雨だから、と休む理由にはならないが、正直今日は仕事に行きたくない
朝、目が覚めた瞬間にわかる日がある。
「ああ、今日は行きたくないな」と思う日。
カーテンの向こうから聞こえる、一定のリズムの雨音。
静かで、やさしくて、本来なら嫌いじゃないはずなのに、
その音が今日は、やけに重たく感じる。
雨だから、と休む理由にはならない。
それは自分でもよくわかっている。
体調が悪いわけでもないし、どうしても無理な事情があるわけでもない。
ただ単純に、「行きたくない」だけだ。
この「だけ」が、一番やっかいだ。
理由があれば、まだいい。
熱があるとか、頭が痛いとか、そういう“正当な理由”があれば、
自分に対しても、周りに対しても、堂々と休める。
でも、「なんとなく行きたくない」は、
どこにも提出できない理由だ。
むしろ、そう思ってしまう自分を、
少しだけ責める気持ちすら出てくる。
「みんな行ってるのに」
「これくらいで休むなんて」
「甘えてるだけじゃないか」
そんな声が、頭の中で静かに並ぶ。
だから結局、起き上がる。
重たい体を引きずるみたいにして、布団から出て、いつも通り顔を洗って、いつも通りの服を着る。
外に出ると、思ったよりもしっかり雨が降っている。
傘に当たる音が、現実を少しだけ強める。
正直に言えば、帰りたい。
まだ何も始まっていないのに、もう終わりたい。
そんなことを考えながら、歩く。
でも、それでも、足は止まらない。
止める理由がないから、ではなくて、
止まらない“習慣”のほうが強いからだと思う。
これまで何度も、「行きたくない日」を通り抜けてきた。
その積み重ねが、今日の自分を動かしている。
すごいことをしているわけじゃない。
ただ、行くだけだ。
でも、この「ただ行くだけ」が、
案外いちばんエネルギーを使う日がある。
やる気がある日の努力よりも、
やる気がない日の出勤のほうが、よっぽど消耗する。
誰にも気づかれないけど、
ちゃんとしんどいことをやっている。
職場に着けば、いつものように一日が始まる。
やることは決まっていて、時間は流れていく。
気がつけば、昼になって、
気がつけば、夕方になって、
そして、ちゃんと一日が終わる。
不思議なもので、
あれだけ行きたくなかった朝の気持ちは、
少しだけ遠くなっている。
もちろん、劇的に楽しくなるわけじゃない。
でも、「来なきゃよかった」とまでは思わない。
むしろ、ほんの少しだけ思う。
「まあ、来てよかったかもしれない」と。
帰り道、朝と同じ雨のはずなのに、
少しだけ音が軽く聞こえる。
一日をやりきったからなのか、
それとも、単純に慣れただけなのか。
理由はよくわからないけど、
朝とは違う自分がそこにいる。
雨だから、と休む理由にはならないが、
雨の日に仕事へ行くのは、少しだけ難易度が高い。
その分だけ、今日の自分は、ちゃんとやっている。
誰にも褒められなくてもいい。
評価されなくてもいい。
「行きたくないのに行った」という事実は、
それだけで、静かに積み上がっていく。
きっとこういう日が、
あとから自分を支えるんだと思う。
特別な成功じゃなくて、
こういうどうでもよさそうな一日のほうが、
意外と芯になる。
だから今日も、雨の中を歩いた自分を、
少しくらいは認めていい。
ちゃんと、しんどかったのに、行ったんだから。
