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J.S.ミル『経済学原理』第4巻第4章【61/75】

J.S.ミル『経済学原理』の第4巻第4章「利潤が最低水準へ近づく傾向」をAI翻訳しました。誤訳や読みづらいところが残っているかもしれませんが、温かい目で読んでいただけたらうれしいです。

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この翻訳について

  • 目的:個人の学習・読書用の試訳です。学術的な厳密さまでは保証できません。

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  • 出典:原文はこちら

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AIによる要約

利潤低下の基本原理

  • 【主張】利潤低下の根本原因は、資本家間の競争による一般的な物価下落ではなく、賃金を規定する食料・必需品の生産条件や賃金水準の変化にある。
    • 【根拠・内容1】特定部門への資本流入で個別価格が下がることはあっても、全商品の一般的値下がりだけでは利潤のみの低下を説明できない。
    • 【根拠・内容2】他財価格の下落と比べて労働の貨幣価格が下がらない場合、実質的には賃金上昇が起きており、利潤低下の真因は賃金側にある。
    • 【根拠・内容3】一般物価は需要や貨幣量にも左右されるため、資本増加だけから恒常的な一般価格下落を導くことはできない。
    • 【根拠・内容4】現実にも、生産改良の進んだ財は安くなっても、食料のように上昇する財もあり、「資本競争→一般値下がり→利潤低下」という説明は事実に合わない。
    • 【根拠・内容5】より妥当な説明は、劣等な土地への耕作拡大などによる食料生産費の上昇が賃金を押し上げ、利潤を圧迫するという見方である。

既存学説との整合と「雇用の場」

  • 【主張】利潤低下は、資本と労働の増加だけでなく、それらを収容する土地と市場という「雇用の場」の限界によって進むのであり、この見方は新奇な異説ではなく正統派原理の展開として理解される。
    • 【根拠・内容1】生産は国内土地と海外市場の広さに制約され、その限界に近づくほど資本の追加運用が難しくなり利潤は低下する。
    • 【根拠・内容2】利潤回復には、肥沃な土地の獲得や海外市場・供給源の拡張によって食料・原材料の取得可能性を広げる必要がある。
    • 【根拠・内容3】この考え方は大筋で妥当だが、既存理論と対立する新説ではなく、賃金・土地制約・資本蓄積の原理から自然に導かれる帰結である。
    • 【根拠・内容4】先行研究の中には混乱もあるが、科学的に整理された議論は本書の原理と整合的にこの問題を説明している。

最低利潤率と停滞状態

  • 【主張】社会には資本蓄積を続けるために必要な最低利潤率があり、利潤がその水準を下回れば資本増加は止まり、社会は停滞状態に入る。
    • 【根拠・内容1】この下限を決める第一の要因は蓄積欲の強さであり、人々が現在消費を犠牲にして将来利益を求める程度が貯蓄を左右する。
    • 【根拠・内容2】第二の要因は投資の安全性であり、資本運用に伴う危険や不確実性を補うだけの利潤がなければ資本は生産に向かわない。
    • 【根拠・内容3】単なる備えとしての貯蓄だけでは国民資本の持続的増加は支えにくく、生活向上や家族保障を可能にする利潤率が必要である。
    • 【根拠・内容4】文明の進歩は制度・治安・商慣行の改善や将来志向の強化を通じて必要最低利潤率を引き下げる。
    • 【根拠・内容5】最低利潤率は国や時代で異なるが、下限そのものが存在する点は共通している。

先進国で停滞が近づきやすい理由

  • 【主張】長期にわたり多額の貯蓄と蓄積を行ってきた先進国では、利潤率は通常すでに最低水準近くにあり、対抗要因がなければ停滞状態に比較的早く接近する。
    • 【根拠・内容1】大量の新資本は一般的供給過剰を生むのではなく自ら需要を作るが、その運用を可能にするにはより低い利潤率を受け入れねばならない。
    • 【根拠・内容2】人口が増えなければ賃金上昇が直接利潤を圧迫し、人口が増えても農業改良がなければ食料生産費上昇を通じてやはり利潤は低下する。
    • 【根拠・内容3】したがって、継続的蓄積には発明、教育改善、生産的人口の増加など、労働効率や供給条件を改善する力が不可欠である。
    • 【根拠・内容4】先進国の停滞接近は避けがたい傾向だが、実際には複数の対抗要因がこれを遅らせる。

