J.S.ミル『経済学原理』第3巻第11章【42/75】
J.S.ミル『経済学原理』の第3巻第11章「貨幣の代替としての信用」をAI翻訳しました。誤訳や読みづらいところが残っているかもしれませんが、温かい目で読んでいただけたらうれしいです。
この翻訳について
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目的:個人の学習・読書用の試訳です。学術的な厳密さまでは保証できません。
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方法:AIで下訳 → 自分で全体を見直し、一部の表現を修正しています。
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出典:原文はこちら。
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お願い:引用の際は出典の明記をお願いします(本文リンク・本記事URLなど)。
AIによる要約
信用の本質(「資本を増やす魔法」ではない)
- 【主張】信用は資本そのものではなく、他人の資本を用いる許可=資本の「移転」にすぎない。
- 【根拠・内容1】信用で借り手の購買・雇用の力が増える分だけ、貸し手の同じ資本を使う力は減り、同一資本を二重に資本として使うことはできない。
- 【根拠・内容2】外見上は貸し手も資本を当てにできるが、残るのは返還請求権が追加の借入に役立つ限りの便益であり、実際の資本使用は借り手側に移る。
生産面の効用(資本総量は不変でも、生産は高まる)
- 【主張】信用は資本総量を増やさないが、資本を最も有効に使える者へ回し、遊休資金を動員して生産を押し上げる。
- 【根拠・内容1】資本を監督運用できない保有者の資金が、利子を通じて有能な生産者・商人に集まりやすくなり、滞留や浪費を避けて生産に回る。
- 【根拠・内容2】信頼と預金銀行の仕組みにより、各人が手元に抱えるはずの予備現金が預金として集約され、銀行が引出し見込みを踏まえて大部分を貸し出せるため「運用に回る資本」が増える。
- 【根拠・内容3】誠実さ・法制度・教育が進み人格信用が強まるほど、少資本でも能力ある者が前貸しや商品信用を得て、産業上の才能が富の増大に活かされる。
信用の限界と害(非生産への信用は共同体を貧しくする)
- 【主張】信用の利益が公共の富に資するのは勤労・生産側への信用に限られ、非生産的消費者への信用は資本を生産から引き剝がし損失を生む。
- 【根拠・内容1】生産側の資本が非生産側に移ると、同額資本が回転して反復生産できる機会が失われ、共同体(とくに労働者階級)が最大の被害を受ける。
- 【根拠・内容2】掛売りで長期に資本が拘束される例では、売り手が上乗せ回収できても、失われた生産機会の損失は労働者階級まで補償されない。
物価への影響(信用は「貨幣に似た購買力」)
- 【主張】信用は生産力ではないが購買力であり、信用取引が常態の社会では一般物価が貨幣量以上に信用状態に左右されうる。
- 【根拠・内容1】信用で商品を買えば現金購入と同じ需要が生まれ、同様に価格を押し上げる。
- 【根拠・内容2】問題となるのは、貸借で現金が動く形ではなく、取引全体を帳簿で相殺し差額だけ(あるいは差額すら)貨幣で決済しない形の信用である。
貨幣代替としての具体形態(相殺・手形・紙信用・小切手)
- 【主張】貨幣の移動を減らし、場合によっては貨幣の役割を代替する信用手段が、取引決済を大幅に節約する。
- 【根拠・内容1】相互取引の相殺:取引を通算して残高だけを支払うことで、少額の現金で大量取引を清算できる。
- 【根拠・内容2】債権の譲渡(為替手形):第三者への債権を譲って支払いに充て、遠隔地間でも貴金属運搬の費用・危険を回避する。
