J.S.ミル『経済学原理』第4巻第3章【60/75】
J.S.ミル『経済学原理』の第4巻第3章「産業の発展と人口の増加が地代、利潤、賃金に及ぼす影響」をAI翻訳しました。誤訳や読みづらいところが残っているかもしれませんが、温かい目で読んでいただけたらうれしいです。
この翻訳について
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目的:個人の学習・読書用の試訳です。学術的な厳密さまでは保証できません。
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方法:AIで下訳 → 自分で全体を見直し、一部の表現を修正しています。
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出典:原文はこちら。
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お願い:引用の際は出典の明記をお願いします(本文リンク・本記事URLなど)。
AIによる要約
分配変化の基本法則
- 【主張】本章の中心命題は、人口・資本・生産改善のどれが主導するかによって、賃金・利潤・地代の分配関係が体系的に変化するという点にある。
- 【根拠・内容1】人口だけが増えると、労働者の取り分は圧迫され、資本家の利潤はいったん増えうるが、追加食料の高コスト化によって農産物価格と地代が上昇し、最終的には地主が最も有利になりやすい。
- 【根拠・内容2】資本だけが増えると、労働需要増を通じて労働者の実質賃金は上がるが、その分だけ利潤は低下し、食料需要増による価格上昇が地代を押し上げる。
- 【根拠・内容3】人口と資本が同時に増える場合でも、技術が停滞していれば追加食料の供給費用が上がるため、名目賃金は上昇し、利潤率は低下し、地代は増大しやすい。
生産改善の分配効果
- 【主張】生産改善のうち、分配構造を本格的に変えるのは、労働者の消費財、とりわけ食料の生産費を下げる改善である。
- 【根拠・内容1】労働者が通常消費しない贅沢品などの改良は、その商品の価格を下げるにとどまり、賃金・利潤・地代の比率にはほとんど影響しない。
- 【根拠・内容2】農業改良は農産物価格を下げ、短期的には地代を押し下げ、労働者の実質賃金を高め、条件次第では利潤率を回復・上昇させうる。
- 【根拠・内容3】安価な食料体系への転換も労働費を下げて利潤を高めるが、製造品改良は地代を直接下げず、人口増加を伴うと長期的にはむしろ地代上昇と利潤低下につながりうる。
農業改良と人口増加の力関係
- 【主張】現実の経済では、農業改良は人口・資本の継続的増加に対抗して恒常的余裕を生むより、その制約を一時的に先送りする作用をもつにとどまりやすい。
- 【根拠・内容1】理論上は農業改良は地代を下げ、労働者消費財を安くして利潤を押し上げるが、実際には改良の普及は緩慢で、人口と資本の増加のほうが連続的に進む。
- 【根拠・内容2】そのため改良は、食料価格を明確に下げるというより、価格上昇を抑えつつ、より多くの人口と資本を支えられるよう耕作限界を一時的に後退させることが多い。
- 【根拠・内容3】しかし人口増加はその新たな余地をすぐ埋めるため、改良による利益は持続しにくく、各時点の分配は「改良が人口増加を上回るか、人口増加が改良を上回るか」の相対関係で決まる。
地代への最終的帰着
- 【主張】農業改良は短期には地代を下げうるが、需要増加を伴う現実の発展過程では、最終的には地主の利益を拡大する方向に働きやすい。
- 【根拠・内容1】大規模で一挙の改良なら地代はいったん低下するが、その後に人口と資本が増えれば下落分は回復され、さらに従来以上の水準へ向かいうる。
- 【根拠・内容2】現実の改良は漸進的であるため、地代低下や耕作後退は表面化しにくく、むしろ耕作拡大と地代上昇が長く続く形で現れる。
- 【根拠・内容3】したがって、改良が生む生産力増加の利益は、労働者や資本家に恒常的に残るとは限らず、長期的には地代へ転化しやすい。
社会全体への長期的帰結
- 【主張】地主・資本家・労働者から成る社会では、経済発展の長期的帰結として、地主は富を増し、労働者の生計費は上がり、資本家の利潤率は低下しやすいという傾向が支配的である。
- 【根拠・内容1】人口増加と資本蓄積は、食料供給の制約のもとで労働費と地代を押し上げ、利潤率を圧迫する。