利潤低下を緩和する対抗要因

  • 【主張】利潤低下の趨勢は、資本破壊、生産改良、外国貿易、資本輸出という対抗要因によって緩和され、停滞状態への到達は大きく先延ばしされる。
    • 【根拠・内容1】恐慌や投機崩壊は資本の一部を損失・国外流出・非生産的消費へ向かわせ、過剰蓄積を整理して一時的に利潤を回復させる。
    • 【根拠・内容2】生産改良は、とくに労働者が消費する財を安くする場合に貨幣賃金を引き下げ、利潤率を高めてより大きな資本蓄積を可能にする。
    • 【根拠・内容3】富裕層向けぜいたく品の低廉化は利潤率を直接上げないが、同じ生活をより低所得で維持できるため、低利潤下でも貯蓄を促す効果を持つ。
    • 【根拠・内容4】外国貿易が利潤低下を抑えるのは、海外市場拡大そのものではなく、食料・必需品・その生産手段を安く輸入して労働費を下げる場合である。
    • 【根拠・内容5】中間財の低廉化も、農具や機械を通じて間接的に食料費・労働費を引き下げる限り、利潤率維持に寄与する。

資本輸出と実務上の最低利潤

  • 【主張】先進国では、理論上の最低利潤率に達する前に、国内利潤が海外に比べて低くなれば新規資本は国外へ向かうため、現実に重要なのは「実務上の最低利潤」である。
    • 【根拠・内容1】資本輸出は国内の過剰蓄積を緩和し、国内利潤を圧迫する資本増加分の一部を国外へ移すことで利潤低下を食い止める。
    • 【根拠・内容2】国外に移った資本は植民地建設や農業拡大・改良に用いられ、安価な食料や原料の供給源を形成する。
    • 【根拠・内容3】その結果、国内資本は輸入原料の代価を支払う工業生産など新たな活動範囲を得て、むしろ運用の余地を広げることがある。
    • 【根拠・内容4】一定範囲では、海外へ向かう資本が多いほど国内で維持可能な資本も増えるという逆説的関係が成立する。
    • 【根拠・内容5】したがって、豊かで成長を続ける国では、蓄積停止を直接もたらす理論的下限よりも、資本流出を招く相対的な利潤下限こそが実際上の制約となる。

本文

前章で述べたとおり、社会の発展にともない利潤が低下しやすくなる傾向は早くから産業や商業の論者にも認識されていたが、当時は利潤を左右する法則が理解されていなかったため、この現象は誤った原因に帰されがちだった。アダム・スミスは利潤が彼のいう「資本の競争」によって決まると考え、資本が増えれば競争が強まり利潤は下がると結論づけたものの、ここでいう競争が具体的に何を指すのかは明確ではない。スミスは『資本利潤』の章で、多くの富裕な商人の資本が同じ取引に向かえば相互の競争によって利潤が下がり、同じ社会で営まれるあらゆる取引で同様に資本が増えれば、その競争も同じ効果を生む、と述べている。この記述からは、競争が価格を押し下げ、その結果として利潤が縮むという見方が読み取れる。たしかに、特定の部門に資本が流入すれば当該商品の価格が下がり、利潤が低下しやすいが、価格下落が特定の商品に限られる場合と、すべての商品に及ぶ場合とは分けて考える必要がある。すべての商品が一斉に下がるなら、実際には名目上しか下がらず、貨幣で計算しても、収入が減るのと同じだけ支出も減るため、利潤を一方的に圧迫するとは言いにくい。もっとも、ほかのものの価格が下がっても労働の貨幣価格だけが下がらない場合は別であり、このとき実際に起きているのは賃金の上昇であって、利潤を押し下げる要因は価格下落そのものではなく賃金上昇である。さらに、資本間の競争が強まれば物価が全面的に下がるという前提自体も成り立ちにくい。価格は売り手どうしの競争だけでなく買い手どうしの競争、つまり需要にも左右され、貨幣価格を左右する需要とは共同体が商品購入に回すつもりで手元に持つ貨幣の総量を指すため、その総量の比率が商品量に対して低下しない限り、一般的な価格下落は起きない。資本が増えて商品の生産が拡大すれば、その相当部分は貨幣の生産や輸入にも向かい、貨幣量も通常は商品量と同じ比率で増える。仮にそうならず、貨幣だけが理論の想定どおり恒常的に購買力を強めるなら、貨幣を生産・輸入する側の利潤が増え続けることになり、労働と資本が他産業からその仕事へ移らないはずがない。一般的な価格下落と貨幣価値の上昇が現実に起こるとすれば、鉱山の枯渇が徐々に進んで生産費が上がる場合に限られる。