- 【根拠・内容3】割引と融通手形:手形割引で未到来債権を現金化できる一方、実取引に基づかない便宜手形は安全性が低く増発の歯止めが弱い(ただし「実物手形=必ず実在財産の代表」という見方も過大評価で、結局は支払能力への信用が核心)。
- 【根拠・内容4】約束手形(実務上の紙信用):発行者の信用で受け取られ通貨の機能を果たすが、要求払いに備えた現金準備と増発抑制が不可欠(政府も同様の仕組みを利用する)。
- 【根拠・内容5】小切手とクリアリング:同一銀行内は帳簿振替で貨幣不要、銀行間もクリアリングで差額のみ決済でき、巨額取引を少額の現金(または中央銀行小切手)で清算できる。
帰結(少ない貴金属で巨大な取引が可能になる)
- 【主張】信用手段の発達は、貴金属の必要量を大きく節約し、少量の貨幣で膨大な取引を回す経済を可能にする。
- 【根拠・内容1】信用慣行と「節約の工夫」が徹底した国ほど、同じ取引価値に必要な貴金属量が小さくなる。
- 【根拠・内容2】貨幣の機能が代替されたとき、その貨幣がどのように流通から退くかは重要論点だが、本章では結論を先送りしている。
本文
一
信用の機能は、政治経済学の単独の論点としては、どれにも劣らず誤解や概念の混乱が多い。これは理論そのものが特別に難しいからではなく、信用がさまざまな形をまとって現れるために商業上の現象の一部が複雑になり、信用一般に共通する性質よりも、個々の形態の特性へと関心や注意がそれやすいためである。
信用の本質についての混乱した考えの一例として、国民経済にとって重要だという理由で、その力を誇張して語る言い回しがしばしば用いられる点を挙げたい。信用はたしかに大きな力を持つが、多くの人が思うような魔法の力ではない。無から有を生み出すことはできない。それにもかかわらず、信用の拡大が資本の創出に等しいとか、信用それ自体が資本であるかのように語られることが多い。しかし信用とは、他人の資本を用いることを認める許可にすぎないのだから、生産手段を増やすのではなく、持ち主から別の人へ移すだけである。借り手が信用によって生産手段や労働を雇う力を増せば、その分だけ貸し手の力は減り、同じ額の資本を所有者と借り手が同時に資本として用いることはできない。賃金や道具、原材料としての価値を、二つの労働者集団に同時に供給することもできない。たしかに、甲が乙から借りて事業に用いる資本は、他の目的に関してはなお乙の富の一部を成している。乙はそれを当てに取り決めを結び、必要ならそれを担保に同額を借りることもできるので、うわべだけ見れば乙と甲が同時に使っているように見える。けれども、乙が資本を甲に渡した以上、その資本としての使用は甲に限られ、乙に残るのは、最終的な返還請求権が第三者丙から別の資本を借りるために役立つ限りでの便益にとどまる。結局、だれかが実際に用いている他人の資本は、その分だけほかのだれかの資本から差し引かれている。
二
信用とは、資本を持つ人から別の人へ資金を移す仕組みにすぎないが、その結果として、生産の現場で資本を最も効率よく使える人の手に資金が回りやすくなる。信用が存在しないか、あるいは社会に不安と不信が広がって信用の利用が乏しくなると、多少の資本を持っていても、仕事の都合や必要な技能、知識の不足によって自らその運用を監督できない人は、その資本から利益を得にくく、資金は使われないまま滞留するか、不慣れな運用で浪費され、失われるおそれがある。ところが実際には、そうした資本は利子を付けて貸し出され、生産に回る資金となっている。この種の資本は、商業国の生産力を支える資源の大きな部分を占め、事業規模が大きく、資本を最も有利に使える生産者や商人、取引業者に集まりやすい。彼らは資金を最も必要とし、同時に最も確かな担保を示せるからである。信用によって国全体の資本そのものが増えるわけではないが、資金がより完全に生産へ動員される。信用の基礎となる信頼が広がるほど、非常時に備えて各人が手元に置く最小限の資金さえ生産に振り向ける道が開け、その中心となるのが預金銀行である。銀行がなければ、慎重な人は支払いの請求に備えて現金を手元に抱え込み、使わずに確保せざるを得ないが、手元の備えを自分で保管するのではなく銀行に預ける習慣が広がれば、以前は遊休していた小口の資金が銀行に集まる。銀行は、一定期間にどれほどの引き出しが起こりそうかを経験から見積もり、ある預金者が平均より多く引き出すときには別の預金者が平均より少なく引き出すことも踏まえて、残りの大部分を生産者や商人に貸し出せるため、資本の総量は増えなくとも運用に回る資本が増え、社会全体の生産もそれに応じて押し上げられる。
