J.S.ミル『経済学原理』第5巻第5章【69/75】
J.S.ミル『経済学原理』の第5巻第5章「その他の諸税」をAI翻訳しました。誤訳や読みづらいところが残っているかもしれませんが、温かい目で読んでいただけたらうれしいです。
この翻訳について
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目的:個人の学習・読書用の試訳です。学術的な厳密さまでは保証できません。
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方法:AIで下訳 → 自分で全体を見直し、一部の表現を修正しています。
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出典:原文はこちら。
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お願い:引用の際は出典の明記をお願いします(本文リンク・本記事URLなど)。
AIによる要約
契約税・財産移転税の弊害
- 【主張】契約や財産移転、とくに土地など生産手段の譲渡にかかる税は、資産の有効利用を妨げるため、原則として有害であり除去されるべきである。
- 【根拠・内容1】契約税はしばしば小口取引ほど相対的に重く、困窮時の売却や競売のように、最も不利な立場の者に集中して負担を課しやすい。
- 【根拠・内容2】土地売買への課税は、売り手の窮迫と買い手の採算判断のため、結局は土地価格の下落を通じて主として売り手に転嫁されやすい。
- 【根拠・内容3】土地や生産手段の自由な移転は、それをより生産的に使える者へ資産を移す働きを持つため、課税や手続き障害は経済全体の改良を妨げる。
- 【根拠・内容4】土地移転税は廃止が望ましいが、必要財源は移転時課税ではなく、土地一般に広く配分した土地税として回収する方が適切である。
- 【根拠・内容5】賃貸借契約や保険契約への課税は、農業改善や将来への備えといった、政策的にむしろ奨励すべき行為に罰を与えるに等しい。
通信・広告・新聞への課税の問題
- 【主張】郵便税・広告税・新聞税のような情報伝達への課税は、商業の流通と知的進歩を妨げるため、強く抑制されるか廃止されるべきである。
- 【根拠・内容1】郵便事業は政府独占でも合理的に運営しうるが、料金が実費や通常利潤を大きく超えると、遠隔地間の商取引費用を引き上げ、地域間分業と交換を阻害する。
- 【根拠・内容2】広告税が重いと、売り手と買い手の出会いが妨げられ、商品の売れ残りや在庫滞留によって資本が遊休化する。
- 【根拠・内容3】新聞税の弊害は負担の公平不公平以上に、低所得層や教育機会の乏しい層が情報・議論・公共的関心へ接近する機会を奪われる点にある。
- 【根拠・内容4】新聞は偏見や迷信を是正し、公共問題への関心や思考習慣を支えるため、その利用を妨げる課税は社会全体の精神的停滞を招きうる。
法廷税は正義への課税である
- 【主張】法廷税は、権利救済を求めること自体に課税するものであり、最も不当な税の一つである。
- 【根拠・内容1】訴訟手続きに伴う手数料を国の歳入源とすることは、被害救済や権利維持のために裁判所を利用せざるをえない者へ追加負担を課す。
- 【根拠・内容2】その結果、違法行為を受けた側よりも、むしろ加害者側に有利な制度効果を生みかねない。
- 【根拠・内容3】裁判を必要としない人々は、すでに法秩序の保護利益を受けているのであり、裁判利用者だけに司法費用を負担させるのは公平ではない。
地方税の原則と都市間接税への批判
- 【主張】地方税は特定の地方的サービスに対応し、受益と費用の結びつきが明確な形で課されるべきであり、都市への物資流入にかける間接税には大きな欠陥がある。
- 【根拠・内容1】舗装・清掃・照明・道路・橋梁など地方が担う支出は、公開的監視が弱くなりやすいため、特定目的に限定し、実費を超えない範囲で徴収するのが原則である。
- 【根拠・内容2】可能な限り受益者負担とし、道路や橋は通行料で賄うのが合理的だが、建設費回収後は原則として無料開放し、その後の維持費は公費または主受益地域の税で負担すべきである。
- 【根拠・内容3】フランスなどの都市で見られる物資流入税(オクトロワ)は、主として生活必需品や原材料にかかるため、国境税以上に問題が大きい。
