見出し画像

映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』感想 共に帰れる何処かへ

 SFとしての傑作なのはもちろん、「バディもの」として観ても大傑作。映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』感想です。

 宇宙船で目覚めた時、男は長期睡眠の後遺症により自分が何処に居て、何者なのかを思い出せなかった。船内を探り、徐々に記憶を取り戻し始めたグレース(ライアン・ゴズリング)は、自分の状況を思い知る。
 太陽光を吸収する微生物「アストロファージ」が太陽系に発生したことにより、太陽光が減り始めた地球は、寒冷化が予測されていた。中学教師だったグレースは、研究者時代の仮説論文を見込まれ、ストラット(ザンドラ・ヒュラー)率いる対策チーム「ヘイル・メアリー計画」に加わることになる。グレースは、アストロファージにエネルギー貯蔵力があると解明、さらにその培養にも成功する。アストロファージは太陽系外にも拡大が観測されていたが、唯一、くじら座タウ星のみが、その影響を受けていないことが判明。タウ星での現象を調査するために、アストロファージを燃料に利用した宇宙船の打ち上げが決まる。アストロファージによる燃料はタウ星までの片道しか積み込めず、地球を救うための乗組員は死出の旅となる。グレースが目覚めた宇宙船は、その「ヘイル・メアリー号」の中だった。
 既に他の乗組員は死亡しており、孤独なグレースを乗せたメアリー号は、ついにタウ星の軌道に到達する。だが、そこでグレースは思いもよらぬ衝撃的な遭遇を果たす…という物語。

 マット・デイモン主演で映画化された『オデッセイ』(原題『火星の人』)の原作者であるアンディ・ウィアーによる同名ベストセラー小説の映画化作品。『LEGOムービー』『スパイダーマン:スパイダーバース』などで知られるフィル・ロード&クリストファー・ミラーによるコンビが監督を務めています。
 小説は話題になっていた時から、いずれ読もうとは思っていましたが、映画公開が発表され、巷で言われているように予告編が大きくネタバレ性質が高いものとのことなので、予告観てしまったからには、いっそ原作は読まずに、まずは映画を楽しんでからという順番での鑑賞体験となりました。
 
 原作では『火星の人』と同様に、宇宙飛行士が独りで創意工夫してサバイバルしていくという姿が序盤で描かれるようですが、今作ではそこはイントロダクションでしかなく、原作中盤以降をメインにした物語であるため、原作勢からするとネタバレし過ぎている予告編に感じられたようです。
 宇宙科学などの細かいディティールは本格的ですが、話の大筋はわかりやすいSF大作となっているので、幅広い層にアピールする広告はある程度致し方のないものかもしれません(それでも予想しやすいクライマックス場面など見せ過ぎているようにも思えますが)。その甲斐もあってか、洋画不振と言われている中で、かなりの大ヒットになっているようです。
 
 ここから、映画がメインとしている本筋のパートについて触れますが、原作では驚きの急展開として登場する、同じ目的を持つ知的生物ロッキー(声:ジェームズ・オルティス)が、映画版では予告編に早々と登場して、グレースとロッキーがいわゆる「バディ」として組んで、災害に立ち向かう物語として描かれています。
 この辺りが原作勢としては勿体なく思われているようですが、物語をコンパクトに要約するには最適な「編集」だと思うんですよね、物語の根幹というものは、この2つの生命が孤独な宇宙で邂逅するというものなのだから。
 原作前半でのグレースが独りで創意工夫を繰り返すパートはダイジェスト的なものになっていますが、原作未読の身としては、これが物足りないというよりは、テンポ良く見せてくれているように感じられました。サクサク進みつつ、かといってご都合主義にも感じさせない苦労感があり、非常に巧い編集になっていると思います。
 
 グレースとロッキーが意思疎通していく過程もダイジェスト的ではありますが、行間として長い時間を感じさせるものがあるので、映画文法的に理解出来るものでした。何よりも、ここで生まれる信頼関係の芽生えというものが、後々の感動の萌芽となって繋がっていくんですよね。
 科学者による創意工夫サバイバルという展開は、回想の地球でも、現在のヘイル・メアリー号の中でもグレース独りによるものという印象だったのが、このロッキーとの共同作業が加わることで大きく飛躍する展開というのも、エンタメとして非常に気持ち好いものになっています。シンプルに協力することの尊さにもなっているように思えます。
 
 そして種を越えた友情が確かなものとなる「ハグ」のシーン、ここのライアン・ゴズリングが本当に素晴らしい演技なんですよね。撮影状況からいって明らかに一人芝居になっているはずなのに、本当に愛しい存在が目の前にいるように、本当に心の底から安堵し切っているかのような顔をしていて、温かさのある場面になっています。
 
 いわば映画的な劇的ピンチをクライマックスに持ってきていると思わせて、実はそこから帰路への選択というものが、穏やかだけど本当のクライマックスというのも、あまりない脚本に思えます。ここでロッキーとの友情が活きてくるのはもちろんですが、グレースとストラットの関係性も活きてくるように感じられます。

 ストラットの仕打ちは相当に酷く、赦されることはあり得ないのですが、その「致し方なさ」というものを、くどくど言い訳させずに、何故かカラオケを歌うシーンで補っているように思えるのも、非常に映画の成せる手法に思えます。ストラットが歌うハリー・スタイルズ「Sign of the Times」が、めちゃくちゃ良い曲で、これだけなのにストラットの心情を慮ってしまう効果を出しているんですよね(でも、ちょっと酷過ぎると思う‥)。
 
 そして、ハリー・スタイルズのスタジアム合唱系の名曲と対比するように使われるのが、ビートルズ「two of us」ですよね。大名曲が氾濫しているビートルズの中でも、特に目立つような曲ではないはずだし、普通使おうと思わないはずの曲なんですけど、これが流れるのが非常に感涙する名場面になっています。マジでこの場面のために歌詞を書き下ろしたんじゃないのかというくらいハマっている使い方なんですよね。この素朴なメロディが、グレースとロッキーの素朴な友情に非常にマッチしています。

 ハリー・スタイルズを歌うストラッドと、ビートルズが流れるグレース、ロッキーのコンビは「救う」という目的は同じだけど、到達するところは決定的に違うものになっていることの表現に思えます。
 種のために個を犠牲にするヒロイズムは『アルマゲドン』を始めとして、これまで多くのハリウッド映画で描かれているものですが、それとは違う個と個の連帯、互いのために身を投げうつ行為が描かれており、心の奥底から素直に感動できるものです。
 
 クリストファー・ノーラン『インターステラー』、アルフォンソ・キュアロン『ゼロ・グラビティ』などもそうですが、戦争以外の宇宙SFでは往々にして「帰還」というものをテーマにしており、この作品でもそれに類するものになっています(『機動戦士ガンダム』でも「帰れる場所があるんだ」という名台詞がありますね)。
 ただ、帰るべき場所がどこなのか、決して元に居た場所だけが帰る場所ではないということを、新たに示してくれているようにも思えます。
 大儀という大きな括りではなく、個による個のための選択が全体を救うというのは、フィクションだから出来ることではありますが、現実に生きる我々、特に自分のような個有りきで生きている人間には、非常に力となる作品でした。
 
 現在、原作を読み始めておりますが、凄まじい面白さ…。これも含めて素晴らしい物語体験となりました。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集