- 【根拠・内容2】農業改良はこの傾向を一時的に緩和できるが、人口増加が伴えば、その利益の多くは結局地主に帰着する。
- 【根拠・内容3】その結果、生産力が増して総生産が拡大しても、それがただちに労働者の生活改善や資本家の資本当たり所得増加を意味するわけではなく、増分は人口増加・資本増加・地代増大に吸収されやすい。
本文
一
産業が発展しつつある社会において生じている経済上の変化の性質についての考察を続け、次に、その進歩が生産物の分配にどのような影響を及ぼすか、つまり、それにあずかる諸階級のあいだでの配分がどう変わるかを考える。ここでは、分配制度のうち最も複雑で、事実上ほかの諸制度を含む仕組みにしぼって扱う。具体的には、製造業の生産物は労働者と資本家の二つの階級で分け合い、農業の生産物は労働者、資本家、地主の三つの階級で分け合う。
一般に産業の進歩と呼ばれるものの特徴は、資本の増加、人口の増加、生産の改善という三つにまとめられる。ここでいう生産の改善は広い意味での表現であり、生産工程そのものの向上だけでなく、遠隔地から商品を調達する過程が発達することも含む。ほかの変化の多くは、この三つから派生した結果として現れ、例えば、食料生産費用が漸進的に上昇する傾向が挙げられるが、これは需要の増大から生じる。需要の増大は、人口の増加によって起こる場合もあれば、資本と賃金が増加して低所得層の消費が広がることによって起こる場合もある。議論を整理するには、まず三つの要因がそれぞれ単独で働く場合を検討し、そのうえで必要に応じて複数の要因が組み合わさって働く場合を考えるのがよい。
まず、人口だけが増え、資本と生産技術は変わらないと仮定しよう。この状況変化の影響の一つは十分に明らかである。賃金は下がり、労働者階級はより不利な境遇に置かれる。これに対して資本家の状態は改善する。同じ資本でより多くの労働を雇い、より多くの生産物を得られるからである。その利潤率も上昇する。利潤率が労働の費用に依存することも、ここで確かめられる。労働者が受け取る商品の量が減り、しかもそれらの生産条件に変化がないとすれば、その減少は費用の低下を表すからである。労働者は実質的な報酬が少なくなるだけでなく、より少ない労働量の産物しか得られない。前者は労働者自身にとって重要であり、後者は雇用主にとって重要である。
現時点では、どの商品の価値にも影響する出来事は起きておらず、したがって地代が上がるのか下がるのかを説明できる材料もまだ見当たらない。だが、因果関係をさらに一段先まで追うと、地代の変動につながる道筋が見えてくる。労働者が増えれば、従来と同じ量の労働の生産物をより多くの人で分け合うことになり、その増加に比例して暮らし向きは悪化する。だが、住居や衣類などは切り詰めても、食料は切り詰めないことがありうる。各人が以前と同量で同程度に高価な食料を食べ続けることもありうるし、減らすとしても人口の増え方ほどには減らさないこともありうる。したがって、この前提に立てば、実質賃金が下がっても、人口増によって必要な食料の総量は増える。ところが、産業の技能や知識が伸びず停滞しているとすれば、食料を増やすには、より条件の悪い土地を利用するか、支出に比して収穫が少ない耕作方法に移らざるを得ない。農業拡大に必要な資本は不足しない。というのも、仮に資本全体が増えなくても、労働者が切り詰めた、以前は他のあまり差し迫っていない欲求を満たしていた産業から、十分な資本を回せるからである。こうして食料は追加で供給されるが、より大きな費用を要して生産される以上、農産物の交換価値は上がらざるを得ない。利益率が上がっているのだから追加費用は利益でまかなえ、価格を上げる必要はないという反論もありうる。たしかに可能ではあるが、実際にはそうならない。価格を上げなければ、農業者だけが他の資本家より不利な立場に置かれるからである。賃金低下がもたらす利益率の上昇は労働を雇う者すべてに共通する一方で、より費用のかかる耕作を強いられることによる支出増は農業者だけに生じる。この固有の負担は、一般の利益率が高いか低いかにかかわらず、特別の補償を要する。農業者は、他の投資で得られるのと同程度の利益が見込めない限り、新たな資本を投じて耕作を広げない。結果として、農産物の価値は費用増に比例して上がり、その上昇によって農業者は固有の負担を補填されるとともに、資本家全体に共通する利益率上昇の恩恵も受ける。