したがって、資本の増加が貨幣で見た価格の一般的な下落を生む、または生みやすいという考えは、理論上成り立たない。また、資本が増えるにつれて物価が全般的に下落したという事実も認められない。社会の進歩に伴って値下がりが観察されるのは、生産の改良が金銀など貴金属の生産における改良を上回った品目に限られ、紡績品や織物などがその例である。一方で、下がるどころか上がった品目もあり、その背景には、金銀の生産費に比べてそれらの生産費が相対的に増えたことがある。代表例は食料品で、はるか以前の時代と比べると上昇しているのが分かる。以上を踏まえると、資本の競争が価格を引き下げ、その結果として利潤を低下させるという説は、原理の面でも健全とは言えず、事実とも一致しない。

ただし、アダム・スミスが本当にその学説を採っていたかどうかは確かではない。この点に関する彼の言い回しは揺れ動いて一貫せず、十分に練られた明確な見解を持っていなかったことを示している。彼はときおり、資本どうしの競争が利潤を押し下げるのは賃金を上昇させるからだ、と考えているようにも見える。一方で、新植民地の利潤率に触れた箇所では、この問題の完全な理論をつかみかけているように見える。「植民地が拡大するにつれて、資本の利潤は次第に減少する。最も肥沃で立地のよい土地がすべて占有されると、土質と立地の両面で劣る土地を耕作する者は、より少ない利潤しか得られない。」もしアダム・スミスがこの問題をさらに長く考察し、各所で異なる角度から得たさまざまな断片的な見通しを互いに整合させて体系化していれば、資本の増加に通常伴う利潤低下の真の原因は、この最後の説明にあるのだと理解したはずである。

ウェイクフィールド氏は『アダム・スミス注解』や植民について論じた重要な著作によって、この問題の見取り図をいっそう明確に示し、おおむね正しい推論を積み重ねて、実務上重要で妥当と思われる結論に到達している。しかし、その有益な考察を先行研究の成果と結び付け、ほかの真理とも矛盾しない形で整合させる点では、十分に成功しているとは言いにくい。チャーマーズ博士の「資本の増加と限界について」の章と、それに続く二章に見られる理論の一部は、方向性と趣旨においてウェイクフィールド氏の見解と一致しているものの、博士の考えは、いつものように一見きわめて明快に述べられていながら、実際にはこの問題についてアダム・スミス以上に混乱しており、整理も不足していて、しばしば反論されてきた「資本の競争が一般物価を引き下げる」という見方に、より強く影響されている。貨幣の問題は、この鋭敏で精力的な著者が政治経済学の中で周到に研究した分野には、含まれていなかったようである。

ウェイクフィールド氏の利潤低下の説明は、要するにこうである。生産は資本量や労働量だけで決まるのではなく、資本が働ける「雇用の場」の広さにも左右される。資本の雇用の場は二つあり、一つは国内の土地、もう一つは自国の工業製品を受け入れる海外市場の容量である。土地の広さに限りがあれば、利潤を得ながら雇用されうる資本量にも上限が生じる。資本量がこの上限に近づくほど利潤は下がり、上限に達すれば利潤は消滅する。そして利潤は、肥沃な土地を獲得するか、海外で新たな市場を開き、国内資本の産物と引き換えに食料や原材料を購入できるようにするなどして、雇用の場を拡張することによってのみ回復しうる。これらの命題は私の考えでは大筋で正しく、また科学的というより大衆的かつ実務的な用途に合わせた言い回しとしても、特に異論はない。私がウェイクフィールド氏の誤りだと思うのは、同氏が自説を先行する政治経済学者の最良の学派の原理と矛盾するものだと考えた点であり、実際にはそれはそれらの原理から導かれる帰結である。ただし、その帰結を先行の政治経済学者自身が常に認めてきたとは限らない。

これまで私が目にした資料のなかで、この主題を最も科学的に扱っているのは、ウィリアム・エリス氏が『ウエストミンスター・レビュー』一八二六年一月号に掲載した、機械の影響に関する論考である。この論考はウェイクフィールド氏にはおそらく知られていなかったが、彼とは異なる道筋をたどりながらも、主要な結論のいくつかでは彼に先んじていた。しかし、この論考は匿名で定期刊行物に載ったうえ、当時の政治経済学の水準を大きく超えるほど先進的だったこともあって、ほとんど注目されず、世間の関心も集まらないまま顧みられなかった。エリス氏のこの主題に対する見解では、ウェイクフィールド氏やチャーマーズ博士の推論が提起した諸問題や困難は、本書で示した政治経済学の諸原理と整合するかたちで解決される。

