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J.S.ミル『経済学原理』第1巻第12章【14/75】

J.S.ミル『経済学原理』の第1巻第12章「土地からの生産増加の法則」をAI翻訳しました。誤訳や読みづらいところが残っているかもしれませんが、温かい目で読んでいただけたらうれしいです。

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この翻訳について

  • 目的:個人の学習・読書用の試訳です。学術的な厳密さまでは保証できません。

  • 方法:AIで下訳 → 自分で全体を見直し、一部の表現を修正しています。

  • 出典:原文はこちら

  • お願い:引用の際は出典の明記をお願いします(本文リンク・本記事URLなど)。

AIによる要約

土地は有限であり、最終的な生産制約は「量」と「生産力」にある

  • 【主張】生産増加の究極の制約は、土地の面積と各土地の生産力に上限があることにある。

    • 【根拠・内容1】土地は労働・資本のように無限に増やせず、特に高生産力の土地ほど希少である。

    • 【根拠・内容2】同一地片でも産出を際限なく増やせないため、「土地の量の限界」と「土地の生産力の限界」が真の限界となる。

    • 【根拠・内容3】最終限界に現実が到達した例は少ないため軽視されがちだが、貧困の発生など政治経済学の根幹に関わる重要論点である。

収穫逓減は「壁」ではなく、早い段階から効いてくる「圧力」である

  • 【主張】土地の制約は最後に突然止まるのではなく、限界に遠く及ばない段階から逓減的に効き、増産ほど割高になる。

    • 【根拠・内容1】農業技術水準が一定なら、労働(資本)投入を増やしても産出は同率で増えず、増産には投入を比例以上に増やす必要が生じる。

    • 【根拠・内容2】この法則は政治経済学上の最重要命題で、表面的要因(制度・出来事等)を「原因」と誤認しやすいが、本質的制約として背後で働く。

増産手段は「劣等地の利用」か「集約化」だが、いずれも追加分の費用が上がりやすい

  • 【主張】需要増に対応する増産は、(1)より劣る土地へ拡張するか、(2)同じ土地をより集約的に耕作する形になり、一般に追加供給ほど高コスト化する。

    • 【根拠・内容1】劣等地は、肥沃度不足(栽培労働増)か立地不利(輸送労働増)により、同量生産に必要な労働が増える。

    • 【根拠・内容2】集約化(耕起回数増、除草徹底、農具高度化、施肥増など)でも、追加収量は費用に比例しにくく、価格上昇がないと採算が合わない局面がある。

    • 【根拠・内容3】条件の悪い土地でも資本が入るのは、良地でも追加投入の収益性が低下して「悪地並み」になっていることの証拠とされる。

    • 【根拠・内容4】土地が豊富な国(例:米国)では、新地へ労働を向ける方が合理的で、高集約農業は土地不足が強まる段階で初めて有利になりやすい。

例外:土地改良・制度要因により、逓減の表れ方は一時的に変わりうる

  • 【主張】排水・恒久施肥などの土地改良や資本配分の制約(制度・慣行)により、逓減の進み方は遅れたり、一時的に弱まったりする。

    • 【根拠・内容1】土壌そのものを改善する投資は、追加投入でも高いリターンを生む場合がある(単なる追加労働の増し入れとは異なる)。

    • 【根拠・内容2】ただし回収期間の長さや土地制度・小作慣行が、改良への資本流入を妨げ、非効率な形で増産が行われることもある。

    • 【根拠・内容3】改良が一気に進めば劣等地が耕作から外れ、労働当たり産出が一時的に改善する可能性はあるが、人口増が続けば再び逓減圧力は強まる。

ケアリーの反論(収穫増加説)は、結局逓減法則を補強してしまう

  • 【主張】「開拓は痩せ地から肥沃地へ進むので収穫は増加する」というケアリーの議論には局面としての妥当性はあるが、一般法則の否定にはならない。

    • 【根拠・内容1】新開拓地では排水・伐開など整備負担のため、当初は肥沃低地が後回しになることはあり得る(法則の適用時期の過度な一般化への注意)。