信用は、このように国の全資本を生産に役立てるために欠かせないだけでなく、国の産業上の才能を生産の目的に、より効果的に役立てる手段でもある。自己資本がないか、あってもごくわずかだが、資本の保有者から事業に向くことや商売の力量を知られ、認められている人は、資金の前貸しや融通を受けたり、多くの場合は信用で商品を受け取ったりでき、その結果、その産業上の能力が公衆の富の増大に役立つ。さらに、よりよい法制度と教育によって社会の誠実さが進み、個人の人格が、他人の財産を不正に自分のものにしないという点だけでなく、不正に他人の財産を危険にさらさないという点でも十分な保証として受け入れられるようになれば、信用がもたらす恩恵はいっそう大きくなる。
以上は、信用が世界の生産力に及ぼす効用を一般的な観点から整理したものだが、こうした効果が期待できるのは、生産者や商人などの勤労階級に与えられる信用に限られる。商人が地主や年金生活者といった非生産的な消費者に信用を与えても、公共の富の源泉は増えず、むしろ損なわれる。なぜなら、非生産的な側の資本が一時的に生産的な側へ回るのではなく、生産側の資本が非生産側へ移ってしまうからである。たとえば商人AがBに商品を渡し、代金を五年後に支払わせる場合、その商品価値に相当するAの資本は五年間、生産に使われないまま拘束されるが、即時払いであれば、その資金は支出と回収を繰り返し、同額に相当する財が何度も生産され、消費され、再生産されうる。したがって、Bが一〇〇ポンドを五年間手元に置き、最後に支払ったとしても、その間に共同体の労働者階級が被る損失は、おそらくその数倍に及ぶ。Aは価格を上乗せして最終的にBから回収できたとしても、労働者階級にまで補償が及ぶわけではなく、資本が恒久的であるか一時的であるかにかかわらず、資本が非生産的用途に回るたびに最も大きな被害を受けるのは労働者階級である。国全体としても、その五年間は一〇〇ポンド分の資本を欠いた状態に置かれたことになる。というのも、BがAの資本から同額を先に引き出して非生産的に使い、五年後になって初めて自らの所得から同額を取り分け、Aへの補償として資本に振り替えただけだからである。
三
これまで、信用が生産において果たす一般的で基本的な役割を見てきた。信用そのものは生産力ではないが、信用がなければ、すでにある生産力を完全に稼働させることはできない。さらに理論的に込み入っているのは、信用が物価に及ぼす影響であり、観察者を困惑させる商業現象の大半はここから生じる。信用が習慣的に供与される取引環境では、ある時点の一般物価は、貨幣量よりも信用状態に左右されやすい。というのも、信用は生産力ではないものの購買力であり、信用を持つ人がそれを用いて商品を買えば、同額を現金で購入するのと同じだけ需要が生まれ、価格を押し上げる力も同じように働くからである。
いま検討すべき信用とは、貨幣とは別個に購買力を生み出す仕組みであって、だれかがだれかに現金を貸して直接手渡すといった最も単純な形の信用ではない。というのも、借り手がその現金で買い物をしても、決済手段はあくまで貨幣であり、貨幣がもたらす以上の購買力が新たに生まれるわけではないからである。購買力を生む信用とは、取引の時点で貨幣が動かず、しかも多くの場合、取引の始めから終わりまで貨幣がまったく動かない形のものである。個々の取引は、ほかの多数の取引とまとめて帳簿上の勘定に組み入れられ、支払いは差し引き残高だけで済む。このような形にはさまざまなものがあるので、以下、順を追って見ていき、慣例どおり最も単純なものから取り上げる。
