見出し画像

準備と本番のあいだ

どうも、中村大樹です。「本番のつもりで練習して、練習のつもり本番に挑む」みたいな事を言いますけど、まぁ、言いたいことはわかりますが「それが出来たら苦労はしねぇ」系のアドバイスですよね。

「この先全打席ホームランで全員三振にすれば勝てる」

それはそう

精神系、意識系のアドバイスはそういうものか。

才能が無い人はどのようにして戦うのか?いや、そもそもモチベなんかないじゃないですか?無個性というコンプレックスを抱えながら生きるしかない。緑谷出久じゃないですか?

才能ある人たちも苦悩があるだろうけれど、そんなことはお互い関係ない、許容できる器が最初からある人なんていないだろう、ガンジーかお釈迦様ぐらいじゃないですか?

悟りを開いた人だけが、対等に会話ができるんですよ。大多数の人は卑屈になるか、意味不明なマウントを取るしか、自我を保つ方法はないでしょう。昔の漫画の三原則は?

努力、友情、勝利

その為には、まず『自分』を準備しないといけない。

これからは

自分、自分、自分

じゃないですか?

昭和生まれの私の「古舘伊知郎」といえば、実況、実況、実況でした。『実況の一人ジェットストリームアタック』だとか『実況バーサーカー』だとか『人型最終実況兵器フルタチゲリオン』だとか『一人お喋りフェスティバル in Tokio』だとかは呼ばれてなかったと思います。今思い付いたので。買い物は外苑通りを渡ったところにあるライフへ行きます。ライフの方が安いので。

近年のフルタッチー勢には報道ステーションの固いイメージの方が強いんでしょうか?フルタッチーって何?

私のイメージではマイクを握って戦っているイメージしかない。プロレスならプロレス、スポーツならスポーツ、F1ならF1、筋肉番付なら筋肉番付に一緒に参加して戦っているイメージでした。

ダンプ松本の竹刀みたいなその人を象徴するアイテムが「マイク」と「喋り」でした。

私の頭の中のフルタチ

その古舘伊知郎が執筆した本が『伝えるための準備学』である。

ヘッダーの写真にある様に購入したその日にゲリラ的な豪雨に襲われて水没してしまいました。既に準備が出来ていない気はします。

瞬間は、準備によって作られる。

伝えるための準備学

運命は、と言い換えてもいい。

本番と準備、天才と凡人、未来と過去の話。

準備とは本番の為に状況を整えておく事。本番は、人それぞれにある。人によっては毎日が本番だろうし、その一瞬一瞬を本番と捉えている人もいるだろう。疲れそうだけど。私のこのnoteは本番か?準備か?休憩か?呼吸かもしれない。本番を定義するのは自分だから、本番は星の数ほどあるが、準備のパターンはひとつしかない。

準備を尽くすしかない。

本番までの時間か自分の時間が尽きるまでが制限時間で、それまでに出来る事が準備である。本番が決まれば、準備はもうやるしかない。やる気とかの問題じゃない。突き詰めて、突き抜けてやるしかない。

恐ろしい話ですね。

『誰でも出来るカンタン準備術』とかではないんですよね。

学術とか、学問は追及するものなので。その覚悟がある人に向けて常に扉は開かれている。

という、重い話でもないと思うので、あの頃のイリュージョンの種明かしとして読んでも面白いかも。

私もとりあえずは次の本番へ向けて準備を進めて。

また次回。

いいなと思ったら応援しよう!

中村 大樹 100兆円欲しい

この記事が参加している募集