    • 【根拠・内容2】しかし古い国(英仏など)では未耕地が恒常的により肥沃で残っているとは言い難く、一般には良地から悪地へ拡張が進む。

    • 【根拠・内容3】ケアリー自身が「社会の発展とともに一次産品価格が上がる」と述べる点は、生産費(必要労働)が増える傾向=逓減の存在を示唆する。

逓減に対抗する力は「文明の進歩」であり、技術・輸送・制度・教育が生産費上昇を抑える

  • 【主張】収穫逓減は基本傾向だが、農業技術・機械化・輸送改善・制度改革・教育などの「文明の進歩」がそれを相殺・遅延させうる。

    • 【根拠・内容1】農業改良には、(a)労働を大きく増やさず総産出を増やす(輪作・新作物・品種改良・施肥知識・排水等)と、(b)産出は増やさず費用を下げる(機械化・農具改良・作業節約)がある。

    • 【根拠・内容2】道路・運河・鉄道・航海など輸送通信の改良は、輸送費だけでなく肥料搬入や農場内移動の費用も下げ、不利地の採算線を押し下げる。

    • 【根拠・内容3】製造・工学の進歩(鉄の低廉化、製粉技術、土木・排水技術等)も間接的に食料生産費を引き下げる。

    • 【根拠・内容4】制度改革(重税・規制の撤廃、土地制度の改善、小作慣行の是正など)や教育・道徳の向上も、労働生産性を高める点で実質的な「生産改良」となる。

農業と製造業の対比:農業は逓減が支配的、製造は逓増的改善が優勢

  • 【主張】農業は追加供給ほど費用上昇しやすい一方、製造業は分業・機械化で単位費用が下がりやすく、長期的に価格下落をもたらしてきた。

    • 【根拠・内容1】原材料は土地由来で農業的逓減の影響を受けるが、原材料比率は製造総費用の一部にとどまり、非農業工程の生産性向上がそれを上回る。

    • 【根拠・内容2】結果として過去数百年、工業製品は概して価格・価値が段階的に低下してきた。

    • 【根拠・内容3】食料価格が上がっても、衣料・住居など非食料価格が下がれば、生活全体では相殺され、貧困層にも恩恵が及ぶ可能性がある。

この法則は鉱業など「自然資源採取型」産業にも広く当てはまる

  • 【主張】有限資源に依存する産業では、増産や現状維持さえ追加費用を要する逓減傾向があり、ただし技術進歩や新鉱発見が対抗力となる。

    • 【根拠・内容1】鉱山は枯渇に向かい、採掘は深部化・排水・運搬距離増などでコスト高になりやすい。

    • 【根拠・内容2】一方で鉱業は機械化・化学工程改良の余地が大きく、新鉱床発見も枯渇の影響を緩和しうる。

総括:有限な自然要因は逓減圧力を生むが、知識の拡大がその圧力を止めたり遅らせたりする

  • 【主張】自然の有限性は「追加需要ほど不利条件でしか応えられない」傾向を生むが、人間の知識・技術・制度の進歩がその発現を抑制し得る。

    • 【根拠・内容1】制約は最終限界に達する前から段階的に強まり、社会の分配や貧困問題の理解にも不可欠な基礎原理となる。

    • 【根拠・内容2】同時に、自然を理解し使いこなす力(知識の拡大)が高まれば、逓減の働きは停止または当面抑えられる場合がある。


本文

土地は労働や資本と違って無限に増やせる生産要素ではなく、その面積には上限がある。とりわけ生産力の高い土地ほどその範囲はいっそう限られている。また、どの土地であっても、一定の区画から得られる生産物の量を際限なく増やすことはできない。したがって、土地の量の限界と土地の生産力の限界こそが、生産の増加を制約する真の限界である。

それらが究極の限界であることは、以前から明らかに見えていたはずである。しかし、最終的な壁に現実に到達した例は、まだ一度もない。食料生産に使える土地が、これ以上収穫を増やせないほどまで耕し尽くされている国はなく、農業の知識が今後まったく進歩しないとしても、地球の地表には未開墾・未耕作の地域が広く残っている。したがって、当面はこの要因による生産や人口の制約は、まだはるか先のことだと思われがちで、最初はそう考えるのも自然である。そのため、この制限原理を現実の課題として重く受け止め、真剣に検討しなければならなくなるまでには、長い年月が過ぎると見られている。

