認識から、土地分割には法律で上限を設けるべきだと勧めており、資本の蓄積状況や主要作物の性質から見て望ましい水準を超えるまで、いわゆるモルセルマン的な細分化がすでに進んでいながら、なお進行し続けている国があるなら、その国々ではこの提案も必ずしも擁護しがたいものだとは言い切れない。たとえ完全な所有権があっても、快適に生活を支えられる面積に足りない小区画を各農民に与える制度では、小土地所有の欠点ばかりがあり、利点はほとんど得られない。なぜなら、農民は土地の産出だけでは困窮して暮らすか、そうでなければ土地を持たない場合と同じように恒常的に雇い仕事の賃金に頼らざるをえず、しかも周囲の保有地も同程度の小区画ばかりなら、そもそも雇い仕事を見つけられる見込みが乏しいからである。結局、自作農的な小土地所有の利点は、細分化が行きすぎないこと、すなわち、その土地からその人びとが得られる生産に比して扶養すべき人数が多すぎないことを条件としており、問題は人口に帰着する。小土地所有は過度の人口増を促す刺激なのか、それともそれを抑える歯止めなのか。