すでに述べた原理によれば、この局面では地代は上昇する。自由競争のもとでは、どの土地でも、最も条件の悪い土地、または最も不利な条件のもとで、同額の資本を投じたときの収益を上回る生産分に等しい地代を支払う余地があり、実際にもその額が支払われる。したがって、農業がより不利な土地へ移るか、より手間と費用のかかる方法を採らざるを得なくなるたびに、地代は上がる。その上昇は二つの側面で現れ、第一に穀物で支払う現物地代、すなわち穀物地代が増える。第二に農産物の価値も上がるため、製造品や外国産品に換算した地代(ほかの条件が同じなら貨幣地代として示される)は、いっそう大きく増加する。
これまでの説明を踏まえて、必要なら手順をたどり直すと次のとおりである。穀物価格は、条件の悪い土地での増産や、より高コストの生産方法によって追加の穀物を生産するのに必要な資本を、通常の利潤を含めて回収できる水準まで上昇する。追加分の穀物に限って見れば、その値上がりは増えた費用の埋め合わせにすぎないが、この価格上昇が市場に出回るすべての穀物に及ぶため、最後に生産された分を除くすべての穀物に超過利潤が生じる。たとえば、従来は小麦一〇〇クォーターを四〇シリングで生産していた農家が、需要増によって一二〇クォーターを求められ、うち最後の二〇クォーターは四五シリング未満では生産できない場合、農家は最後の二〇クォーターだけでなく一二〇クォーター全体について五シリングの上乗せを受け取り、通常利潤を超える二五ポンドを得ることになる。しかし自由競争のもとでは、農家はこの超過利潤を手元にとどめ続けることはできない。とはいえ、四五シリングを下回る価格では最後の二〇クォーターを生産できない以上、消費者にそれを還元するよう強いられることもない。したがって価格は四五シリングにとどまり、二五ポンドは競争の働きによって消費者ではなく地主に移る。ゆえに、農産物への需要が増大しても生産を容易にする条件の改善が伴わないかぎり、地代の上昇は必然である。この最後の例で示した真理は、今後は当然の前提としてよい。
新たに加わった要因である食料需要の増加は、地代を押し上げるだけでなく、資本家と労働者の間で生産物の分配をいっそう不安定にする。人口が増えると労働の報酬は減るが、雇い主が負担する労働の費用も実質報酬と同じだけ減るなら、利潤はその全額だけ増える。ところが、人口増が食料増産を招き、その供給により高い生産費が必要になる場合、労働費用は実質報酬ほどは下がらず、したがって利潤もそれほどは増えない。条件によっては、利潤がまったく増えないことさえある。労働者が以前から十分に恵まれており、いま失う分のすべてをほかの嗜好品などへの支出から差し引けるなら、必要からであれ選好からであれ、食料の量や質を落とさずに済むからである。増えた人口分の食料を生産するための費用増が大きいと、賃金は量としては減っても、費用としては従来と同じ水準を示し、同じだけの労働の産物となって、資本家はまったく利益を得ない場合がありうる。この仮定では、労働者の損失の一部は、農産物の最後の追加分を生産するのに必要な追加労働に吸収され、残りは地主の取り分となり、人口増によって常に利益を得るのは地主だけだ、という結論になる。
二
仮定を逆にし、資本は増加するが人口は増加しないと仮定する。自然条件や技術など、生産を左右する諸要因は、従来どおり変化しないとする。この場合、労働者の実質賃金は低下するのではなく上昇する。しかし、労働者が購入する財の生産費が下がっていない以上、賃金の上昇はそのまま労働費の増加を意味し、利潤は縮小する。言い換えれば、労働者数が増えず、その労働の生産力も以前と同じであるなら、生産物の総量は増えないため、賃金の増加分は資本家の負担として現れる。さらに、労働者の生活水準が改善して食料需要が増えれば、労働費は実質賃金の伸び以上の割合で増える可能性もある。労働者が食料の数量をより多く求めるだけでなく、燕麦やジャガイモから小麦へというように、より多くの労働と土地を必要とする、より高価な種類の食料へ需要を移すこともありうるからである。このような農業の拡大は、通常どおり生産費の増大と価格の上昇を伴うので、報酬としての賃金の増加から生じる労働費の増加に加えて、その報酬を構成する品目の値上がりによって労働費がさらに増え、利潤はいっそう低下する。同じ原因によって地代も上昇する。資本家の損失のうち労働者の利益を上回る部分は、一部が地主に移り、残りは劣等地での作付けや、生産性の低い方法による食料増産の費用として吸収される。
三