どの時代のどの地域にも、人々が貯蓄を増やし、その資金を生産に回そうと思うために必要な最低限の利潤率があり、その水準は状況によって変動するものの、決め手は大きく二つに整理できる。第一は蓄積への実質的な欲求の強さで、目先の利益より将来の利益をどれほど重く見るかという評価が、貯蓄するかどうかを左右する。第二は資本の安全性で、貯蓄の量そのものよりも、貯蓄を生産的に用いるときに事業へ投じた資本がどれほど保全されるかが問われ、投資するかどうかの判断に強く影響する。社会が不安定であれば貯蓄意欲も揺らぐが、蓄えがあると見なされるだけで危険を招くことがある一方、危険を避ける有力な備えにもなるため、この点での影響は差し引きでおおむね相殺される場合もある。しかし、資金を自分で資本として運用する場合でも他人に貸して運用させる場合でも、手元で遊ばせておく場合に比べて追加のリスクは避けられない。この追加リスクは社会の不安定さに応じて大きくなり、二〇、三〇、五〇パーセントに達することもあれば、一、二パーセントにとどまることもあるが、いずれにせよ〇にはならない負担が生じるため、それを補うだけの利潤の見込みがなければ、人々は資金を動かしにくい。

資本が利潤を生まない状況であっても、一定額の貯蓄を促す動機は残る。好況のうちに不況への備えを整え、病気や老い、体力の衰えに備え、人生の後半における余暇と自立の手段を確保し、子どもが人生の初めに社会に出て自立を始める際の助けにする、といった目的である。しかし、こうした目的だけを見据えた貯蓄は、社会に恒常的に存在する資本の総量を大きく増やしにくい。多くの場合、ある時期に蓄えた分を別の時期に取り崩すことを前提とし、あるいは子どもが完全に自立する前に必要となる支出を先回りして用意するにすぎないからである。国民資本を押し上げる貯蓄は、暮らし向きをよくしたいという願い、または子どもなどに、本人たちの働きや努力に左右されにくい備えを残したいという意向から生まれやすいが、その強さは、同じ節制の量と期間で目的をどれほど達成できるかに左右され、結局は利潤率の影響を受ける。各国には、ある利潤率があり、それを下回ると、単に自分が豊かになるため、あるいは他者を自分より恵まれた状態にするためだけに貯蓄しようという動機を、人々が一般には持ちにくくなる。したがって、資本の蓄積によって全体の資本を増やすには一定の利潤率が必要であり、それは平均的な人が、消費を控える見返りとして、リスクへの十分な備えを加味しても釣り合うと考える水準である。もっとも、蓄積への意欲が平均を上回り、この水準を下回っても貯蓄する人は常にいるが、その役割は、支出や享楽の志向が平均を上回って貯蓄せず、場合によっては受け取ったものまで浪費する人々によって生じる不足を埋める程度にとどまる。

これを下回ると資本のさらなる増加と両立しない利潤の下限、つまり最低利潤率は、社会の発展段階によって上下し、現代文明に特徴的な社会の進歩はそれを引き下げる方向に働く。進歩の第一の効果は社会全体の安全の向上であり、戦争による破壊や、公私の暴力による略奪は起きにくくなる。さらに、教育と司法運営の改善、あるいはそれらが不十分な場合でも世論への配慮が増すことで、詐欺や無謀な経営が抑えられ、貯蓄を生産的用途に投じる際の危険は小さくなるため、それらを補償するのに必要な利潤率は一〇〇年前ほど高くなくてよく、今後はさらに低くて済むようになる。第二に、文明化は人々を目先の衝動や誘惑から遠ざけ、欲求や計画を遠い将来へ先送りする習慣を育てるので、将来を見通しやすい社会になり、産業生活によって暮らしが安定して変動が減り、長い努力なしに大きな報いを得にくくなるほど、現在の享楽を抑えて将来の目的に回すことがいっそう受け入れられやすくなる。こうした変化は必ずしも蓄積欲そのものを強めるとは限らないが、少なくとも現在の種類の社会進歩は蓄積の障害を弱め、貯蓄して蓄積する誘因として人々がどうしても必要だと考える利潤水準を下げている。実際、いまのイングランドでは三から四パーセントの利潤、または利子でも資本を増やす誘因として十分である一方、ビルマでは三〇から四〇パーセント、ジョン王の時代のイングランドでも同程度が必要とされ、前の世紀のオランダでは政府証券で二パーセントの利回りでも資本は減らず、むしろ増加し得た。最低利潤率はこのように時代や地域によって変動するため、特定の時点でそれを正確に定めることは不可能だとしても、その下限は常に存在し、いったんそこに達すると当面これ以上資本は増加せず、政治経済学者が「停滞状態」と呼ぶ段階に至る。