私は、これは単なる誤りではなく、政治経済学の全領域に見られる誤りの中でも最も重大なものだと考えている。この問題は、ほかのどの問題よりも重要で基本的な論点であり、豊かで勤勉な社会において貧困が生まれる原因という主題全体に関わっている。この一点を徹底して理解し、十分に解き明かさないかぎり、これ以上調査や探究を進めても無益である。

土地の性質による生産上の制約は、特定の場所に動かず立つ壁が道をふさぎ、完全に通行を止めるまでは動きを妨げない、といった種類の障害ではない。むしろ、弾性が高く、伸び縮みする帯のようなものである。ほとんどの場合、これ以上伸ばせないほど激しく引き伸ばされることはないが、その圧力は最終的な限界に達するずっと前から感じられ、限界に近づくほど、いっそう強く感じられる。

農業の進歩がある程度まで進むと、まだ高度な段階に達していなくても、土地からの生産には一定の法則が働く。すなわち、農業技術や知識、技能の水準が一定であるかぎり、労働を増やしても産出は同じ割合では増えず、労働を二倍にしても産出が二倍になるとはかぎらない。言い換えれば、産出を増やすには、土地への労働投入を産出の増加以上の割合で増やさなければならない。

農業産業のこの一般法則は、政治経済学において最も重要な命題である。もしこの法則が異なるものであったなら、富の生産と分配について私たちが目にしている現象のほとんどは、いまとは違うものになっていたはずである。それでもなおこの分野で最も根本的な誤りが残りやすいのは、注意が向きがちな表面的な作用因の背後でこの法則が働いていることが見落とされ、その結果、それらの作用因は結果の形態や様式に影響しうるにすぎないのに、それを究極の原因と取り違え、本質を決めるのはこの法則だけであるという点を見失って、両者を混同してしまうためである。

生産物の増産を目的として質の劣る土地や条件の悪い土地に頼るようになると、その限りでは、収穫量は労働投入と同じ割合では増えない。質の劣る土地とは、同じ労働をかけても収穫が少ない土地であり、その理由は、肥沃さが足りない場合と、市場から遠いなど立地が不利な場合に分けられる。肥沃さが足りなければ栽培に必要な労働が相対的に増え、立地が不利であれば市場へ運ぶための運搬や輸送に必要な労働が相対的に増える。たとえば、土地Aで賃金や肥料などに一定の支出をして小麦一、〇〇〇クォーターを得ており、さらに一、〇〇〇クォーターを確保するために、よりやせた土地や市場から遠い土地Bを使わざるを得ない場合、二、〇〇〇クォーターを得るために必要な労働は当初の二倍では足りず二倍を超えるため、農業生産の増加率は、それを得るために投入される労働の増加率を下回る。

土地Bを新たに開墾する代わりに、土地Aの耕作をさらに集約して収穫を増やすこともできる。たとえば、すき起こしやまぐわ掛けの回数を一回から二回へ、二回から三回へと増やしたり、すき起こしではなく掘り返しを行ったり、すき起こしのあとにまぐわではなくくわで仕上げて土をより細かく砕いたりする方法がある。除草をこれまでよりこまめに、または徹底して行うことに加え、農具をより高品質で精度の高いものにしたり、構造をより手の込んだものにしたりすることも効果がある。さらに、肥料の量を増やしたり高価な肥料を用いたりし、施肥後は丁寧に混ぜて土全体に行き渡らせることも挙げられる。これらは同じ土地から生産を上積みするための手段であり、増産が必要な場面では、通常、複数が組み合わされて実施される。ただし、その増産は費用が生産の増加分を比例以上に上回りうる形で達成されることが、条件の悪い土地が実際に耕作されていることから明らかである。条件の悪い土地や市場から遠い土地は収益が低く、需要が増す局面では費用がかさむため、価格が上がらなければ需要を満たすだけの供給はできない。もし優良な土地に労働と資本を追加投入するだけで、当初と同じ費用の割合のまま追加需要を賄い続けられるなら、その土地の所有者や農業経営者は他より安く売って市場を独占できてしまう。肥沃度が低い土地や立地が不利な土地でも、自給や生活の自立のために所有者が耕すことはあり得るが、利益目的の耕作が有利になることはない。それでもそうした土地でも資本を呼び込むだけの利益が得られるのは、より条件のよい土地では、労働と資本をこれ以上投じても、同じ費用で得られる収益が、せいぜい条件の悪い土地と同程度にとどまる段階に達していることの証明である。