- 【根拠・内容4】こうした都市間接税は、賃金上昇を伴わなければ都市労働者を圧迫し、賃金上昇を伴えば利潤や価格への転嫁を通じて、結局は消費者全体に負担を及ぼす。
本文
一
所得への直接課税や消費課税とは別に、各国の財政制度には、いずれにも厳密には分類されないさまざまな雑多な税が含まれている。現代のヨーロッパ諸国にもこうした税は残っているが、ヨーロッパの影響がまだ十分に及んでいない、いわゆる未開とみなされる政体に比べれば、数も種類も少ない。そうした国の一部では、生活上のほとんどあらゆる出来事が課税の口実にされ、日常の決まりきった用事でない行為は、だれであっても政府の役人の許可がなければ実行しにくいことがある。その許可も、たいてい支払いと引き換えに与えられる。とりわけ、その行為が公的機関の支援や特別の保証を必要とする場合には、その傾向はさらに強い。本書では、ふだん文明国に分類される国々で近年まで存在した、または現在も存在する税に論点を絞って扱う。
ほとんどすべての国で、契約に課される税から相当の歳入が得られている。課税の形態はさまざまで、契約の証拠となる法的文書に税をかける方式があり、その文書が法的に認められる唯一の証拠となるのが通例である。イングランドでは、政府に税を納めた印紙付きの用紙で作成しなければ、ほとんどの契約は拘束力を持たないとされてきた。さらについ最近まで、財産に関する契約では、取引規模が小さいほど税負担の割合が比例的に重くなる傾向があったが、これは一部の税目では今も当てはまる。受領確認書や解除証書など、契約の履行を示す法的文書にも印紙税が課される。ただし、契約税が常に印紙によって徴収されるとは限らず、サー・ロバート・ピールが廃止した競売による売買への課税はその一例である。フランスの土地財産の移転税も同じ系統に当たり、イングランドでは移転に関する負担が印紙税として課されている。また国によっては、多くの種類の契約で登録が有効要件とされ、その登録手続き自体が課税の機会になっている。
契約に伴う税でとりわけ重要なのは、財産の移転、なかでも売買に課される税である。消費財の販売に税を課すことは、結局はその商品自体に課税するのと同じであり、対象を特定の商品のみに限れば、その分だけ価格が上がり、負担は消費者が負うことになる。すべての売買に一律で課税しようとするのは不合理に思えるが、スペインでは数百年にわたりそれが法律であり、もしこれを実際に徹底して実施できるなら、全商品に同じ割合で課税するのと等しくなって、価格には影響しにくい。税を売り手から徴収すれば利潤への課税となり、買い手から徴収すれば消費への課税となるが、どちらの側も相手方に負担を転嫁できない。他方、競売など特定の販売方法に限って課税すれば、その方法は敬遠され、税負担が相当の額であれば、緊急時を除いてその方法自体が用いられなくなる。しかも緊急時には、売り手は売却を迫られる一方、買い手は買う必要がないため、税負担は売り手にかかりやすい。競売税に強い反対が出る最大の理由は、税負担がほとんどの場合、困窮する人に、しかもその困窮が最も切迫した局面でのしかかる点にある。
土地の売買にかかる税は、多くの国で同様の反対理由にさらされる。歴史の古い国では土地の移転はめったになく、家計の悪化や生活の困難、資金繰りの逼迫、差し迫った資金需要など、やむを得ない事情があるときに売却されることが多い。したがって売り手は交渉力を持ちにくく、結局は買い手が出せる範囲の価格で手放さざるを得ない。他方、買い手は投資を目的とし、ほかの方法で自分の資金から得られる利子を基準に採算を計算するため、取引に政府の税が上乗せされれば購入を見送るだろう。もっとも、国債や株式、共同出資会社の持分、抵当、抵当貸付など、永続的または長期的な投資手段がすべて同じ税の対象であれば、この議論は当てはまらないという反論もあり得る。だがそれでも、税を買い手が支払うなら利子への課税と同じであり、影響が出るほど重い税であれば利子と利潤の既存の関係を乱す。そしてその乱れは金利の上昇によって均され、土地価格と各種証券の価格の下落として現れる。ゆえに、特別な事情がない限り、この種の税は一般に売り手が負担することになるように思われる。