本章で説こうとする基本命題は次のとおりである。長年にわたり生産が大きく、貯蓄の元手となる純所得も大きいため、貯蓄を通じて毎年多額の資本を追加し蓄積できる手段が長く存在してきた国では(アメリカのように、未開墾で未利用の肥沃な土地がなお豊富に残り、拡大の余地が大きい国は別として)、利潤率はふだんから最低水準のほんの手前にとどまりやすく、その国は定常状態のまさに瀬戸際にあるかのような様相を帯びる傾向がある。とはいえ、ヨーロッパの主要国のいずれかで近い将来にこの段階が現実に到来すると言い切るつもりはなく、また、現在の資本が、貯蓄と蓄積を促すのにかろうじて足りる程度を大きく、あるいはかなり上回る利潤をなお生んでいることを否定するものでもない。言いたいのは、資本がいまの増加率のまま増え続け、その間に利潤率を押し上げる要因が生じなければ、利潤率は短期間で最低水準まで下がりうる、という一点である。境界そのものが不断に開かれて新たな余地を残さないかぎり、資本の拡大はまもなく最終的な限界に突き当たる。

イングランドでは、危険がほとんどない政府証券の通常の金利は三%強と推定できる。したがって、政府証券以外の投資で得られる利子や利潤は、そのうち才覚や努力に対する正当な報酬に当たる分を除いた部分が、資本が負うと考えられる危険の度合いに見合うだけ、この水準を上回る必要がある。ここで、危険に備える保険分を除いた純利潤が一%でも貯蓄を促すには十分だが、一%を下回ると十分ではないと仮定する。この前提に立てば、資本が現在のペースで毎年増え続け、その効果を打ち消す事情が生じなければ、純利潤率はわずか数年のうちに一%まで押し下げられると考えられる。

この仮説の条件を満たすには、海外投資のための資本輸出が完全に停止すると仮定しなければならない。すなわち、鉄道建設や対外融資のために資本が海外へ送られることもなく、移民が資本を携えて植民地や他国へ移ることもなく、銀行家や銀行、商人や商社が海外の取引先に対して新たな前貸しや立替え、信用供与を行うこともない。さらに、政府が非生産的な支出を賄うために新たに借り入れることも、抵当融資を含む各種の新規借入が生じることも一切ないことが前提となる。加えて、利益率が平常的に低い局面でも、安全な道では得られないより良い収入を期待して事業に手を出し、その失敗や破綻によって資本を失うといった浪費も起きないとしなければならない。そのうえで、社会全体の貯蓄は毎年、国内の真に生産的な用途にすべて投じられ、産業上の発明によって新たな投資の道が開かれることも、既知の最良の工程や方法が劣った工程や方法をより広く置き換えることもない、という前提を置くのである。

毎年これほど大量の新しい資本を吸収し、それに見合う採算の取れる投資先や、十分な報酬の得られる雇用を見つけるのは大変難しいだろうと多くの人は言い、その結果、かつて「一般的な供給過剰」と呼ばれた状態、すなわち商品が生産されても売れ残り、あるいは損失を出してようやく売れる事態になると結論づけがちである。しかし、この問題についてすでに十分に検討したとおり、支障はそのような形では現れない。困難は市場の不足、つまり買い手がいないことにあるのではない。新しい資本が多様な業種や用途、職種や事業に適切に配分されるなら、それは自らの生産物に対する需要を生み出し、したがって生産物のどの部分も従来より長く手元に滞留する理由はない。実際に起こるのは、この資本を運用するには利潤率の急速な低下を受け入れざるを得ず、それを受け入れないかぎり、この資本を用いて事業を続けることは、困難というより不可能になるという点である。

資本が増えると、人口も増える場合と増えない場合があるが、人口が増えなければ賃金が上がり、増えた資本は同じ人数の労働者に対するより多い賃金として配分されることになる。しかし、労働量が以前より増えず、労働の能率を高める改善もないなら生産物は増えないため、資本がどれほど積み上がっても総収益が同じ水準にとどまるかぎり、各年の貯蓄は翌年以降の利潤をその分だけ押し下げる。すると利潤は、追加の資本の増加が止まる水準までほどなく低下し、資本の増加自体も止まる。したがって、人口の増加を大きく上回る資本の伸びは、発明や発見、教育の改善による効率向上が伴うか、遊休者や非生産的労働者の一部が生産的な労働者となるのでないかぎり、いずれ限界に達して長続きしない。

