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映画『テレビの中に入りたい』感想 覆われた殻から出られなかったヒヨコ

 ポップに思える邦題を裏切る陰鬱な作品でした。これを付けるセンスも凄い。映画『テレビの中に入りたい』感想です。

 気弱なティーンエイジャーのオーウェン(ジャスティス・スミス)は、年上の少女マディ(ジャック・ヘブン)に教えられた不思議なTVドラマ『ピンク・オペーク』の魅力に取り憑かれる。放送時間には寝るように決められていたオーウェンは、マディから録画ビデオを借りたり、友達の家に泊まると偽って、マディの家に観に行ったりもしていた。だが、ある日マディがこの街を出る決意を聞かされたオーウェンは、共に行く誘いを受けるも、勇気が出ないまま、マディは失踪してしまう。それと同時に『ピンク・オペーク』の放送は急に打ち切りとなった。
 数年後、同じ街で暮らし続けるオーウェンの前にマディが表れる。無事を喜ぶオーウェンだが、マディは『ピンク・オペーク』が自分たちの本当の世界とオーウェンに説き始める…という物語。

 ジェーン・シェーンブルンという方が監督・脚本を務めた、A24製作の映画。予告編で何となく面白そうだなくらいの印象でしたが、観た方の感想が、どうも面白いというよりも、「とにかく喰らってしまった」という痛みを伴う感想が多かったので、評価云々よりも「観ておかねば」という義務感に駆られての鑑賞となりました。
 
 暗がりの中で輝くポップな色彩が印象的な画面作りになっており、夜中に点けられているテレビをよく表しています。このセンスの良さがいかにもA24作品という感じですね。タイトルアバンにかかる楽曲も、Broken Social Scene『Anthems For A Seventeen Year Old Girl』のyeuleというアーティストのカバーバージョンということで、ちょっと鼻につくくらいのセンスの良さがあるものになっています。劇中でキーとなるTV番組『ピンク・オペーク』も、80年代のインディーバンド、Cocteau Twinsのベスト盤的な企画アルバムから取られたものですね。 
 
 ただ、その画面のポップさとは反比例するように、物語はかなり陰鬱なものになっています。鬱屈した日常というのは、ティーンエイジャーを描いた青春ものなら定番ですが、大体はそこからブレイクスルーをする姿を描いてカタルシスとなる作品がほとんどですよね。今作はそこから踏み出すことが出来ない人生を描いており、物語のカタルシスを味わえない作品となっているのが大きな特徴です。
 
 現実とTV世界の境界線が曖昧な、ドラッグ・ムービー的要素がある展開になっていきますが、別にTV側が理想的でハッピーな世界というわけでなく、デヴィッド・リンチ的な世界観で、恐ろしい敵である「ミスター・メランコリー」と戦わなければならない世界でもあるんですよね。ただ、現実に生きている世界(=オーウェンたちが暮らす街)よりは、少なくともマディにとっては在るべき世界として捉えられています。
 
 普通であれば、ここにオーウェンが飛び込むまでを描く物語となるはずですが、そこにはいつまでも飛び込めない姿を描くことでドラマにしているのが斬新でした。変化をしていく人々を描くのが物語というものの定石なのですが、この作品では、内面はどうあれ少なくとも行動的にはオーウェンは結局何も変化しないものになっています。
 
 マディの語る「数分、数秒で、何年も経過してしまう」という言葉は非現実的な発言に見えて、社会人になってからの生活時間そのものを指している現実のものに思えます。オーウェンがTVに入り込みそうになるのを、父親(フレッド・ダースト)が引きずり出してシャワーを浴びせるシーンがありますが、あれも非現実的な出来事から息子を助けるように見えるけど、どちらかというと虐待に近い折檻のメタファーに思えます。リアルではない描写をしているように見えて、実は全て現実に即した表現をしていように感じられました。
 
 オーウェンが現実の生活の中で抱いていた違和感は、もちろん自身のジェンダーアイデンティティに関わるものであるのは明らかなんですけど、そこに飛び込めない人間を描いているというのは、やはりかなり「現実的なもの」を意識して描いているように思えます。
 昨今であればそういう人々を勇気づけ、鼓舞するためにブレイクスルーを試みる物語にしてしまいそうなんですけど、この作品はそこに至れない人間を描いているんですね。ジェーン・シェーンブルン監督自身がトランスジェンダーであることを公言しているそうですが、当事者だからこそ、公言出来ない人の物語を生み出したのかもしれません。
 
 そして、この感覚は性的マイノリティだけを対象にしたものではなく、抑圧を抱えている人(=ほぼ全ての人間)へも向けられた普遍性あるものだと思います。10代の頃に得た好きなものが自分の人格形成に大きく関わるのもそうだし、その感覚を大事に持つ人、その感覚のまま留まり続ける人、日々暮らす内に段々と薄れてしまう人にも刺さる内容のように思えます。特に、大人になったオーウェンが配信で『ピンク・オペーク』を観る場面なんて、哀し過ぎでしょう。初見にあったデヴィッド・リンチ的センスが皆無で、全く面白くなさそうなドラマになってしまっていた。
 
 言わば、恋愛要素のない『花束みたいな恋をした』とでも言うべき作品なのかもしれません。オーウェンが『ピンク・オペーク』への固執だけでなく、もう少し新しいものを摂取していれば、もっと違った結末だったかもしれませんが、それもまたサブカルクソ野郎であり続けている自分への擁護的感覚なのかもしれません。ラストの絶叫は、サブカル人にとっては、確かに非常に凹むエンディングです。

 非常にビターな映画体験で、面白い、素晴らしいとは言いにくい作品でしたが、印象的な1作となる映画でした。


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