イングランドやスコットランドで農地が丹念に管理され、集約的な農業が広がっているのは、増産のために土地がより不利な条件を要求し始めたことの徴候であり、その結果でもある。こうした精密な耕作は、粗放な農法より費用負担が大きく、採算を確保するには農産物価格の上昇が欠かせないため、同程度に肥沃で未開墾の土地に容易にアクセスできるのであれば、あえて採用されない。社会が必要とする供給増を、既耕地と同等の新しい土地で賄える段階では、既存の土地に労働を追加してヨーロッパで最良とされる耕作法が可能にする収量に近づけようとはせず、土地は労働に対する見返りが最大となる水準まで利用し、それ以上の労働は別の土地に振り向けられる。「米国を旅したある見識ある旅行者は、英国人の目には収量の少なさや、われわれなら不注意な耕作と呼ぶであろう粗さが目につき、慣れるまで時間がかかるという。土地が豊富で労働が高価な国では、人口の多い国とは異なる原理に従わざるを得ず、その結果、労働を要する事柄全般に、整いと仕上げが欠けるのは当然だというのである」。ただし、挙げられた二つの理由のうち本質は労働の高さではなく、土地の豊富さだと考える。労働がいかに高価であっても、食料が必要なら労働は常に最優先で食料生産に回るが、その労働は、既に耕作されている土地をより高度に集約化するよりも、新しい土壌に向けたほうが目的にかなうからである。距離が遠い、または土地の質が劣っていて、価格が相当に上がらなければ採算が取れない土地しか残っていない段階になって、初めてヨーロッパ型の高集約農業を米国で採用する利点が生じる。例外があるとすれば都市近郊で、輸送費の節約が土壌そのものの収量の低さを補う場合である。米国の農業がイングランド農業に対して持つ関係は、通常のイングランド農業がフランドル、トスカーナ、テッラ・ディ・ラヴォーロの農業に対して持つ関係に重なり、これらの地域では、はるかに多くの労働投入によって総生産はかなり増えるものの、農産物価格が大幅に上がらない限り、単に利潤をねらう事業者にとって有利になることはない。

先に述べた原理は、そのまま無条件に受け取るのではなく、いくつかの補足と制約を踏まえて理解する必要がある。土地の耕作が高度に進み、労働や通常の施肥を少し増やしても費用に見合う増収が得にくくなっている場合でも、排水や恒久的な施肥などによって土壌そのものを改良するために、より多くの労働と資本を投じれば、すでに投入されている労働と資本に劣らないだけの報いを、増産によって収益として得られ、場合によってはそれ以上になることもある。資本が常に最も有利な投資先へ滞りなく向かうのであれば例外は生じにくいが、有利な投資ほど回収に時間がかかることがあるため、そうした投資が選ばれやすいのは産業発展が進んだ段階に限られ、その段階においても、土地所有制度や小作制度をめぐる法律や慣行が、国内の可処分資本が農業改良へ自由に流れ込むことを妨げがちである。このため、費用を増やさずに増産できる手段が知られていて、しかも利用可能であるにもかかわらず、人口増に必要な供給増が、より集約的な耕作によって費用がかさむ形で確保されることがある。現行価格のもとで採算が取れ、支出に対して同等以上の割合で収穫を増やせると認められている英国の土地改良を、仮に来年中にすべて実行できるだけの資本が用意できるなら、とくにアイルランドを含めて考えると、劣等地を新たに耕地化する必要は長らく生じないだろう。立地に特段の利点がない低生産地の相当部分は耕作から外れる可能性があり、改良の主な効果が良い土地に施すというより悪い土地を良い土地に近づける点にある以上、耕作の縮小は、土地全般で施肥や耕起の手間を軽くし、米国型の農法に近い形へ戻ることで主として進み、改良の見込みがない貧地だけが全面的に放棄される可能性が高い。そうなれば、耕作地全体の総産出は投入労働に対する比率が高まり、土地の収穫逓減の一般法則は、その範囲では一時的に適用されにくくなる。ただし、それでも国に必要な産出の全量を最良地と、立地の優位によって最良地並みとみなせる土地だけで賄えるわけではなく、不利な条件での生産は相当程度残る。人口がさらに増えて供給の上積みが必要になるほど一般法則は再び強く作用し、追加の増産は労働と資本を比例以上に費やして確保されることになる。