AとBという二人の商人がいて、互いに買い手にも売り手にもなりながら取引を続けているとする。AはBから掛けで仕入れ、Bも同様にAから掛けで仕入れる。年末になると、AがBに負う債務の総額をBがAに負う債務の総額と突き合わせて相殺し、どちらにいくらの残高があるかを確かめる。このときに残る差額は、個々の取引額より小さいことも多く、取引全体の合計より小さいのは当然で、実際に現金が動くのはこの差額分だけである。さらに、その差額すら支払わずに翌年の当座勘定へ繰り越すこともあるため、この仕組みでは、一回の一〇〇ポンドの支払いだけで、長く続いた一連の取引をまとめて決済できる場合があり、その中には数千ポンド規模の取引が含まれることもある。
第二に、AがBに負う債務は、BがAに対して相殺できる同額の債務を持っていなくても、貨幣を介在させずに支払うことができる。Aは、第三者Cが自分に対して負っている債権をBに譲り渡すことでBを満足させることができ、Bがその債権を回収すれば、Bは弁済を受けたことになる。この手続は為替手形という書面で行うのが便利であり、為替手形は、債権者が債務者に対して発する譲渡可能な支払指図である。そして、債務者がこれを受諾し署名すれば、債務を認める証書となる。
四
為替手形は、金銀などの貴金属を各地へ運ぶ費用を抑え、盗難や事故といった危険を避けるために、早くから利用されてきた。ヘンリー・ソーントンは、ロンドンの一〇人の製造業者がヨークの一〇人の小売商に商品を売り、同時にヨークの一〇人の製造業者がロンドンの一〇人の小売商に別の商品を売っているなら、双方が毎年ギニー金貨を送り合って支払う必要はない、と述べる。つまり、ヨークの製造業者は小売商から代金を受け取り、受け取った旨を記した書面を渡し、その書面で、ロンドンにいる自分たちの債務者の手元にある資金をロンドンの製造業者に支払うよう指図して、ヨークとロンドンの債務を相殺すれば、送金の費用も危険も避けられるということになる。このように、債務の移転を指図する書面が、現在でいう為替手形である。為替手形は、ある人の債務を別の人の債務と交換するための証書であり、ある場所で支払うべき債務を、別の場所で支払うべき債務と交換する場合にも用いられる。
遠隔地で債務を決済するとき、貴金属を運ぶ手間や費用をかけずに済む手段として為替手形の便利さが知られるようになると、その利用はのちに別の理由でも大きく広がった。商取引では商品の代金に一定の支払猶予、いわゆる信用期間を設けるのが一般的で、三か月、六か月、一年、場合によっては二年といった期間が、業種の事情や慣行に応じて用いられる。たとえば、売り手が六か月後に代金を受け取る条件で商品を売ったものの、資金繰りの都合で早く現金化したいときには、買い手を支払人として六か月後満期の手形を作成して振り出し、銀行や金貸しなどに割引いてもらう。手形を譲渡し、満期までの残期間に相当する利子分を差し引かれた金額を受け取る仕組みである。こうして為替手形は、期日未到来の債権をもとに別の相手から信用を得る手段として重要な役割を担うようになったが、この便法が広まるにつれて、支払人が振出人に対して従来負っていた債務に基づかない為替手形も頻繁に作られるようになり、融通手形と呼ばれ、ときに否定的な意味を込めて架空手形とも呼ばれる。この性質を明確に述べた説明があり、要点を押さえた指摘も加えられているため、次に該当箇所をそのまま引用する。
Aが一〇〇ポンドの資金を必要とし、Bに対して二か月期限の約束手形または為替手形の引受けを求めると、Bは手形の券面上は期日に支払義務を負う立場になる。しかし当事者間では、期日にAが自らその手形を決済するか、またはBが支払えるようにAが資金を用意することが了解されている。Aは両者の信用を合わせる形でその手形を割り引いて直ちに現金を得て、期日に約束どおり支払えば取引は完了する。もっとも、BがAに与えたこの便宜は、後日、Bの都合のためにAが同様の手形を引き受け、その手形が振り出されて割り引かれることによって、より早くまたはより遅い時期に報いられる場合もある。