人口が資本の増加に比例して増えたとしても、利潤率の低下は免れない。人口の増加は農産物の需要を押し上げるが、産業上の改良がなければ、その需要は生産費の上昇を伴ってしか満たせず、条件の悪い土地の開墾か、既耕地でより手間と費用のかかる集約的な耕作が必要になる。そうなれば労働者の生活費が上がり、労働者が生活水準の低下を受け入れないかぎり、利潤は縮小する。特にイングランドのような古い国で、国内農業の改良が止まり、しかもイングランド向けの海外生産も増えないとすれば、利潤率の低下は非常に速い。食料供給を増やすこれら二つの道が閉ざされ、人口が一日一、〇〇〇人の割合で増え続ければ、現時点の知識で耕作できる未利用地はまもなく耕作され尽くし、生産費と食料価格が大きく上がる。増えた出費を補うのに必要な名目賃金が引き上げられれば、利潤率はほどなく最低水準に達する。名目賃金が上がらないか、上がってもそれが小幅にとどまれば、利潤率の低下は遅くなるが、労働者の生活条件を悪化させて得られる余地はごく狭い。一般に労働者は大きな切り下げには耐えられず、耐えられる場合でも必要とするものの水準が高く、それを受け入れない。したがって、イングランドのような国では、現在の年々の貯蓄が続き、利潤を押し下げる貯蓄の自然な作用を抑えている諸要因が失われれば、利潤率は短期間で最低水準に至り、当面はそれ以上の資本蓄積が止まるとみられる。

それでは、利益率を低下させようとする傾向に対して、現状のもとでそれとおおむね拮抗する歯止めとなる事情とは何か、また、本国で毎年生じる巨額の貯蓄が、利益率を常に近づきつつある最低水準へさらに押し下げることを、なぜそれほど進めないのかを、具体的な要因に分けて明らかにし、検討する。ほかの条件に任せれば、利益率はそれだけで速やかにその水準に達するはずであり、これに抵抗する力は幾種類かに分けられる。

まず注目されるのは、あまりに単純で目立つために、一部の政治経済学者、特にシスモンディやチャーマーズが、ほかの要因をほとんど顧みずに重視してきた現象である。すなわち、過剰取引と無謀な投機が広がる時期、そしてそれにほぼ必ず続く商況の急反転において資本が浪費される点である。この時期に生じる損失の多くは、消えてなくなるというより、賭けに負けた金が勝者へ渡るように、より成功した投機家へ移るにすぎないとも言えるが、そうした移転のかなりの部分も、値上がりした外国商品を異常な量で慌てて買い付けることで、外国へ流出してしまう。さらに、完全に無駄になる資本も少なくない。鉱山開発や鉄道、橋の建設など、採算が不確かな事業が相次いで着手され、投じた資本が回収できない、あるいは回収できても支出に見合わない例が目立つ。市場が必要とする量を超えて工場が建ち、機械が据え付けられ、需要不足で操業できないこともあるし、仮に操業しても、資本は流動資本から固定資本へ転化して動きにくくなり、賃金や利潤に影響を及ぼす力を失う。加えて、過剰取引のあとの停滞期には資本の大きな非生産的消費が生じる。事業所は閉鎖されたり、利潤の出ないまま操業が続けられたりし、解雇も相次いで、各層で所得を失った多くの人々が貯蓄を取り崩して暮らすことになるため、危機が過ぎ去ったあとには多かれ少なかれ困窮する。こうした商況の急反転の効果は以上のとおりであり、しかも、この急反転がほぼ周期的に起きるのは、ここで論じる利潤の傾向そのものの帰結である。危機が起きないまま数年が過ぎるころには追加の資本が多く蓄積され、これまでの利潤水準ではもはや投資できなくなるため、公債などの公的証券は高値となり、最も確実な商業信用に対する金利は著しく低下し、事業に携わる人々のあいだには「もうからない」という不満が広がる。これは、もし対抗要因がなければ、利潤がいかに速やかに最低水準に達し、資本が停滞状態に至るかを示しているのではないか。しかし、安全で確実な利得が縮むほど、人々は損失の危険を承知のうえでより高い利潤を期待させる計画に耳を傾けやすくなり、投機が起きる。続く急反転とともに、資本の相当部分が失われるか外国へ移転し、利子と利潤が一時的に上向いて新たな蓄積の余地が生まれ、同じ循環が繰り返される。

これは、利潤が最低水準へと低下し続ける傾向を途中で食い止めるうえで重要な要因の一つであることは確かである。すなわち、利潤を押し下げている蓄積資本の一部が機会あるごとに整理されることで、下落が止まる面があるのは確かだが、一部の論者の言い方から受け取られがちなように、これを最大の原因とみなすのは適切ではない。もしそれが最大の原因であるなら、その国の資本は増えにくいはずだが、英国では資本が大きく、しかも速いペースで増えている。ほとんどすべての税で税収が増え、国富の増大を示す兆しが絶えず強まり、人口が急増しているうえ、労働者の生活水準も悪化ではなく、全体として改善していることが、その根拠である。これらの事実は、どれほど深刻な商業恐慌であっても、前回の恐慌以降に新たに蓄積された資本のすべてを失わせるまでには至らず、利潤をそれ以上押し下げない範囲であっても、増え続ける資本が利益を生む投下先は常に見いだされるか、あるいは新たに作り出されることを示している。