ほかの条件が同じであれば、土地の産出は、労働を増やしても増加の割合がしだいに小さくなるという命題は、反論されるというより、見過ごされたり軽視されたりしがちである。これに正面から異を唱えているのが、米国の政治経済学者エイチ・シー・ケアリーで、彼は、農業生産の法則はむしろ逆であり、産出は労働より大きい比率で増え、労働に対する収穫は持続的に増えると主張する。その根拠として彼は、耕作がよい土地から始まり、需要の増大とともに劣等地へ広がるのではなく、現実にはまずやせた土地から始まり、かなり後になって肥沃な土地へ及ぶのだと論じる。新天地の入植者が高地のやせ地から手をつけるのは、川沿いの低地にある肥沃だが湿った土壌が健康を損ねやすいことに加え、伐開と排水に多大で長期にわたる労力を要し、当初は耕作に充てにくいからだという。人口と富が増えるにつれ、耕作は丘の斜面を下りながら進み、進むにつれて伐開も進み、その結果、もっとも肥沃な低地の土は、一般に、彼は例外なくとも言うが、最後に耕作されるとしている。これらの主張とそこからの推論は、彼の著書『社会科学原理』に詳しく示され、彼はそれが「英国政治経済学」の根幹と実際上の帰結を揺るがし、とりわけ自由貿易論を覆すものだと位置づけている。

理屈のうえでは、ケアリー氏の指摘には一理ある。政治経済学の最高権威とされる論者の中には、自分の法則を過度に普遍化し、新たに開拓された国での初期の耕作には当てはまらない点を見落とした者がいた。人口が少なく資本も乏しい段階では、耕作に適するよう整備するために多額の投下を要する土地は未耕地のまま残りやすいが、その時期が来て開墾されれば、先に耕された土地より収穫が多く、当初の整備に費やした労力を含めても労働当たりの成果が高くなる場合が少なくない。ただ、収穫逓減の法則が社会の最初から働くと主張されてきたわけではなく、一部の学者が作動の時期を実際より早く見積もったとしても、その法則は彼らの結論を支えるには十分早い段階で、現実に作用し始める。ケアリー氏も、イングランドやフランスのような古い国で、放置された土地が耕作地より本来的に肥沃で、しかも何世紀にもわたってそうであったとまで言い切るのは難しいはずだ。立地条件という氏の基準が十分でない点はひとまず置くとしても、現在のイングランドやフランスで、未耕地が平野や谷にあり、耕作地が丘陵にあるという説明は成り立ちにくい。一般に手つかずで残るのは高地や痩せ地で、人口の増加によって耕地の拡大が迫られると、開墾は平野から丘陵へ進む。一世紀に一度ほど、ベッドフォード・レベルの排水やハールレム湖の揚水干拓のような例外はあるが、通常の流れから見れば小規模で一時的な出来事にとどまり、文明の進んだ古い国では、こうした余地はほとんど残っていない。

ケアリーは自覚しないまま、自分が反論している法則が現実に成り立つことを、かえって強く裏づけている。彼がとりわけ強く主張する命題の一つは、社会が発展するほど、土壌から得られる未加工の産物、すなわち土地の一次産品の価格が着実に上がる、ということである。しかし政治経済学の基本に照らすなら、こうした値上がりは、それらの産物の労働量で測った生産費が上昇する傾向にないかぎり、起こりえない。もし土地に追加の労働を投じることが、一般に収穫の比例的増加を伴うのだとすれば、価格は上がるどころか、社会の発展とともに必ず下がらなければならない。ただし金銀の生産費がそれ以上の速さで下がる場合は別だが、そのような事態はきわめてまれで、歴史上起こったことが知られているのは、メキシコ、ペルーの鉱山が開かれた後の時期と現在の二つに限られる。知られている範囲では、この二つ以外の時期に貴金属の生産費は横ばいか、むしろ上昇していた。したがって、富と人口の増加に伴って農産物の貨幣価格が上がるのが事実なら、より多くの量が求められるときには、それを土から生産するのに要する労働が増える傾向にあることは、それだけで示され、あらためて証明を要しない。