ここで、これらの手形を実在する手形と比較してみよう。どの点で異なるのか、あるいは異なるように見えるのか、またどの点で一致するのかを考える。
両者はいずれも割引の対象となる手形であり、割引されることを目的として発行され、実際に割引されている場合もある。したがって、どちらも商人に投機のための資金手段を等しく供給する。さらに、為替手形や約束手形が流通手段、すなわち国内の紙幣として機能し、金貨ギニーの使用を妨げる限りでは、架空の手形と実際の取引に基づく手形とは同等である。また、紙幣の量に応じて商品価格が上がるのであれば、その価格上昇への寄与も両者はまったく同じである。
両者が違う点に入る前に、一般には両者が似ていないと思われがちな一点に、まず触れておきたい。ただし、その点についても、両者がいつも、あるいは必然的に異なるとは言えない。
実物手形(リアルノート)は、現に存在する財産を表すものだと(しばしば)言われる。実物手形には一枚ごとに対応する現物の商品や財が必ず存在し、したがって現実の財産の写し、あるいは現実の資産そのものを代表するものだといえる。これに対して、物品や商品の売買の結果として振り出されない手形は、それによって国が欺かれる偽の富の一種である。そうした手形が供給するのは架空または想像上の資本にとどまる一方で、実物手形が示す資本は実在する。
この主張に対してまず指摘できるのは、現実の商品売買にもとづいて振り出された手形であっても、それだけで必ずしも実在する財産を表すとは限らないという点である。たとえば、AがBに一〇〇ポンド分の商品を六か月払いで売り、代金として六か月後満期の手形を受け取ったとする。ところが、Bが一か月もたたないうちに同じ商品を同じ条件でCに売って同様の手形を受け取り、Cもさらに一か月後にDへ売って同様の手形を受け取るという取引が続けば、六か月の終わりには一〇〇ポンドの手形が六通、同時に存在し、しかもそれらがすべて割引に回っている可能性もある。それでも、実在する財産を代表している手形は、結局、このうち一通にすぎない。
「実在手形」が実際の財産を表していると言い切るには、手形の所持人が、その手形の対象とされる財産が当該手形の支払い以外の目的に使われるのを防げるだけの権限を持っていることが前提になる。しかし現実には、そのような権限は存在しない。実在手形を所持する人も、それを割り引く人も、手形が発行された原因となった特定の商品について、所有権に近い権利を持っているわけではないため、結局のところ両者が依拠しているのは、架空手形の所持人と同じく、発行者の一般的な支払い能力に対する信用にすぎない。また、架空手形も多くの場合、多額の資本を持ち、そのことが広く知られている人物によって振り出されており、その場合には、架空手形であっても資本の一部を表していると説明できる。こうした事情を踏まえると、実在手形は財産を表し、架空手形は表さないとする見方は、一方を過大に評価し、他方を過小に評価するもので、均衡と公平さを欠いているように思われる。
次に、両者が異なる点に移る。
第一に、便宜手形など、実体のない与信にもとづく架空手形は、実態がないのに取引があるように見せかけているとして批判されやすい。しかし、この批判が当てはまるのは、架空手形が実取引にもとづく実手形であるかのように扱われて流通する場合に限られる。多くの場合、架空であることは外観から十分に明らかである。第二に、架空手形は一般に、実取引にもとづく実手形よりも期日どおりに決済される見込みが低い。そして、架空手形を用いる者は、それを慎重に避ける者よりも投機的で、より大きな危険を取る人物である、という見方が一般に共有されている。第三に、その結果、架空手形は安全性が低いだけでなく、発行量にも歯止めがかかりにくい。ある人の実際の販売高は、その人の実手形の総額に一定の上限を与える。また、商取引では信用が各人にある程度規則的で適切な割合で供給されることが望まれるため、販売にもとづいて振り出された手形が表に現れているという事実によって確かめられる販売高は、多くの点で不完全ではあるものの、一定の目安として機能する。