これまで、人口が増加して資本が変わらない場合と、資本が増加して人口が変わらない場合という二つの基本的な場合を扱ってきたが、ここからは人口と資本が同時に増える混合の場合を考える。どちらか一方の増加が他方を上回れば、状況は先の二つのうちいずれかに近づくので、ここでは両者が同じ速さで増えると仮定する。同じ速さとみなす基準は、各労働者が以前と同じ種類の商品を同じ量だけ得られることにある。この二重の進歩が地代と利潤にどのような影響を及ぼすかを検討していこう。
労働者の生活水準が下がらないまま人口が増えれば、当然、食料需要は増える。生産技術や生産方法が変わらず停滞しているとすれば、その追加の食料は従来より高い費用をかけて生産せざるを得ず、追加分の費用増加を補うために農産物価格は上がらざるを得ない。しかも価格の上昇は生産される食料の全量に及ぶ一方で、費用の増加は追加分にしか及ばないため、差額としての超過利潤が大きく増え、その超過利潤は競争を通じて地主へ移転していく。こうして地代は、生産物量の面でも単位当たり費用の面でも高まり、賃金は実質が同じでも費用としてはより高くなる。労働者が同じ量の必需品を得るには名目賃金を上げる必要があるが、その上昇はあらゆる産業部門に共通して及ぶため、資本家は職業を変えることで埋め合わせることができず、その損失は結局、利潤の減少として負担される。
資本と人口が増えると、利潤を犠牲にして地代が増える方向に作用すると考えられる。ただし、利潤が失う分のすべてを地代が得るわけではなく、その一部は生産費の増加に吸収される。すなわち、一定量の農産物を得るために、より多くの労働者を雇ったり養ったりすることに必要な費用である。ここでいう利潤とは当然利潤率のことである。というのも、より大きな資本に対するより低い利潤率でも、絶対額としては総利潤がより大きくなる場合がある一方で、総生産に占める利潤の割合はより小さくなることがあるからである。
利潤が低下していくこの傾向は、ときに生産の改善によって相殺されることがあり、その改善は、新たな知識の増加による場合もあれば、すでに得ている知識の利用がいっそう進むことによる場合もある。これは、生産物の分配に影響する三つの要素のうち第三の要素であり、考察を進めるうえでは、ほかの二つの要素の場合と同様に、まずは当面、この要素が最初に単独で作用すると仮定すると理解しやすい。
四
資本と人口が横ばい、すなわち変化しないまま、生産技術だけが突然改善した場合を考える。たとえば、より効率の高い機械が発明される、より低コストの工程が考案される、外国貿易を通じてより安価な商品を入手できるようになる、といった場合である。
生産の改良は、労働者階級が日常的に消費する必需品や一部の嗜好品に及ぶこともあれば、富裕層だけが消費する贅沢品にしか適用されないこともある。しかし、産業における大規模で重要な改良のうち、完全に後者に属するものはごく少ない。農業の改良についても、希少で特殊な産物に特化したものを除けば、労働者の支出の中心となる品目に直接作用する。蒸気機関をはじめ、扱いやすい動力を供給するあらゆる発明は、すべてのものに適用でき、もちろん労働者が消費する品にも適用される。動力織機や紡績機も、最も精巧な織物に用いられる場合であっても、労働者階級が身に着ける粗い綿布や毛織物の生産に同様に役立つ。輸送手段の改良は、贅沢品だけでなく必需品の運賃や輸送費も引き下げる。さらに、新たな交易分野が開かれると、大多数の人々が消費する品目の一部が、直接または間接に、より低い費用で生産されたり輸入されたりすることが多い。したがって、生産の改良は一般に、労働者階級の賃金が支出される商品の価格を引き下げる傾向があるといってよい。
改良の対象となる商品が、労働者が一般に消費しないものに限られるかぎり、改良は生産物の分配を変えない。そうした特定の商品は、生産費が下がってより安く生産されるため、価値も価格も低下し、それを消費する地主や資本家、あるいは熟練して待遇のよい、または優遇されている労働者は、同じ支出でより多くの満足を得られる。しかし利潤率は上がらない。商品数量で測れば利潤の総量が増えたように見えても、それらの商品で資本を見積もれば資本の価値も増えており、資本に対する利潤の割合は改良前と同じで、従来どおりにとどまる。資本家が利益を受けるのは資本家としてではなく消費者としてであり、地主や優遇された労働者階級も、同じ商品を消費するかぎり、その恩恵を同じように受ける。