私はケアリーほど踏み込んでは言わず、人口が増えれば農産物の生産費、ひいては価格がつねに必然的に上がるとまでは断言しない。上がりやすい傾向はあるものの、その傾向は弱まり、実際に長い期間にわたって抑えられることもある。こうした結果は一つの原理だけで決まるのではなく、互いに拮抗する二つの原理が働くことで生じる。土地の収穫逓減の法則に対して、つねにそれと拮抗して働く別の作用があり、これについて次に検討する。それはほかでもない文明の進歩である。ここでこのように一般的でやや曖昧な表現を用いるのは、含めるべき内容が多岐にわたり、より限定した意味の言葉ではそれらすべてを包含しにくいからである。

そのうち最も分かりやすい例として、農業に関する知識や技能、発明の進歩が挙げられる。農業の改良は大きく二つに分けられ、労働をあまり増やさずに土地の総産出を伸ばすものと、産出そのものは増やせないが、それを得るための労力や費用を減らすものがある。前者には、輪作によって休閑を廃することや、輪作に有利に組み込める新しい作物を導入することが含まれ、前世紀末ごろに英国でカブ栽培が取り入れられて農業が大きく変わり、その影響は革命に等しいとも言われてきた。こうした改良は、二年、三年に一度地力回復のために土地を休ませる代わりに毎年作付けできるようにするだけでなく、飼料の増加によって家畜が増え、堆肥が豊富になることで土地の生産性を直接高める。さらに、ジャガイモのような栄養価の高い食料作物の導入や、スウェーデンカブのように同じ作物でも収量の高い種や品種を採用することも重要であり、加えて、肥料の性質や効果的な施し方についての理解を深めること、グアノなど新しい強力な肥料資材を取り入れること、これまで捨てていた物質を肥料として活用すること、心土耕や暗渠排水といった技術、役畜の品種改良や飼養の改善、本来は捨てられるものを食べて人の食料に転換する家畜の飼養頭数を増やすことなども、この系統の改良に含まれる。他方、労働は減らすが土地の生産能力は高めない改良としては、道具の構造を改めることや、唐箕、脱穀機のように手作業を省く機械を導入すること、筋力をより巧みに節約的に使って無駄を減らす工夫があり、例えば英国では普及に時間がかかったものの、鋤作業をスコットランド式に改め、三頭、四頭立てで二人がかりだった作業を、二頭を並べて一人で扱う形に変えるといった例がある。これらは土地の生産性を高めはしないが、人口と需要の増加に伴って農産物の生産費が上がりやすい傾向に対抗するうえで、前者と同様に有効だとされる。

第二の農業改良と同様の効果をもつのが、通信や輸送手段の改良である。よい道路は、よい農具に等しい。労働の節約が、土から作物を収穫する段階で行われようと、消費地まで運ぶ段階で行われようと、経済的な効果に違いはない。さらに言えば、遠方から肥料を運ぶ費用を下げることや、農場内で何度も行われる場所から場所への運搬や移動を容易にすることによって、耕作そのものに必要な労働も減る。鉄道や運河は、それらで市場に送られるあらゆる物の生産費を実質的に下げる。また、鉄道や運河が運ぶ農具や資材によって生産が可能になる品目については、生産費を文字どおり下げる。これにより、価格が上がらなければ採算が取れなかった土地でも、耕作できるようになる。航海の改良も、海外から入る食料や原材料について同様の効果をもたらす。

同様の観点から見ると、一見すると農業と直接の関係がないように見える純粋に機械的な改良の多くも、一定量の食料をより少ない労働の支出で得られるようにする。たとえば、鉄の製錬法が大きく進歩すれば農具は安くなり、鉄道、貨車や荷車、船舶、そしておそらくは建物などの費用も下がりやすくなるうえ、これまで鉄が高価なために用いられていなかった多くのものにも利用が広がり、結果として食料の生産費も下がる。同じ効果は、食料となる材料が地面から離れた後に受ける、いわゆる製造の諸工程が改良された場合にも生じる。穀物の製粉に風力や水力が初めて利用されたことは、農業上の非常に重要な発見に匹敵するほどパンの価格を押し下げたし、製粉所や製粉機の構造が大きく改良されれば、その程度に応じて同様の影響が及ぶ。移動や輸送が安くなる効果については、すでに述べた。さらに、地表での大規模な作業を容易にする土木技術や工学上の発明もあり、測量、とくに高低差を測る技術の進歩は排水にとって重要であり、運河や鉄道の建設については言うまでもない。オランダの低湿地やイングランドの一部の低地では、風力または蒸気で動くポンプによって排水が行われている。灌漑用の運河や貯水池、堤防の整備が必要な地域では、機械技術は生産費を引き下げる大きな助けとなる。

