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第1部「知る」第10回(前編) 「文字の帝国」 ── 地中海からインダスまで、七十年の奇跡

前回、私たちは地中海の北の岸をたどりました。キリスト教世界の金貨の物語です。ローマのソリドゥスは、ビザンツで「ノミスマ」と名を変えました。そして重さと純度を保ったまま、およそ七百年ものあいだ地中海を結びつづけます。やがてその金貨には、皇帝の顔が刻まれ、ついにはキリストの姿までもが刻まれていきました。図像で信仰を語り、図像で権威を示す。それが、北の岸の貨幣のありようでした。

けれど、同じ海の南の岸では、まったく別の貨幣の世界が広がろうとしていました。そこには、皇帝の顔がありません。神の像もありません。刻まれるのはただ、美しい文字だけです。

今回の主役は、金貨ディナールと、銀貨ディルハム。イスラムが生んだこの二つの貨幣は、生まれてわずか数十年のあいだに、広大な世界をひとつに結びます。地中海のほとりから、はるか東のインダス川のほとりまで。前編では、この貨幣がどこから来て、どこまで広がったのかをたどります。そして、なぜ「顔を消す」という、人類の貨幣史でもまれな決断へ向かったのか。その手前まで、ともに歩きましょう。

第1章 一枚を手に取る

まず、一枚を手のひらに乗せてみましょう。金貨のほうです。直径はおよそ二センチ。重さはおよそ四グラムと少し。前回のソリドゥスより、ほんのわずかに軽い。ずしりとした、上質な金です。名を、ディナールといいます。

ところが、この金貨をいくら眺めても、人の顔が出てきません。横顔の王もいない。玉座の皇帝もいない。勝利の女神もいません。裏返しても、十字架はない。神殿もない。思い出してください。私たちがこれまで旅してきた貨幣には、かならず誰かの顔か、何かの姿がありました。リディアの獅子。アテナの横顔。アレクサンドロスの面影。ローマ皇帝の肖像。そしてビザンツのキリスト。ところがこの金貨の表面には、像と呼べるものが、ひとつもないのです。

では、何があるのか。文字です。表にも裏にも、縁にそって、流れるようなアラビア文字が円を描いて刻まれている。それだけです。図像のあるべき場所に、文字がある。これは、ただ装飾を文字で代えたという話ではありません。「貨幣に何を刻むか」。その問いに対して、この金貨は、それまでの世界とまったく違う答えを出しています。その答えの意味を解きほぐすことが、今回の旅の目的です。

銀貨のほうも見ておきましょう。こちらはディルハムといいます。金貨より一回り大きく、薄く広い銀の円盤です。やはり顔はありません。文字だけが刻まれている。金貨ディナールと、銀貨ディルハム。この金と銀の二枚が、これからお話しする広大な世界を、隅々まで動かしていくことになります。

おもしろいのは、その名前です。「ディナール」という言葉は、ローマの銀貨デナリウスから来ているとされます。第4回で出会った、あのローマ共和政の銀貨です。一方の「ディルハム」は、ギリシアの銀貨ドラクマに由来するといわれます。これも、第2回でアテネのフクロウとともに名を挙げた、古い銀貨でした。ローマとギリシア。地中海の北の岸で生まれた二つの貨幣の名が、海を渡り、南の岸で、まったく新しい貨幣の名として生き直しているのです。コインそのものは姿を変えても、それを呼ぶ言葉は、思いがけず遠くまで受け継がれていく。前回まで何度も立ち返ってきた主題が、その名前のなかにも、静かに息づいています。

そして、この金貨を打つための金そのものにも、遠い旅の物語がありました。改革のころのディナールには、すり減ったビザンツの金貨を溶かしたものや、ナイル川の上流からもたらされた金が使われたと考えられています。のちの時代には、サハラ砂漠を越えて運ばれてくる西アフリカの金が、イスラムの金貨を支える大きな源になっていきます。一枚の金貨は、ただそこにあるのではありません。砂漠を越え、川をくだり、海を渡ってきた金が、ひとつの円盤に結晶しているのです。