架空手形、いわゆるアコモデーション・ビル、つまり便宜手形は、実質的には一般の約束手形とほとんど変わらず、信用の裏づけという点ではむしろ優れている面もある。約束手形は支払責任のよりどころが一者に限られるのに対し、便宜手形は二者が関与し、責任のよりどころが二つあるためである。ただし、商人が資金調達の手段を過度に広げることへの警戒が強いため、本来は商いに従事しない者しか発行できないとされてきたこの種の手形を商人が発行すると、信用や体面をいくぶん損なうものと受け取られ、不名誉と見なされることもあった。さらに、このような手形は商人の手にあるかぎり、商品売買で流通する手形と同じ体裁をどうしても取るため「架空」と呼ばれるようになり、この呼び名が、流通する紙信用や国の見かけの富の一部には根本的に虚偽で人を惑わすものがある、といった混同や誤解に根拠を与え、かえってそれを広げてきたように見える。
為替手形は、単に割り引かれ、割引者が満期まで手元のポートフォリオに保管しているだけであれば、貨幣の機能を果たすことも貨幣の代わりとなることもなく、それ自体が貨幣で売買される対象にとどまる。この点では、公債などの有価証券と同様に、通貨そのものではない。だが、ある人物を支払人として振り出された手形が、債務や金銭債権の弁済のために別の相手へ(あるいは同じ相手へ)手渡される場合には、手形がなければ現金が必要となる取引を代替し、通貨のように機能する。実際に為替手形は、この目的でしばしば用いられる。ソーントン氏は、「手形は手持ち現金の使用を省くだけでなく、多くの場合にそれに代わる」と述べ、地方の農民が、首都で売った穀物代金についてロンドンの穀物商を支払人として一〇ポンドの手形を振り出し、近所の食料品店主への債務の弁済としてそれを渡し、店主はあらかじめ裏書して近隣の砂糖菓子職人へ送って同様の債務を弁済し、職人はさらに裏書して港町の西インド商人へ送り、商人はそれを地方銀行家に渡し、銀行家も裏書してさらに流通させる例を挙げている。この場合、この一枚の手形は、まるで一〇ポンドの持参人払の要求払手形、または同額の要求払の持参人払紙幣であるかのように、都合五回の支払いを成立させたことになる。このようにして、地方では商人どうしのあいだで多数の手形が行き交い、最も厳密な意味で国内の流通手段の一部を形づくっている。
国内外の手形の多くは、支払いのために提示される時点で、少なくとも複数、場合によっては多数の裏書で覆われている。裏書の一つ一つが、その手形がその都度割り引かれたこと、またはその手形が実質的に貨幣の役割を果たして決済に用いられた金銭取引を示しているためである。近年までの一世代ほどのあいだ、ランカシャーでは五ポンドを超える金額の取引に用いられる流通手段は、ほぼ全面的にこの種の手形で構成されていた。
五
信用が通貨の代わりに用いられる第三の形態は約束手形の発行である。ある者に宛てて振り出した為替手形がその名宛人の引受を得た場合と、その者が同額の支払いを約束して署名する約束手形とは、その者にとってはほぼ同じ効果を持つが、前者は利息が付くのが一般的で、一定期間後の期日払いになりやすいのに対し、後者は利息が付かないことが多く、一覧払い、つまり請求があれば支払う形になりやすい点が異なる。商業国でこの種の貨幣代替物の供給が業務として定着したのは主に後者の形によってであり、金貸業者も他の商人と同様に、自己資金だけで回せる範囲を超えて取引を広げようとして、資本だけでなく信用そのものを提供しようとする。彼らは、預かった資金を裏づけとする信用に加えて、一般の人々から新たに信用を得る力も、危険が小さいと判断できる限り活用したいので、その実務上の手段として、持参人払いで請求があれば支払う自社の約束手形を貸し付ける。