8歳の天才聖人シャンカラが詩で表した、「あなたは誰?」への答え
居候先のインド人夫婦と、ほぼ毎朝散歩をしている。
仕事前に6時起きで、スリナガル市内のゴパの丘の一番上にある、アディシャンカラチャリヤ寺院までの、緑が鮮やかな山道を上るのだ。
アディシャンカラチャリヤ(通称シャンカラ)とは、8世紀の聖人・ヴェーダンタ派の哲学者で、一元論の第一人者でもある。彼の名前がついたこの寺院は、カシミール渓谷の中で最も古い礼拝の場だったとされる。
ゆるやかな上り坂を40分ほど登り辿り着くと、石造りの寺院と、隣にはシャンカラ本人が座って瞑想・タパス(修行)をしていた洞穴がある。

その空間は、平和で純粋な雰囲気で溢れていて、この場所に座り目を閉じた瞬間に思考が止まっていく。
すっきりした気持ちで洞穴から出てくると、友達がシャンカラの話を教えてくれた。
「彼は7歳の時にはヴェーダンタの学校から卒業し、その時すでに悟っていたと言われてるんだけど、実際、彼が8歳の時にグルに出会って、"あなたは誰?" と聞かれた時の答えがすごいんだよ」
ヒンドゥー哲学で、全ての物事の本質と言われている、形もなく、性質もなく、時間や空間をも超えた存在であり、言葉では表すことが出来ないと言われているブラフマン(宇宙意識)。
宇宙の根源であり、内側から体験することでのみ知ることの出来るブラフマンと、一つになっている「わたし」を、彼は「わたし(ブラフマン)ではないもの」をあげることによって、"Nirvana Shatakam ー解脱への6つの詩ー"に表した。
1 मनोबुद्धयहंकाराचित्तानि नाहं न च श्रोत्रजिह्वे न च घ्राणनेत्रे ।
न च व्योम भूमिर्न तेजो न वायुः चिदानन्दरूपः शिवोऽहम् शिवोऽहम् ॥१॥
私は知性、自我、思考など心のどんな側面でもなく
聞いたり、味わったり、嗅いだり、見たりするための器官でもなく
空でも地球でも火でも空気でもなく
純粋意識と至福の顕現、シヴァである
シヴァである
2 न च प्राणसंज्ञो न वै पञ्चवायुः न वा सप्तधातुः न वा पञ्चकोशः ।
न वाक्पाणिपादौ न चोपस्थपायु चिदानन्दरूपः शिवोऽहम् शिवोऽहम् ॥२॥
私は生命力でも、呼吸の流れでも、7つの体の要素でも、
5つの鞘でもない
私は口、足、手、排泄器官や生殖器など、体のどの部分でもなく
純粋意識と至福の顕現、シヴァである
シヴァである
3 न मे द्वेषरागौ न मे लोभमोहौ मदो नैव मे नैव मात्सर्यभावः ।
न धर्मो न चार्थो न कामो न मोक्षः चिदानन्दरूपः शिवोऽहम् शिवोऽहम् ॥३॥
私の中には憎しみも、執着も、貪欲も、妄想もなく
情熱も、誇りも、嫉妬も存在しない
自分の義務、富、欲望や解脱も追い求めず *1
純粋意識と至福の顕現、シヴァである
シヴァである
4 न पुण्यं न पापं न सौख्यं न दुःखं न मन्त्रो न तीर्थं न वेदा न यज्ञाः ।
अहं भोजनं नैव भोज्यं न भोक्ता चिदानन्दरूपः शिवोऽहम् शिवोऽहम् ॥४॥
私にとって美徳も、罪も、喜びも、苦痛も意味はなさず *2
マントラも、巡礼も、経典も、儀式も必要ない *3
経験でも、経験の対象でも、経験者でもなく
純粋なる意識と至福の顕現、シヴァである
シヴァである
5 न मे मृत्युर्न शङ्का न मे जातिभेदः पिता नैव मे नैव माता न जन्मः ।
न बन्धुर्न मित्रं गुरुर्नैव शिष्यं चिदानन्दरूपः शिवोऽहम् शिवोऽहम् ॥५॥
私は死やその恐怖、カーストや信仰などの区別に縛られず、
父も、母も、誕生もなく、*4
親戚や、友人や、教師や生徒もいない *5
ただ純粋なる意識と至福の顕現、シヴァである
シヴァである
6 अहं निर्विकल्पो निराकाररूपो विभुत्वाप्यि सर्वत्र सर्वेन्द्रियाणाम् ।
सदा मे समत्वं न मुक्तिर्न बन्धः चिदानन्दरूपः शिवोऽहम् शिवोऽहम् ॥६॥
私は変幻自在で、姿は形ないものであり、
全てのものの本質として遍在し、
どこにでも存在し、すべての感覚に浸透している
執着をすることも、解放されることもない
ただ純粋なる意識と至福の顕現、シヴァである
無であり、全てである、シヴァである
6編全ての最後に繰り返される Shivoham は 、Shiva + Aham (アハム。わたし。個人的な私ではなく、宇宙的な自己、ブラフマン)を意味し、
繰り返し唱えることにより、「わたしは何者でもないもの、ただ存在する宇宙意識である」ということを強調し、唱える人に自己の本質を思い出させる。
散歩にですら古の聖人の息吹を感じることが出来る、カシミールでの日常がますます好きになる、そんな平和な朝の時間なのだった。
● ひとことメモ ●
1. ヴェーダの4つの人生の目的とされるダルマ(義務、道徳)、アルタ(富)、カーマ(欲望)、モクシャ(解脱)。シャンカラは悟りの状態を生きていて、人間体験の実態を理解し、そこから解脱した状態なので、その中で推奨される生き方は全く意味を成さない。
2. 二元性が存在しないので、何の性質も影響を及ぼさない。世の中のすべてはひとつの意識(ブラフマン・宇宙意識・真の自己)の反映であり、全ての相反するものは自己の中に含まれる。
3. その先の目標を達成しているので必要ない。
4. 終わりも始まりもなく、原因の無い存在である宇宙意識には、誕生の瞬間もなく、母も父も存在しない。
5. 「すべてはわたし、わたしはすべて」という、存在の真実に気づいているので、小さな自己が物理次元の中で、人間体験のためにやりくりしている「関係性」、すなわちカルマ精算のための人生劇場においてのお互いの「役」に縛られていない