土地などの生産手段の売買や譲渡の妨げとなる税は、すべて原則として批判され、できる限り取り除くべきである。このような売買は、資産をより生産的に活用できる者の手に移す働きがある。売り手は、事情による場合であれ自発的な場合であれ、その資産を生産のために最も有利に活用する資金力または能力を欠いていることが多い。これに対して買い手は、少なくとも困窮しておらず、改良への意欲と実行力を備えていることが少なくない。なぜなら、その資産が自分にとってより高い価値を持つ者ほど、高値を提示しやすいからである。したがって、そのような契約に付随する課税や手続き上の障害、ならびに費用は、経済にとって明確に有害である。とりわけ土地は生活の基盤であり、富の源でもあるため、その改良の成否が社会全体に大きく影響する。ゆえに、土地が人から人へ円滑に移り、集約すべきものは集約し、分割すべきものは分割できるよう、制度上の便宜を最大限に整える必要がある。所有が大きすぎる場合には細分化のために、小さすぎる場合には統合のために、いずれの場合も譲渡は自由であるべきである。土地移転にかかる税は廃止するのが望ましいが、国がこれまで地代の一部を自らに有利に留保してきた経緯を踏まえると、その分まで含めた全面的な免除を地主が求める根拠は弱い。そこで、移転税の平均的な税収に相当する年額を、土地一般に広く割り当て、土地税として課すのが適切である。
契約にかかる税のなかには、立法者が政策として奨励すべき取引にまで、事実上の罰金に等しい不利益を課してしまう、きわめて有害で深刻なものがある。たとえば、大規模な土地所有が一般的な国では、健全な農業に欠かせない条件である賃貸借契約に印紙税が課される。また、保険への課税は、用心や慎重さ、将来を見越した備えといった行動を直接にそぐものである。
二
契約にかかる税と密接に関係するものとして、通信に対する税がある。中心となるのは郵便税で、これに加えて広告税や新聞税があり、いずれも情報の伝達に課税する。
手紙の運送に課税する一般的な方法は、政府を唯一の公認の運送者としてその業務を独占させ、その見返りに独占料金を徴収することである。ただし、その料金がわが国の一ペニー均一郵便のように低く、自由競争の下で民間が提示し得る水準とほとんど変わらないのであれば、課税というより事業の利益と見るのが妥当である。仮に通常の資本利潤を上回る利益が出たとしても、それは全国で多数の事業者を競わせるのではなく、全国を一つの組織と一つの仕組みで運用して経費を削減した結果であり、不合理な上乗せとはいえない。郵便は一定の規則の下で運営しやすく、またそのように運営されるべき性質の事業であるため、政府が担っても不向きではない数少ない事業の一つでもあり、このため郵便は現在、わが国の有力な歳入源の一つとなっている。もっとも、自由な制度の下で同じサービスに支払われるはずの額を大きく超える料金は、望ましい税とはいえない。負担は主に商用、業務用の書簡にかかり、遠隔地間の商取引の費用を押し上げるからである。これは高額の通行料で多額の歳入を得ようとするのに似ており、物資を各地に運ぶあらゆる活動を妨げ、一地域で生産した商品を別の地域で消費することをためらわせ、地域同士の結びつきを弱める。地域間の分業と交換は労働節約の大きな源泉であるだけでなく、生産の改善にほぼ不可欠な条件であり、産業を刺激して文明の発展を促す力でもあるためである。
広告税もまた同様の反対を免れない。広告は、販売業者や生産者と消費者が出会うのを促し、商取引を円滑にする点で有益であるが、広告税が高くて広告を著しく思いとどまらせるほどになると、出稿が強く控えられて商品が売れ残る期間が長引き、そのあいだ資本が在庫の形で遊休のまま固定されてしまうからである。
新聞への課税が問題となるのは、税負担が重くなる人がいるからというよりも、課税によって新聞を買えなくなったり利用できなくなったりする人が出るからである。多くの購入者にとって新聞は嗜好品、ぜいたく品の一つであり、ほかの娯楽と同じように代金を支払えるのだから、税収源としても無理がないように見える。しかし、読み書きは身につけていても、それ以外の知的教育に触れる機会が乏しい人々にとって、新聞は手元にある一般的な情報のほとんどすべてであり、人々のあいだで共有されている考え方や話題に触れる機会のほとんどすべてでもある。関心を呼び起こす力も、書籍や専門的で難解な教材より新聞のほうが強く、生活に近い。新聞は、有用な考えを直接生み出す役割は小さいとして、その重要な働きを軽く見られがちだが、実際には偏見や迷信を正し、議論する習慣と公共の問題への関心を支え、保ち続ける働きがある。重要で魅力ある新聞がない国では、こうした働きが欠けたり弱まったりするために、下層や中層、場合によっては全階層にまで、思考や精神の停滞が広がりうる。情報を広げ、精神を刺激し、思考を鍛える媒体である新聞を、最も必要とする人々にとって利用しにくいものにし、自分の限られた視野の外にある考えや関心へ近づく機会を奪うような税は、この国でいま設けられていないのと同じく、本来、設けるべきではない。