生活必需品、または多数の労働者が日々習慣的に消費する商品の生産費を引き下げる改良の場合は、事情が異なる。ここでは諸力の作用がかなり複雑に入り組んでいるため、ある程度細部に立ち入って分析する必要がある。
農業の改良には二種類ある。第一は労働を節約して一定量の食料をより低い費用で生産できるようにする改良で、必要な土地面積は従来と変わらない。第二は、同じ面積の土地で同じ収穫をより少ない労働で得られるだけでなく、より多い収穫も得られる改良である。この場合、追加の産出が求められなければ、すでに耕作されている土地の一部を使わないで済むようになる。使われなくなる部分は生産性が最も低い土地なので、市場が基準とする条件は、これまで耕作されていたなかで最も条件の悪い土地ではなく、それより条件のよい土地へと移っていく。
改良の効果をはっきり示すには、改良が突然起きたと仮定し、その導入のあいだに資本や人口が増える余地がないものとして考える必要がある。最初に起こるのは農産物の価値と価格の下落である。これはいずれの種類の改良でも避けられない結果だが、とくに最後に挙げた改良では影響が大きい。
第一種の改良は生産量そのものを増やすものではないため、土地のどの部分も耕作から外す必要はなく、いわゆる「耕作限界」とされる境界も従来の位置にとどまり、耕作地の面積の点でも耕作方法の精緻さの点でも、農業が後退したり縮小したりすることはない。価格は引き続き、以前と同じ土地と同じ資本によって決まる。しかし、その土地や資本を含め、食料を生産するほかの土地や資本はすべて、より少ない費用で同じ収穫を得られるようになるため、食料価格はそれに比例して下落し、生産費が一〇分の一節約されれば、価格も一〇分の一下がる。
ただし、改良が第二の型、すなわち同じ量の穀物を一〇分の一少ない労働で生産できるだけでなく、同じ労働で穀物を一〇分の一多く生産できるようになる場合を考える。このとき効果はいっそう明確で、耕作面積は縮小でき、市場への供給はより小さな面積の土地でまかなえるようになる。仮に、縮小後に用いる土地の平均的な質が、縮小前に用いていたより広い土地と同程度だとしても、同じ生産物を一〇分の一少ない労働で得られるのだから、価格は一〇分の一下がる。しかも実際には、耕作をやめるのは最も肥沃度の低い土地であり、以後はそれより肥沃な土地が生産物価格を規定する。その結果、生産費が一〇分の一下がることに加えて、農業の「限界」がより肥沃な土地へ後退することに対応した追加の低下も生じ、価格は二重に下落する。
ここでは、このような改良が突然行われた場合に、生産物の分配がどのように変化するかを検討する。まず地代について見ると、二種類の改良のうち前者では地代が低下し、後者ではさらにいっそう低下する。
食料需要を満たすには、同じ面積を同じ費用で耕しても収量が異なる三種類の土地を耕作しなければならないと仮定し、それぞれの小麦収量は良い土地から順に一〇〇ブッシェル、八〇ブッシェル、六〇ブッシェルであるとする。市場の小麦価格は、第三の土地が通常利潤で耕作できる程度に定まるから、第一の土地は四〇ブッシェル、第二の土地は二〇ブッシェルに相当する超過利潤を生み、これが地主の地代となる。次に、作付け面積を増やして追加の小麦を得ることはできないまま、同じ量の小麦を生産するのに必要な労働だけが四分の一減る改良が行われたとすると、小麦価格は四分の一下がり、八〇ブッシェルは以前の六〇ブッシェルと同じ価格で売れるようになる。しかし、六〇ブッシェルを産する土地の生産物はなお必要であり、耕作費用も価格と同じ割合で下がるので、その土地は引き続き通常利潤で耕作できる。したがって、第一と第二の土地が生む余剰は四〇ブッシェルと二〇ブッシェルのままで、現物で見た地代は改良前と変わらない。だが、小麦価格が四分の一下がった以上、同じ現物地代を貨幣や他の商品に換算すると価値は四分の一減る。ゆえに、地主が所得を工業製品や外国産品の購入に充てるかぎり、改良前より四分の一だけ不利であり、地主としての所得は全体として四分の三に縮む。小麦の消費者としてである場合にかぎって、従来と同程度の水準が保たれる。