光にかざすと、その金は、やわらかな黄金色に輝きます。指の腹で表面をなでれば、刻まれた文字のわずかな凹凸が、かすかに伝わってくる。千三百年あまり前、遠い砂漠の都で打たれた一枚が、いまも、ほとんど傷むことなく、その輝きをとどめている。金という金属の、朽ちない強さ。そして、それを円盤に変えた人の手わざ。その二つが出会うところに、この一枚は生まれたのです。

この金貨を、当時の人々は、どんな思いで手にしていたのでしょうか。ダマスカスの市場で。サマルカンドの隊商宿で。北アフリカの港で。言葉も肌の色も違う人々が、同じ一枚の金貨を受け取り、その縁の文字を指でなぞる。読める者には、それが神への信仰を告げる言葉だとわかります。読めない者にも、その文字の連なりが、ある大きな秩序につながっていることは伝わったはずです。顔のない貨幣は、けっして寂しい貨幣ではありませんでした。むしろそこには、顔よりも雄弁なものが刻まれていた。その雄弁な文字が何を語っていたのかは、後編で、ゆっくり読み解くことにしましょう。

第2章 七十年の奇跡


少し、時間を巻き戻します。

七世紀のはじめ、アラビア半島に、イスラムという新しい信仰が生まれました。預言者ムハンマドのもとに、人々が結集します。そして半島を越え、またたく間に外へと広がっていきました。その速さは、世界史のなかでも、ちょっと類を見ないほどのものです。

考えてみてください。七世紀の前半まで、この人々は、アラビア半島の外にこれといった大きな国を持っていませんでした。その彼らが、わずか数十年のあいだに、信じがたい広がりを見せます。西は北アフリカからイベリア半島の入口まで。東はペルシアを呑み込んで、インダス川のほとりまで。地中海を半周し、さらにその先までを、ひとつの勢力のもとにおさめてしまったのです。地図を広げてみると、その広がりの大きさに、あらためて息をのみます。西の端から東の端まで、直線でもゆうに五千キロを超える。馬とらくだの時代に、これだけの距離が、ひとつにつながったのです。

ローマが、地中海をぐるりと囲む帝国を築くのに、何世代もの長い歳月を費やしたことを、思い出してください。それにくらべれば、この広がりの速さは、ほとんど驚異というほかありません。もちろん、これだけ急に広がった世界には、もろさもひそんでいました。支配のゆきとどかない辺境もあれば、反乱の火種もありました。それでも、いまはまず、その勢いそのものに、目をみはっておきましょう。やがてこの広い世界を、たった一枚の貨幣が、静かにつないでいくことになるのですから。

そして、ここからが、お金の物語です。

これほど広大な世界がひとつにつながったとき、そこには、避けて通れない問題が生まれます。商人たちは、国境を越えて品物を運びます。兵士には俸給を払わねばなりません。役人にも給金がいる。徴税もしなければならない。そのすべてに、価値をやりとりする共通のものさしが要ります。広い世界を、ひとつのお金で結ぶこと。これは、その世界を治める者にとって、どうしても向き合わねばならない課題でした。

イスラムの広がりが速かった理由のひとつは、じつは、ここにあります。彼らが征服した土地には、すでに立派な貨幣の仕組みが根づいていたのです。西側には、ビザンツ帝国の金貨ソリドゥスが流れていました。前回お話しした、あの七百年の金貨です。東側には、ササン朝ペルシアの銀貨が流通していました。長い歴史を持つ、銀の貨幣文化です。新しくこの地を治める人々は、ゼロから貨幣をつくり出す必要がありませんでした。すでにそこにあった金と銀の流れの上に、自分たちの貨幣を乗せていけばよかったのです。