食料の実際の生産をどの段階においても促進する手段として用いることのできない製造上の改良は、そのため、土地からの労働に対する収穫の比例的な見返りが減少していく傾向を打ち消したり、その進行を遅らせたりする助けにはならない。だがそれでも、実際にはそれにほぼ匹敵する別の効果を生み出し、減少そのものは防げないとしても、その結果生じる損失をある程度補っている。

製造に用いられる原材料はすべて土地から得られ、その多くは農業に由来し、ことに衣料の原料はすべて農業が供給している。したがって、土地生産に共通する収穫逓減の法則は、突き詰めれば農業の歴史だけでなく製造業の歴史にも当てはまる。人口が増え、土地がいっそう多くを産出する力が限界へと強く試されるにつれて、食料だけでなく原材料についても、追加の供給を得るには労働投入を比例以上に増やさざるを得ない。しかし、原材料費は一般に製造総費用のごく一部にすぎず、工業製品に含まれる農業労働も総労働のごく一部にとどまる。農業労働以外の労働は、生産量が増えるほど、つねに著しく減少していく。製造業は農業よりも機械の改良や省力化の工夫を取り込みやすく、また、これまで見てきたとおり、巧みで経済的な分業の成立は市場規模や大量生産の可否に大きく依存する。したがって製造業では、産業の生産性を高める要因が、それを低下させる唯一の要因を大きく上回り、社会の進歩に伴う生産拡大は、費用が増大する形ではなく、増加分に対する比例費用が継続的に低下する形で進む。この傾向は過去二〇〇年にわたり、ほぼあらゆる工業製品の価格と価値が段階的に下落してきた事実に表れており、直近七〇年から八〇年ほどの機械発明がその下落をさらに加速させてきた。しかもその下落は、安全に限界を定められるいかなる範囲をも超えて、なお長期にわたって延び広がり得る。

農産物の生産が増えても、農業の労働効率が次第に下がれば、その結果、食料価格は徐々に上がり、社会全体の食料をまかなうために、これまでより多くの人が農業に就かざるをえなくなる可能性がある。ただし、ほかの産業で労働生産性がそれを上回る速さで高まっていれば、必要な労働力を製造業などから農業へ回しても、総生産はなお増え、共同体全体の需要は以前よりも十分に満たされる見込みもある。その恩恵は最も貧しい人々にも届く可能性がある。衣類や住まいの費用が下がれば、食料費の上昇分を相殺できるからだ。

したがって、生産技術のいかなる改良も、何らかの形で農業労働における収穫逓減の法則に対抗する作用を伴う。また、その効果は工業技術の改良に限られず、政府や行政の制度の改善、道徳や社会の進歩も同様に生産性を押し上げる。革命前のフランスでは、課税の負担がほぼ工業に従事する層に偏り、しかも生産すること自体が罰せられるかのような仕組みであったうえ、身分の高い者や宮廷に影響力を持つ者から財産や身体に害を受けても救済を得られなかったが、こうした仕組みを一掃した変革は、労働の生産性を高めたという点だけを見ても、多くの工業上の発明に匹敵する効果を持ったといえる。たとえば一〇分の一税のように農業に重くのしかかる負担を取り除けば、同じ産出を得るために必要な労働が突然一割減るのと同じであり、穀物法の廃止、あるいは最も低い費用で生産できる地域での生産を妨げる諸制限の撤廃も、生産面での大きな改善となる。さらに、狩猟地など遊興のために留保されてきた肥沃な土地を耕作に回せば、農業全体の生産力は高まり、イングランドでは運用の拙い救貧法が、アイルランドではさらに悪い小作制度が、農業労働を怠惰で非効率にしてきたこともよく知られている。労働の生産性により直接に効く改良としては、農地の保有形態や土地所有に関する法制度の見直しがとりわけ重要であり、限定相続を改め、財産移転の費用を下げ、土地を十分に活用できない者の手から、より活用できる者の手へ移りやすくする制度を整えることに加え、随意の小作に代えて長期の賃貸借を広げ、劣悪な小作制度に代えて少なくとも耐えうる小作制度を導入し、とりわけ耕作者が土地に恒久的な利害関係を持てるようにすることは、いずれも紡績機や蒸気機関の発明と同じく実質的な生産の改良であり、そのうちには規模が同等に達するものもある。