これによって、対抗要因の第二である生産の改善に移る。生産の改善は、ウェイクフィールド氏のいう「雇用の領域」を広げる、すなわち、労働者の生活習慣や必要水準、要求水準がそれに見合って同じ割合で引き上げられないかぎり、利潤率を低下させずに、より多くの資本を蓄積し、投入し、雇用に回すことを可能にする。ただし、安くなった分の利益を労働者階級がすべて受け取り、つまり貨幣賃金が下がらない場合には、利潤は増えず、利潤低下の傾向もその進み方も弱まらない。これに対して、生活状態の改善に見合って人口が増え、その結果として以前の状態に戻るのであれば、利潤は上がる。労働者が消費する品を安くする発明は、必要水準や要求水準が同程度に引き上げられないかぎり、時間の経過とともに貨幣賃金を引き下げ、そのことによって、利潤が以前の水準まで下がりきる前に、より多くの資本を蓄積し、投入して、雇用に回せるようにする。

富裕層だけが消費する品目にのみ影響する生産の改良は、ほかの場合とまったく同じ形では作用しない。たとえばレースやビロードが値下がりしても労働費が下がるわけではなく、利潤率を押し上げて利潤率の最小限に達する前に、より大きな資本を受け入れる余地を広げる道筋も示せない。しかし、その効果は実質的には同等であり、利潤率の最小限を下げるか、少なくとも下げる方向に働く。第一に、消費財が安くなるほど、従来の生活水準を変えなくても手元に余りが生じ、すべての消費者で貯蓄の動機が強まるためであり、もともと生活に苦しんでいないかぎり、その余りの少なくとも一部を貯めるのに大きな我慢や強い自己抑制は要らない。第二に、同じ暮らしに必要な所得が少なくなるほど、より低い利潤率でも資本を積み立てようとする傾向が強まるためであり、年収五〇〇ポンドで以前は年収一、〇〇〇ポンドでしかできなかった暮らしができるなら、後者では見通しが遠くて貯蓄に踏み切れなかった人の一部が、前者を目標に貯蓄を始めることがある。したがって、ほぼどのような商品の生産でも改良は、定常状態に至るまでに越えるべき隔たりをある程度広げる方向に働くが、その効果は労働者が消費する品目での改良のほうがはるかに大きい。労働者が消費する品目での改良は、低い利潤でも蓄積を促すだけでなく、利潤率そのものも押し上げるからである。

生産の改良と同じ効果をもつのは、外国から安価な商品を入手する新たな手段を得ることである。生活必需品が値下がりするなら、その原因が国内での改良であっても、国外からの輸入であっても、賃金と利潤への影響はまったく同じである。労働者がその利益のすべてを賃金として受け取り、慣行的な生活水準を引き上げてそれを維持しないかぎり、労働費用は下がり、利潤率は上がる。食料を低価格のまま、増え続ける人口に向けて継続的に輸入できるかぎり、人口と資本の増加による利潤率低下の傾向は抑えられ、利潤率が最低水準に近づかないまま資本蓄積を進めることができる。この点を根拠に、穀物法の撤廃が、利潤率を低下させないまま資本が急速に増える長期にわたる時代をこの国にもたらしたと考える人もいる。

この見通しの妥当性を検討する前に、一般に語られている考え方と大きく異なる重要な点を一つ確認しておきたい。外国貿易は、資本の雇用範囲を必ずしも広げるものではなく、国内産品の販路が海外に開けたとしても、それだけで利潤率が上がるとは限らない。輸出の見返りが富裕層向けのぜいたく品にとどまるなら、いかなる資本家の支出も減らず、利潤もまったく増えず、利潤を下げずに追加の資本を蓄積する余地も生まれない。定常状態への到達が遅れるとしても、それは、同じ程度のぜいたくをより低い費用で享受できる見込みが、従来より低い利潤でも新たに貯蓄をしようとする動機を人びとに与える場合に限られる。外国貿易が、利潤を据え置いたまま追加の資本を蓄積する余地を生むのは、生活必需品や労働者が日常的に消費する品をより低い費用で入手できるようにする場合であり、その方法は、当該品を直接輸入する場合と、それらを生産するための手段や設備を輸入する場合という二とおりである。鉄が安くなることが、ある程度、穀物が安くなるのと同じように利潤と労働費用に作用するのは、農具や衣料用機械が安くなり、その結果、同様の作用が及ぶためである。これに対して、労働者が消費するものの価格を直接にも間接にも下げない外国貿易は、同じ条件下の発明や発見と同様、利潤を押し上げたり、利潤の低下を遅らせたりはしない。外国市場向けの財の生産が国内向けのぜいたく品の生産に取って代わるだけなら、資本の雇用は以前より多くも少なくもならない。とはいえ、必需品や原材料をすでに輸入している国では、輸出が増えるほど輸入を以前より有利な条件で入手できるため、これらの条件に当てはまる輸出貿易はほとんど見当たらない。