別の種類の改良であれば、地代はさらに大きな割合で低下する。市場が求める生産量を、労働を四分の一減らすだけでなく、土地も四分の一少ない面積で生産できると仮定する。すでに耕作中の土地をすべて従来どおり使い続ければ、生産は必要量を大きく上回るため、生産量の四分の一に相当する土地を放棄せざるをえない。第三等級の土地は生産量のちょうど四分の一を占め、二四〇ブッシェルのうち六〇を産出していたため、この等級が耕作から外れることになる。その結果、二四〇ブッシェルは第一等級と第二等級だけでまかなえ、第一等級は一〇〇ブッシェルに三分の一を上乗せした一三三と三分の一ブッシェル、第二等級は八〇ブッシェルに三分の一を上乗せした一〇六と三分の二ブッシェルとなり、合計で二四〇ブッシェルとなる。最下位の土地は第三等級ではなく第二等級となり、これが価格を規定するので、通常の利潤を含めて資本を回収するのに必要なのは六〇ブッシェルではなく一〇六と三分の二ブッシェルで足りる。したがって小麦価格は、別の場合の六〇対八〇ではなく、六〇対一〇六と三分の二の比率で下落する。しかし、それでも地代がどれほど影響を受けるかは十分には分からない。第二等級の土地の生産物は全量が生産費の補填に回り、この耕作中で最も条件の悪い土地は地代を生まないため、第一等級が生む地代分は一三三と三分の一ブッシェルから一〇六と三分の二ブッシェルを差し引いた分に限られ、四〇ではなく二六と三分の二ブッシェルに縮む。地主全体で見れば、穀物地代だけでも六〇ブッシェルのうち三三と三分の一ブッシェルを失い、残る分の価値と価格も六〇対一〇六と三分の二の比率で目減りする。
こうして見ると、地主の利害は、突然かつ広範に導入される農業改良と、はっきり相反すると言える。この主張は逆説だと呼ばれ、その最初の提唱者であるリカードは、ひどい言い方を避けても、甚だしい知的倒錯だと非難される根拠にまでされた。しかし私には、どこが逆説なのかが見当たらず、むしろ視野が偏っているのは批判する側だと感じられる。この主張がばかげて見えるのは、不公平な言い換えが行われるからである。たとえば「地主は自分の領地を改良すると損をする」と言うなら、たしかに成り立たない。実際の主張は、地主は自分の領地も改良されるとしても、他人の領地が改良されれば損をする、という点である。改良が自分の土地だけにとどまり、増産の利益と従来どおりの高値の利益を同時に得られるなら、大きく得をするのは疑いない。だが、増産がすべての土地で一斉に起きれば、価格は以前のように高いままではいられない。そうであれば、地主が利益を得るどころか損をすると考えても不合理ではない。生産物の価格を継続的に下げるものは地代を減らす、という点は一般に認められている。土地の生産力が高まり、耕作に必要な土地が少なくて済むようになれば、その価値も、需要が減った他の商品と同じように下がると考えるのは、常識にも合う。
農業改良の進歩によって地代が実質的には下がってこなかったことは、率直に認めてよい。だが、なぜそうなのか。それは、改良が現実には急激に進むことはなく、つねに緩やかに進んできたからである。改良が資本と人口の増加を大きく上回る局面はほとんどなく、多くの場合はむしろ下回ってきた。さらに、資本と人口の増加は、改良が地代を引き下げようとするのと同じ程度に、地代を押し上げる方向に働く。加えて、後で見るように、農業改良によって生まれる追加の余地は、それによって地代をいっそう高めることも可能にする。そこで、まず農産物価格が急落した場合に、利潤と賃金がどのような影響を受けるのかを検討する必要がある。
当初は、貨幣賃金はおそらく従来の水準にとどまり、労働者は物価下落の恩恵をそのまま受ける。食料であれ他の品であれ、同じ支出でより多く購入できるようになるため、実質賃金、つまり購買力は高まるが、この段階では利潤には影響しない。ところが、労働者の恒常的な取り分は、階級として「子どもを持つ前に満たすべきだ」と考える要求の程度、すなわち習慣的な標準に本質的に左右される。暮らし向きの急な改善が嗜好や必要に持続的な影響を与えれば、その利益は階級として恒久的なものになる。しかし、同じ賃金でより多くの快適さや娯楽、ぜいたくを得られるようになるという同じ原因は、より低い賃金でも同程度の快適さや娯楽、ぜいたくを得られることも意味し、労働者が慣れた生活水準を下回らないまま、より多くの人口が成り立ちうることになる。これまで労働者は、生活手段の増加をもっぱら子どもの増加に伴う食料に転化してきたのが通例である。したがって人口増が促され、その結果として一世代後には、改善後の実質賃金は改善前より高くならない可能性が高い。その低下は、一部は貨幣賃金の低下によって、また一部は人口増による需要増のために食料価格が上がり、食費が増すことによってもたらされる。貨幣賃金が下がるかぎりで利潤は上がり、資本家は同じ資本支出で、同程度に能率的な労働をより多く確保できる。こうして、生活費の低下が農業の改良による場合でも、外国産品の流入による場合でも、労働者の習慣や必要、要求の水準が引き上がらないかぎり、一般に貨幣賃金と地代は下がり、利潤率は全般に上昇する。
