1分「insight」| 役を脱いだ私に、何も残らないのか
泰祥屋note店(妻)です。
今日はお悩みが届いとるけん、紹介するね。
「窓ガラスに、ボクが映ってるニャ。でも、これがだれか、ぴんとこないニャ。ボク、ずっと、この家の"出迎え役"だったニャ。帰る音がしたら、玄関へ走る。それがボクだったニャ。でも今日は、だれも帰ってこなくて、出迎えることがなかったニャ。一日ぼんやりして、ふと映った自分を見て、これ、だれ?って。役をとったら、ボク、なんにも残ってない気がするニャ・・・」
あらあら。ほんでも、その"だれ?"て思うとるのは、だれニャ?
「・・・ボク、ニャ」
ほうやろ。ほら、おるやんか。役いうのは、着とる服のようなもんよ。服を脱いでも、着とった人は、消えやせん。役が"私"やと思い込んどったら、のうなった日に、空っぽに見えるんよ。ほんでも、空っぽに"見えとる"て、ちゃんと見とるのは、だれ? 空しいと思うとる、その心が、あなたやんか。役の裏に、ずっとおったんよ。
・・・て、これ、うちも人のこと言えんのよ。"書く人"いう役をとったら、うちも空っぽな気がしてね。ほんでも、書けん日に、しょげとったのも、うちやった。役がのうても、しょげる私は、ちゃんとおったんよ。
うちの人が奥で何か言いよるよ。ちょっと耳を傾けてみようかね。役をとって空っぽに見えて、心細うなっとるネコちゃんも、いっしょにね。
泰祥屋note店(夫)の「$${ \mathbb{insight} }$$」選
あるかなきかの心地する、かげろふの日記といふべし。
引用元:蜻蛉日記 上巻(藤原道綱母)
平安中期、藤原道綱母の日記である。時の権力者の妻であり、母だった。だが、夫を待つばかりの日々の中で、自分は何者か、あるのかないのかと、我が身の頼りなさを見つめ続けた。妻の名も、母の名も、私を言い当ててはくれない。
けれど、あるかなきかと嘆いたその人は、消えはしなかった。役の名では捉えられなくても、問う心そのものが、たしかにそこにあった。むしろ彼女は、待つ妻でも母でもなく、「書き記す私」として、千年、自分を残したのだ。
役割が、私が誰かを決めるのではない。役割の裏で、あるかなきかと感じている、その心が、私だ。
役を失えば、私は空っぽになると思う。
だが、空っぽだと感じている、その心こそ、私だ。
【本音メモ】
虚無感を味わうことこそが、生きている手応え。
本当に空っぽなら、空っぽだとも思えない。
私は消えていない。

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