教育の改善でも事情は同じである。労働者の知性は、労働の生産性を左右する最重要の要素の一つであり、現在、最も文明が進んだ国々の一部でさえ知的水準は驚くほど低い。そのため、今は手しか持たない人々に考える力を与えることほど、生産力の面で際限ない改善が期待できる源泉は、ほとんど見当たらない。必要なのは知性だけではなく、注意深さや倹約、総合的な信頼性も同じくらい重要である。さらに、労働者と雇用者が友好的な関係を保ち、利害や感情を分かち合うことも、とりわけ重要である。いや、重要であるべきだと言うべきかもしれない。というのも、現にそのような友好の感情がどこに存在するのか、私には分からないからである。産業に良い影響を及ぼすのは、労働者階級の知性や人格の向上に限られない。富裕で労働に直接携わらない階層でも、精神の活力が高まり、確かな教育が広がり、良心や公共心、慈善の心が強まれば、自国の経済資源の面でも、制度や慣習の面でも、最も価値ある改善を考え出し、推し進める力を持てる。目につく例だけでも、フランス農業が、教育を受けた層の影響によって利益が期待できるはずのまさにその点で立ち遅れているのは、富裕な地主が都市の利害や都市の娯楽に専念してきたことが一因だと説明できる。人間社会をよりよくしようとする取り組みで、ほかの利益とともに産業の生産性へ直接または間接に良い影響を与えないものは、ほとんど想定しにくい。自由で伸びやかな精神文化が広がれば、産業への没頭の強さが和らぐことはたしかに多いが、その仕事に実際に注がれる労働は、ほぼ常にいっそう効果的になる。

農業の生産性を左右する二つの相反する力について主要な結論を述べる前に、確認しておきたい点がある。これまで述べてきた農業の話は、細部に違いはあっても、地中や地表から資源を取り出すほかの産業にもおおむね当てはまる。鉱業を例にとると、産出量を増やそうとすれば費用は比例以上に増えるのが一般的で、通常の年間産出量を保つだけでも労働と資本の投入を年々増やさざるを得ない。掘り出した石炭や鉱石は鉱山の中でふたたび生まれるわけではないため、鉱山はいずれ枯渇し、枯渇がはっきり見えていない段階でも採掘はしだいにコスト高になる。立坑をより深く掘り、坑道をさらに延ばし、排水して浸水を防ぐためにより大きな動力を用い、産物をより深い場所から引き上げたり、より長い距離を運んだりする必要が出てくるからである。そのため収穫逓減の法則は鉱業にも当てはまり、農業よりもさらに無条件に近い形で表れるが、これに対抗する生産改善の力もまた、より大きく働く。鉱業は農業より機械的改良の余地が大きく、蒸気機関が早くから大規模に使われた分野でもあり、金属を取り出す化学的工程にも改良の可能性は大きい。さらに、既存鉱山の枯渇を補う要因として、鉱石の品位が同等かそれ以上の新しい鉱山が見つかることも、決して珍しくない。

数量に限りのある自然の諸要因は、最終的に発揮できる生産力そのものに上限があるだけでなく、その力が極限まで引き伸ばされるはるか前から、追加の需要が生じるたびに、ますます厳しい条件でしか応えられなくなるという性質がある。ただし、人間が自然に対して持つ総体的な力を高める何らかの要因が加われば、この法則の働きは停止したり、当面抑えられたりすることがある。とりわけ、知識が拡大し、その結果として、自然の諸要因の性質と力をより正確に理解して使いこなせるようになることは、この働きを弱める重要な要因となる。

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