食料の生産を安くする技術改良について成り立つことは、高価な品種をより安い品種に置き換える場合にも当てはまる。同じ土地は同じ労働を投じても、小麦として生産するより、トウモロコシやジャガイモとして生産するほうが、人が得られる栄養をはるかに多く生み出す。労働者がパン食をやめてそうした安い作物だけで暮らし、その代償として、ほかの消費財の増加ではなく早婚と家族の拡大を選ぶなら、労働費用は大きく下がり、労働の能率が同じなら利潤は増える一方で、地代は大きく下がる。全人口の食料を、いま穀物を作付けしている土地の二分の一、または三分の一で賄えるようになるからである。同時に、小麦の栽培にはやせすぎている土地でも、必要になればジャガイモを育てて、栽培に必要なわずかな労働者を支えるだけの収穫を確保できるのは明らかなので、耕作は最終的により条件の悪い土地へまで及びうる。そのため、ジャガイモやトウモロコシ中心の体制では、小麦中心の体制よりも、最終的には地代がより高くなることもありうる。土地の生産力が限界に達する前に、はるかに多くの人口を養えるからである。
想定する改良が食料の生産ではなく、労働者階級が消費するある製造品の生産で起きた場合でも、賃金と利潤に対する当初の影響は同じであるが、地代への影響は大きく異なる。地代は低下せず、改良の最終的な効果が人口の増加であるなら、むしろ上昇し、その場合には利潤は低下する。その理由はあまりに明白で、述べるまでもない。
五
これまで、産出物が地代・利潤・賃金にどのように配分されるかについて、人口と資本が平常どおり増加する場合に生じる影響を検討し、あわせて、生産性を高める改良、とくに農業改良が及ぼす影響も考えてきた。まとめれば、人口と資本の増加は利潤を押し下げ、地代と労働費を押し上げる。他方で、農業改良は地代を引き下げ、また、労働者が消費する品目を安くするいかなる改良も、労働費を引き下げて利潤を押し上げる。各要因がそれぞれどの方向に作用するかが明らかになった以上、資本と人口がかなりの安定を保ちながら増加しつつ、農業改良が時折行われ、その知識と実践が段階的に社会へ広がっていくという実際の推移においても、全体の動きがどちらへ向かうかは見通しやすい。
労働者階級の生活習慣と必要水準が所与であり(それが実質賃金を規定する)とすれば、ある時点における地代、利潤、貨幣賃金は、これらの競合する諸要因がどのように組み合わさって働いたかの結果として決まる。ある期間において農業改良が人口増加より速く進めば、その期間の地代と貨幣賃金は低下しやすく、利潤は上昇しやすい。これに対し、人口増加が農業改良を上回って進む場合、労働者が食料の量または質の低下に甘んじるか、そうでなければ、地代と貨幣賃金は次第に上昇し、利潤は低下していく。
農業の技術や知識は身につくまでに時間がかかり、社会に広まるにはさらに長い時間を要する。発明や発見もまた、たまに起こるにすぎない。これに対して人口と資本の増加は途切れずに続くため、農業改良がたとえ短い期間であっても、人口や資本の増え方を大きく上回って先行し、実際に地代を下げたり利潤率を上げたりするほどの効果を生み出すことは、ほとんどない。人口と資本の増加が速くない国も少なくないが、そうした国では農業改良の進み方はいっそう遅い。人口はほとんどどこでも農業改良のすぐ後を追い、改良によって生まれた効果を、生じたそばから薄めて相殺していく。
農業が改良されても地代が下がりにくいのは、食料の価格を下げるというより値上がりを抑える効果にとどまりやすいことに加え、耕作地を減らすのではなく、増え続ける需要を満たすために、条件の悪い土地を次々に耕作に取り込めるようにする場合が多いからである。半ばしか耕作されていない国では、土地の生産性が高く、わずかな労働で食料を大量に得られるという「自然な状態」が語られることがあるが、これは文明化した人々が入植した未入植の国に限られる。米国では、耕作されている土地のうち最も条件の悪い土地でさえ質が高く(ただし、市場や輸送手段のすぐ近くでは、土地の質の悪さが立地の良さで補われることがある)、たとえ農業や交通にこれ以上の改良が加えられなくても、人口と資本の増加が止まるまでには、耕作がさらに何段階も条件の悪い土地へ広がる余地が残る。