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焼きビーのために走ってる

 ハーフマラソンの後、焼きそば屋台で横入りしてきたおばさんに注意した話をしたら、健人が「そういうときはな」と、とんでもない名古屋弁を繰り出してきた。

───

 プリマベーラの夜は、日曜の夕方の熱を少し残したまま、ピークを過ぎてもまだにぎやかで、奥のいつものテーブルでは、ハーフマラソンを走り終えた慎二が椅子に深く腰をかけ、脚を少し前に投げ出していた。

「慎二、今日の犬山ハーフ、どうだった」
 グラスを傾けながら健人が聞くと、慎二は肩をすくめて「いつも通り、ファンラン、ファンラン」と笑った。

「でさ、焼きそばとビールって、マラソンのモチベーションだよな、健人」

「だよ、焼きビーは王道」

「俺さ、焼きそば屋台の長い列に並んどったんだわ、そしたらさ、おばさんが列に近づいてきて、しれーっと横入りして」

 フォークを止めた芳郎が続きを待つ。

「だから『みんな並んでますよ』って後ろを指して言ってやったら、あれ、あれ、とか誤魔化しとったけど、ちゃんと後ろに行った。当然だけどな」

「慎二、よく言った。それで十分だとは思う」と健人がグラスを置いて少し顔を寄せた。

「でも、そういうときはな」と言ってから、息を整えるように一瞬黙り、「『ばばあ、たいがいにしとかないかんぞ!』って、きっちり、どしゃべったるんだわ。勢いでよ、どしゃべったれ」と続けた。

 一瞬の沈黙のあと、慎二と芳郎は同時に吹き出し、思った以上に大きな笑い声になった。近くのテーブルの客がちらりとこちらを見る。

 腹を押さえた慎二が「どしゃべったれって、腹痛い」と言えば、「そんな名古屋弁、何年ぶりかな」と芳郎が返す。

「健ちゃん、そういう品のない言葉遣いはね」とワインを一口飲んで芳郎がたしなめると、「まあ、俺も使ったことないし」と健人が付け足した。それがまた可笑しくて、三人とも口元を押さえてまた笑った。

 笑いが一度落ち着きかけたころ、芳郎が「ていうか、慎二も結構ちゃんと言えてるじゃん、実際」とぽつりと言い、「言い方はな」と慎二が返したところで、また小さく火がついた。

 料理が運ばれ、グラスが何度か軽く鳴って、話題は昔の大会から朝ラン、夜ラン、失敗した打ち上げ、意味もなく飲みすぎた夜へと自然に流れていき、誰も深刻な話はせず、無理に盛り上げようともしないまま、ただよく笑った。

 詩織がカウンターの奥から声をかける。
「そこの三人、そろそろコーヒーでも出そうか」

「あ、お願いします」と慎二が手をあげた。
 湯気の立つカップが三つ並ぶころには、声は少し落ち着いていたが、空気は軽いままだった。

 外に出ると、夜風が熱った身体にちょうどいい。
 誰が先に歩き出すでもなく、自然と同じ調子になる。
 「じゃ、次は走っとらん日で」、「焼きそば目的でな」、「それは絶対」と笑いながら、三人は並んで歩き出した。
 後ろからプリマベーラの光が、しばらく足元に伸びていた。

-完-


※本作は短編シリーズ「三人の日常」の第二十話です。

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