現在のイングランドのように、あらゆる種類の食料や、生活必需品およびその原材料を世界各地から自由に輸入できる国では、利潤率を維持する条件はもはや自国の土地の肥沃さだけに依存せず、世界全体の土地の肥沃さに依存するようになる。そこで、資本の増加にともなって利潤が低下しやすくなるという傾向に対して、こうした手段がきわめて長期にわたり、どの程度まで頼りになり、どこまで対抗しうるのかを考えなければならない。

資本が増える局面では、人口も増えると見込まなければならない。そうでなければ、食料がいくら安くなっても、その結果として賃金が上がり、利潤が圧迫されるからである。ここで、グレートブリテンの人口が現在の増加率のまま増え、前年を大きく上回る輸入食料を毎年求め続けると仮定する。輸出国がこの増加分を年々供給するには、農業を大幅に改良して生産性を高めるか、食料生産に追加で多額の資本を投じるかの二つしかない。前者は、欧州の食料輸出国では農業従事者の技術や知識が未熟なため、きわめて遅い過程になりがちである。一方、英国の植民地や米国では、各地の条件に合う範囲で、これまでの改良の多くはすでに取り入れられている。となれば手段として残るのは耕地の拡大である。しかも、そのような拡大を可能にする資本の大半は、なお新たに形成されねばならない。ポーランド、ロシア、ハンガリー、スペインでは資本の増加がきわめて遅く、米国は速いものの人口の増加を上回るほどではない。現時点で、年々増える対英食料輸出のために利用できる主な財源は、米国の年間貯蓄のうち、これまでは米国の製造業設備の拡充に充てられてきた部分であり、穀物の自由貿易によって、その一部が英国市場向けの食料生産へ回る可能性がある、という程度にとどまる。この限られた供給源では、農業に大きな改良が起きない限り、グレートブリテンのように人口が急増する国の増大する需要に追いつくとは期待しがたい。そして、人口と資本が現在の速さで増え続けるなら、人口に対して食料を安く供給し続ける唯一の道は、資本のほうを海外に移して、現地で食料を生産させることにある。

本節では、近隣諸国よりも資本の増加が速く、そのため利潤が最低水準により近い国において、利潤低下の流れを食い止める最後の対抗要因を取り上げる。それは、国内で得られるより高い利潤を求めて、資本が植民地や外国へ絶えず流出することであり、これが長年にわたりイングランドで利潤低下が抑えられてきた主要因の一つだと私は考える。その作用は二つある。第一に、火災や洪水、商業恐慌がそうであるように、利潤低下の原因となる資本増加分の一部を国外へ持ち出す。第二に、持ち出された資本は失われるのではなく、主として、安価な農産物を大量に輸出するようになる植民地の建設、または既存の社会における農業の拡大、場合によっては改良に用いられる。人口の増加に見合う安価な食料と衣料用原料の供給を維持するには、主としてイングランド資本の海外移出に目を向ける必要があり、これによって国内の資本は、利潤を低下させることなく運用先を見いだし、この原料供給の代金を支払うための工業製品を生産できる。したがって資本輸出は、国内に残る資本の運用範囲を広げる有力な手段であり、一定の範囲では、外へ送る資本が多いほど国内で保有し維持できる資本も増えると言える。

産業と人口の発展が進んだ国では、一般に他国より利潤率が低くなりやすいが、理論上の最低利潤に達するよりはるか前に、現実に機能する下限、つまり実務上の最低利潤が存在する。これは、国内の利潤が海外の水準を大きく下回り、これ以上利潤が低下すれば、それ以後の資本蓄積は国内にとどまらず、すべて海外へ流出すると見込まれる段階を指す。世界の産業が現在のように展開しているかぎり、豊かで成長を続ける国で、最低利潤を実務上考慮する必要が生じる場合でも、検討すべきなのはこの現実的な下限に限られる。資本が急増している旧来の国があり、なお利潤の高い新興国もある以上、旧来の国の利潤は蓄積を止めるほどの水準まで下がらず、資本が海外へ向かい始める地点で下げ止まるからである。しかし、イングランドのような国で利潤の低下が急であっても、それ以後の貯蓄のすべてが植民地や外国へ運用先を求めて流出する水準に早々に達しないのは、生産の改善、とくに労働者が消費する品目の生産改善が進んでいるためである。

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