のちに整えられたイスラムの貨幣は、三つの金属で組み立てられていきます。高い価値をになう金貨ディナール。日々の取引を支える銀貨ディルハム。そして、もっと小さな買い物に使う銅貨です。金、銀、銅。三つの金属が役割を分け合いながら、広大な世界の経済を、上から下まで動かしていきました。

では、これほど広い世界を、何がひとつにつなぎとめていたのでしょうか。ひとつは、人と物が行き交う道でした。隊商の通う街道や、地中海をゆく船が、遠い土地と土地を結びます。そして、その道を流れていく品物の代金を、どこでも同じように支払えるようにしたのが、ディナールとディルハムでした。言葉や習わしの違う土地どうしであっても、この金貨と銀貨さえあれば、商いが成り立つ。貨幣は、いわば、広大な世界をつなぐ、目に見えない背骨のようなものだったのです。

近代の言葉を借りるなら、これは「単一通貨圏」の誕生ということになるのかもしれません。けれど当時の人々は、そんな言葉で考えてはいなかったでしょう。彼らにとってそれは、ただ、信仰のもとに結ばれたひとつの世界を、ひとつのお金が静かに巡っていくというだけのことだった。気づいてみれば、地中海のほとりで打たれた金貨と、はるか東の町で打たれた金貨が、同じ重さ、同じ品位、同じ姿をしている。世界の半分が、一枚の貨幣でつながりはじめていたのです。

ただし、最初からその貨幣が、あの「顔のない、文字だけの貨幣」だったわけではありません。物語には、もう一段、大切な階段があります。広がった世界が最初に手にした貨幣は、いったいどんな顔をしていたのか。次の章で、その意外な素顔を見てみましょう。

第3章 借りものの貨幣

征服したばかりの土地で、新しい支配者がまずしたこと。それは、自分たちの貨幣を新たに考案することではありませんでした。もともとそこで使われていた貨幣を、ほとんどそのまま使いつづけたのです。

西側、かつてビザンツ帝国がおさめていた土地を見てみましょう。ここでは、ビザンツの金貨がそのまま手本になりました。皇帝の立ち姿。十字架の意匠。それらをほとんどそっくりに写し取った金貨が打たれます。研究者は、これを「アラブ・ビザンチン貨幣」と呼びます。一見すると、本物のビザンツ金貨と見分けがつかないほどよく似ている。違いといえば、縁のあたりに、アラビア語の短い言葉がそっと添えられていることくらいでした。たとえば「神の御名において」という、信仰の一句です。

そして、よく見ると、もとの図像にも、小さな手が加えられていることがあります。たとえば、ビザンツの金貨につきものだった十字架です。その横棒が、そっと削り取られ、ただの棒や球に変えられていることがありました。キリスト教の象徴を、完全には消さないまでも、少しだけぼかしておく。ささやかな改変ですが、そこには、新しい支配者のためらいと工夫が、ひそやかに刻まれていたのです。

東側、かつてササン朝ペルシアがおさめていた土地はどうでしょう。こんどは、ササン朝の銀貨が手本になりました。王の横顔の胸像。その裏には、ゾロアスター教の聖なる火をまつる祭壇。このペルシアの伝統的な意匠を写した銀貨に、やはり縁の余白へ、アラビア語の言葉を書き添えていきます。研究者は、こちらを「アラブ・ササン貨幣」と呼んでいます。

つまり、生まれたばかりのイスラムの貨幣は、東でも西でも、最初は「顔のある貨幣」だったのです。それも、自分たちの顔ではありません。征服した相手の貨幣の顔を、借りていました。ビザンツの皇帝の姿。ペルシアの王の胸像。異なる神を信じる人々がつくった像が、しばらくのあいだ、イスラムの世界を巡る貨幣の上に、そのまま残されていたのです。