他方、五〇〇年前の欧州は人口こそ現在に比べて少なかったが、農業技術が未熟だったため、当時耕作されていた最も条件の悪い土地は、現在耕作されている最も条件の悪い土地と同程度に生産性が低かった可能性が高く、すでに採算の取れる耕作の限界に、当時も現在と同じほど近づいていたと考えられる。その後の改良は土地全体の生産力を引き上げ、当時なら利益が出ず耕作できなかったほど条件の悪い土地にまで耕作を広げることを可能にした。その結果、資本と人口が増える余地は広がり、増加を抑える制約は少しずつ後退したが、人口はその制約に常に強く押し寄せるので、改良によって生まれた余地はすぐに埋まり、目に見える余裕は残りにくい。結局、農業改良は人口増加に抗する対抗力というより、増加を縛る制約を部分的に緩めるものだ。
人口と資本が増え、農業の改良も進んで生産が伸びる場合、産出の分配への影響は、先に示した仮想例から導かれる結論とは大きく異なり、なかでも差が最も大きいのは地代である。農業が突然かつ広い範囲で大きく改良されれば、当初は地代が押し下げられるものの、社会の発展が進むにつれて、その改良によって従来より質の低い土地まで最終的に耕作できるようになり、地代が、そうでなければ到達しえないほど高い水準へ段階的に上がりうる。しかし、ここで想定する現実に近い推移では、この最終的な効果が初めから表面化する。すなわち、産業技術の水準が許す範囲で耕作がすでに限界、または限界に近いところまで進み、現在の技能と知識のもとで人口と資本の増加によって地代が上がりうる度合いも、ほぼ最高点に達している局面で、大規模な改良がまとめて導入されれば、地代はいったんかなり押し下げられ、その後は人口と資本の増加によって下落分を取り戻したのち、さらに上昇へ向かうだろう。もっとも、実際の改良は常に緩やかに進むため、地代や耕作が後退する局面は生じにくく、地代の上昇と耕作の拡大が、本来なら止まっていたはずの時点を過ぎても続くにとどまる。しかも、これはより質の悪い土地に頼らなくても起こりうる。すでに耕作されている土地が、費用の比率を高めずに増産できるからである。仮に、改良によって耕作中のすべての土地が、労働と資本を二倍に投じても産出を二倍にでき、同時に人口も増えて二倍の産出を必要とするなら、地代も全体として二倍になる。
この点を示すため、前のページの数値例に戻る。同じ面積に同じ費用をかけた場合、三種類の土地がそれぞれ一〇〇、八〇、六〇ブッシェルを生産するとする。ここで、第一の土地が二〇〇、第二の土地が一六〇、第三の土地が一二〇ブッシェルまで増産でき、費用が二倍で済み、したがって生産費は増加せず、さらに人口も二倍に増えて、その増産分を含む全量が必要になるとすると、第一の土地の地代は四〇ではなく八〇ブッシェル、第二の土地の地代は二〇ではなく四〇ブッシェルになる。一ブッシェル当たりの価格と価値が以前と同じであれば、穀物地代も貨幣地代もいずれも二倍になる。生産が改善しても食料需要の増加を伴わない場合に生じる結果とは、この結果が異なることは言うまでもない。
農業の改良は、つねに最終的には地主の利益となり、しかも一般に行われるやり方では直ちに地主の利益となる。さらに、そのやり方で改良が行われるかぎり、地主以外のだれの利益にもならない。生産力の増加に見合って需要が十分に伸びる状況では、食料価格は下がらず、労働者は一時的にすら恩恵を受けない。労働の費用も下がらず、利潤も増えないまま、総生産だけが増え、それに伴って労働者に分配される生産物の量も増え、粗利潤も大きくなるが、賃金は増えた人口に分け合われ、利潤も増えた資本に広く行き渡るため、どの労働者の暮らし向きもよくならず、どの資本家も同じ資本額から得られる所得を増やせない。
長期にわたる検討の結論は、次のようにまとめられる。地主、資本家、労働者からなる社会では、経済が発展するほど地主階級は段階的に富を増しやすい一方、労働者の生計費は全体として上昇し、利潤は低下する傾向がある。農業の改良は、生計費の上昇と利潤の低下という二つの動きを抑える力を持つが、地主階級の富の増加については、改良によって一時的に伸びが鈍る場合があり得ても、最終的には改良がそれを大いに促す。さらに人口が増えると、農業改良から得られる利益は地主にのみ移りやすくなる。これらに加えて、またはこれらを修正する形で、同様の社会において産業の進歩がどのような結果をもたらすかを、私は次章で示そうとする。