三
望ましくない税の中でも、法廷税は目立つ存在として挙げねばならない。裁判所への申立てに伴うさまざまな手続きに手数料を課し、その収入を国の歳入とする仕組みだからである。これは、訴訟手続きに付随するあらゆる不要な費用と同様、救済を求めること自体に課税するものであり、結果として加害者側に有利に働きかねない。わが国では、この種の税は一般歳入源としては廃止されたが、司法費用を賄うため、裁判所手数料という形でなお残っている。司法の運営費は、その利益を受ける者が公平に負担すべきだという考え方が背景にあるらしいが、この見解の誤りはベンサムが痛烈に論じた。彼の指摘によれば、訴えを起こさざるを得ない人は、法とその運用から最大の利益を得るのではなく、むしろ最も利益が小さい側にいる。というのも、法の与える保護が完全でなかったために、自らの権利を確かめ、または侵害に対抗してそれを維持するため、裁判所に訴えざるを得なかったからである。他方で、社会の残りの人びとは、裁判所に訴える不便を負わないまま、法と裁判所によってもたらされる被害回避の恩恵を享受してきた。
四
国の一般税とは別に、多くの国では、地方当局の管理のもとで行うのが適当とされる公共支出を賄うために地方税が設けられており、その対象には、その地域がもっぱら、または主として関心をもつ事業として、街路の舗装や清掃、照明などが含まれる。道路や橋の新設や補修も同様に地方の負担となり得るが、それらが全国の人々にとって重要となるのは、実際に人や、利害をもつ貨物がその道路や橋を通行する場合に限られる。他方、救貧や刑務所の維持、国によっては学校運営のように、国家的に重要であっても地方のほうが適切に運営できると考えられて地方が負担する支出もあり、たとえばイングランドでは救貧と刑務所がこれに当たる。どの公共目的が地方の監督に適し、どれを国が直轄し、どれを地方運営と国の監督の組み合わせにするかは、政治経済学の問題ではなく、行政上の判断に委ねられる。ただし、地方当局が課す税は国の施策に比べて公開性や議論、世論による監視の対象になりにくいのだから、常に特定のサービスに結び付け、その提供に要した実費を超えない範囲で課すことが重要な原則となる。このように限定されるなら、可能な限り負担は受益者が担うのが望ましく、たとえば道路や橋については旅客や貨物に通行料を課して費用を賄い、娯楽や便宜のために利用する者と、輸送費の低下によって市場への搬出入が安くなることで利益を得る貨物の消費者とで費用を分担する形となる。もっとも、通行料によって利子を含む投下費用の全額を回収し終えた後は、通行料を廃して自由に開放し、無償でなければ利用価値が生じにくい人々にも使えるようにすべきであり、その後の補修費については、国費で賄うか、主として利益を受ける地域に課す税で賄うよう手当てをする必要がある。
英国では、地方税のほとんどが直接税であり、例外はロンドン市の石炭税などごく少数に限られるが、国の一般財源を支える税の大部分は間接税である。これとは反対に、フランスやオーストリアなど、国が直接税をより広く用いる国では、都市の地方支出の多くを、市内に入る物資に課す商品課税で賄っている。ただし、この種の間接税は、国境で課す場合よりも都市で課す場合のほうが、いっそう問題が大きい。というのも、農村から都市へ入るのは生活必需品や製造用の原材料が中心である一方、外国からの輸入品の大半は、通常ぜいたく品だからである。オクトロワは、賃金が税負担に応じて同じ割合で上がるのでないかぎり、都市の労働者層に重い負担を及ぼさずに多額の税収を得ることはできない。賃金がそのように上がる場合には、都市の利潤が農村部と比べて通常の割合を下回れば資本は都市にとどまらないため、税負担の相当部分は都市産品の消費者に転嫁され、都市に住む者であれ農村に住む者であれ、消費者に及ぶことになる。