これは、考えてみれば、不思議なことです。けれど、当時の事情を思えば、無理もないことでもありました。人は、見慣れた貨幣を信頼します。商人も、両替商も、長年使ってきた貨幣だからこそ、安心して受け取る。支配者が変わったからといって、いきなり見たこともない貨幣を出されては、市場が混乱してしまいます。だから新しい支配者は、あえて手本を踏襲しました。人々が安心して使えるかたちを、しばらく保ったのです。お金とは、つきつめれば信頼でできている。その信頼を急に断ち切らないために、彼らは「借りものの顔」を、いったん受け入れました。

けれど、第2回でアテネの銀貨を見たときのことを、思い出してください。一枚のコインは、一つの国家の顔でした。その図像には、その国がどんな神を敬い、何を誇りとしているかが、まるごと込められていたのです。だとすれば、異教の皇帝の顔を載せた貨幣を使いつづけることは、どこか落ち着かないことでもありました。自分たちの信じる世界と、手のなかの貨幣とのあいだに、小さな食い違いが残りつづけるからです。

そして、この借りものの状態が、いつまでも続いてよいはずはありませんでした。やがて、ある問いが、避けられないものとして浮かび上がってきます。私たちは、いまや独自の信仰を持ち、独自の世界を築いた。それなのに、私たちのお金は、なぜ異教の皇帝の顔を、いまも載せたままなのか。この問いに、真正面から答えを出した人物がいます。第九代のカリフ、アブド・アルマリク。次の章では、その人物と、彼が下した大きな決断の前夜へ、歩みを進めましょう。

第4章 改革前夜

アブド・アルマリクが、イスラム世界の頂点に立ったのは、決して平穏な時代ではありませんでした。

彼がカリフの位を継いだ七世紀の後半、イスラムの世界は、内戦の只中にありました。誰が共同体を率いるべきか。その正統をめぐって、各地で争いが起きていたのです。なかでも、メッカを拠点とする有力な対抗者が、長く彼を悩ませました。アブド・アルマリクは、年月をかけてこの分裂を収めていきます。そして、ひとつの中央集権的な国家を、あらためて築き上げていきました。

彼の事業は、貨幣だけにとどまりません。バラバラだった行政の仕組みを整えました。それまでギリシア語やペルシア語で動いていた役所の言葉を、アラビア語に統一していきます。そしてエルサレムには、いまも黄金の輝きを放つ「岩のドーム」を建てました。これは、ただの建築ではありません。新しい信仰が、この地に確かに根を下ろしたことを、目に見えるかたちで示す宣言でもありました。彼は、生まれたばかりのイスラム国家を、長く続く確かなかたちへと、組み直そうとしていたのです。

その大きな仕事のなかで、貨幣もまた、避けては通れない課題でした。

ここで、前回の物語を思い出してください。地中海の北、ビザンツ帝国では、皇帝ユスティニアヌス二世が、金貨に初めてキリストの姿を刻みました。そして自らを「キリストのしもべ」と名のります。神の像を金貨に載せ、信仰を権威の支えにしたのです。それは、第6回でお話しした「皇帝の顔」の伝統を、さらに一歩、神の領域へと進めるものでした。

このビザンツの金貨を、アブド・アルマリクは、当然、目にしていたはずです。隣り合い、しばしば敵対した二つの帝国は、貨幣の上でも、静かに向き合っていました。じつは、アブド・アルマリクが一時期打たせた金貨があります。そこには、彼自身とおぼしき立ち姿の人物が、刀を帯びて刻まれていました。研究者はこれを「立てるカリフ」の貨幣と呼びます。これを、キリストの像を刻んだビザンツへの応答だったと考える研究者もいました。向こうが神の像を載せるなら、こちらは指導者の姿を載せよう、というわけです。もっとも、この見方には近年、異論も出ています。簡単には断定できません。