借り手がその手形を事実上の貨幣として受け取るのは、発行者の信用があるためであり、第三者も代金の支払いなどで同じ価値のものとして受け取る結果、手形は通貨と同じ機能を果たして、それまで流通していた同額の現金を不要にする一方、要求払いである以上、いつでも発行者のもとに差し戻されて現金の支払いを求められる可能性がある。発行者が破綻を避けるには、追加資金を調達できるまでの間に想定される請求に応じられるだけの現金を手元に確保し、経験上、支払の請求に回らず流通に残ると見込める範囲を超えて増発しないことが欠かせない。
信用を貨幣のように生み出すこの仕組みの便利さがいったん知られると、各国政府も同じ手法を採り入れ、支出や諸経費の支払いに政府発行の支払い約束証書を用いるようになった。これは政府にとって、より有用で使い勝手のよい資金調達手段である。というのも、利子を払わずに資金を借りられる手段はほとんどこれしかなく、要求があれば支払うという政府の約束が、保有者の見立てでは手元の現金と同等の価値をもつものとみなされるからである。こうした政府の証書と民間銀行が発行する手形との実務上の違い、そしてこの種の貨幣代替物が取りうるさまざまな形については、後で詳しく取り上げる。
六
信用を貨幣の働きに生かす第四の方法は、小切手による決済であり、これが広く普及して徹底すれば、貨幣をかなりの程度、場合によってはほぼ完全に置き換えられる。この国では、当座の支出や不測の出費に備えて手元に置く余裕資金を銀行に預け、少額を除く支払いは銀行に対する支払指図で済ませる慣行が、より広い層に広がっている。支払う側と受け取る側が同じ銀行に預金していれば貨幣は介在せず、銀行の帳簿上で支払人の勘定から受取人の勘定へ金額を振り替えるだけで決済が終わる。仮にロンドンの人びとが現金を同一の銀行に預け、支払いをすべて小切手で行うなら、ロンドンで始まりロンドンで終わる取引に貨幣は一切不要となり、実際にも使われないだろう。この理想は業者どうしの取引に限れば、現実にもほぼ実現している。いま貨幣や銀行券が動くのは主に、小売の場面での業者と消費者のやり取りと賃金の支払いで、しかも少額の場合に限られる。ロンドンでは、一定の資本や取引規模をもつ小売商であれば概して銀行口座を持ち、安全と利便に加えて、資金繰りが厳しいときでも手形割引を受けやすくなるという利点がある。商人や大きな業者は商取引に伴う支払いをふだんから小切手で行うが、取引先の銀行は同一とは限らず、AがBに小切手を渡しても、Bは同じ銀行ではなく別の銀行に持ち込むのが一般的である。そこで商取引の便宜から、ロンドンのシティの銀行各店が、ある目的については事実上一つの組織として機能する仕組みが生まれた。銀行は、持ち込まれた小切手を振出先の銀行へ送って現金の支払いを求めるのではなく、クリアリングハウスと呼ばれる建物で処理して精算する。シティの各銀行は毎日午後、当日受け取った他行あての小切手をすべてそこに送り、他行が持つ自店あての小切手と交換し、差額だけを貨幣で支払い、場合によっては差額も貨幣ではなくイングランド銀行あての小切手で決済する。この工夫により、シティでその日に行われた数百万ポンド規模の取引に加え、地方銀行がロンドンの取引先銀行にあてて振り出した手形によって代表される膨大な地方取引の相当部分も、平均して二〇万ポンドを超えない支払いで決済される。
これまで述べたさまざまな信用手段を活用すれば、英国のような国では、驚くほど少ない貴金属で膨大な取引を処理できる。売買される商品の金銭価値に対して必要となる貴金属の量は、信用を与える習慣や気風がそれほど広く行き渡っておらず、その結果「節約の工夫」と呼ばれる手段も同じ程度には用いられていないフランスなどで必要とされる量に比べて、はるかに少ない。このように本来の機能を別の仕組みに置き換えられた貨幣が、その後どうなり、どのような過程を経て流通から姿を消すのかは重要な論点として残るが、ここではしばらく議論を延期する。