いずれにせよ、確かなことがあります。「立てるカリフ」の貨幣は、ごく短いあいだしか打たれませんでした。アブド・アルマリクは、ほどなくして、まったく違う方向へ舵を切るのです。異教の皇帝の顔でもない。自分自身の姿でもない。彼が選んだのは、人の像も、神の像も、いっさい刻まないという、思い切った道でした。

このとき、アブド・アルマリクの胸には、何があったのでしょうか。確かめるすべはありません。けれど、想像をたくましくすれば、こうも考えられます。人の姿に頼れば、それはいつか、ビザンツの皇帝たちと同じ道をたどることになる。自分の顔を刻んだ貨幣は、自分が世を去れば、ただの古い肖像になりさがる。けれど、変わることのない言葉を刻むなら、それは誰の世になっても揺らがない。永く続く帝国の貨幣にふさわしいのは、移ろいやすい人の顔ではないのではないか。彼が実際にそう考えたかどうかは、わかりません。けれど、その決断が生んだ貨幣は、結果として、千年を越えて受け継がれる伝統の、出発点となったのです。

結び

こうしてアブド・アルマリクは、人の顔も、神の像も持たない貨幣へと踏み出していきます。

けれど、図像を消すというのは、口で言うほどたやすいことではありません。顔のあった場所に、では何を刻むのか。文字を、ただ書けばよいというものでもない。その文字に、どんな言葉を選び、どう配し、どんな美しさを与えるのか。顔のない貨幣を、人々が信頼し、進んで手に取る貨幣に育てる。そのためには、もうひと工夫も、ふた工夫も必要でした。

そして、いったん文字だけの貨幣が完成したとき ── それは、ひとつの帝国の通貨という枠を越えて、世界の半分を結ぶ、壮大な広がりを見せはじめます。

後編では、いよいよ顔が消えます。その金貨に刻まれた言葉とは何だったのか。文字だけの貨幣が、なぜあれほど美しいのか。そして、その貨幣がどこまで広がり、私たちの「知る」の旅をどう締めくくるのか。ともに見届けましょう。

後編へ続きます。

参考文献と典拠

本記事は、以下の文献・資料に基づいて執筆しています。記述ごとの主な典拠は次のとおりです。

  • ディナール(ローマの denarius 由来とされる)・ディルハム(ギリシアの drachma 由来とされる)の語源について ── 各種貨幣学事典、および Encyclopaedia Iranica の "Dinar" の項

  • イスラム勃興後の急速な拡大、ビザンツ金貨・ササン朝銀貨の流通圏を引き継いだ経緯、および金・銀・銅の三貨体制について ── Stephen Album, A Checklist of Islamic Coins, 3rd ed. (Santa Rosa, 2011);Michael Broome, A Handbook of Islamic Coins (Seaby, 1985)

  • 改革前ディナールの金の供給源(ナイル上流の金など)について ── 各種貨幣学・経済史の概説

  • 征服初期の「アラブ・ビザンチン貨幣」「アラブ・ササン貨幣」について ── John Walker, A Catalogue of the Muhammadan Coins in the British Museum, Vol. II: Arab-Byzantine and Post-Reform Umayyad Coins (British Museum, 1956)

  • アブド・アルマリクの事績(内戦の収束、行政のアラビア語化、岩のドーム建立)と「立てるカリフ」型貨幣、およびユスティニアヌス二世への応答説とその近年の再検討について ── 大英博物館およびアシュモレアン博物館の公開解説;George C. Miles ほか ANS Numismatic Notes and Monographs 諸巻

  • ビザンツ側の前提(ユスティニアヌス二世によるキリスト像の金貨)について ── 本連載第9回、および Philip Grierson, Byzantine Coins ほか

※年代・重量・純度などの数値には、研究者によって見解が分かれるものが含まれます。本記事では、できるかぎり広く認められた見解に基づき、議論のある事柄についてはその旨を本文中に明記しています。神話・伝説と史実、また「単一通貨圏」などの後世・近代の言葉と当時の実態とは、表現の上で区別して記しました。

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