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なぜADHDを笑うと儲かるのか

ADHDだから、正直、Noteを書くのはめんどくさい。しかし、それ以上に自分を突き動かす出来事があった。

「ADHDは99%、食べ放題でサラダを食べないと、ハーバード大学の研究で証明されたらしい」こんな投稿が大きく拡散された。
反論された投稿者は、「普通にネタツイですよ」と答えた。
もちろん、ネタだ。
ただ、根拠がなくても「ADHDならありそう」と笑える時点で、偏見はもう完成している。
「ネタだった」は、投稿者の意図の説明にはなる。
だが、なぜそのネタが成立したのかまでは説明してくれない。
昨今の『みいちゃんと山田さん』をめぐる議論も似ている。
作中のみいちゃんに医学的な診断名はついていない。それでもSNSでは、知的障害、発達障害、ADHDが雑に混ぜられ、現実の人を「みいちゃん」と呼んで揶揄する行為まで起きていると報じられた。
ここで言いたいのは、みいちゃんがADHDだという話ではない。
異なるものを全部、「仕事ができない変な人」にまとめる乱暴さの話だ。
支援からこぼれ落ちる人を描いた作品が、支援からこぼれ落ちる人を笑う道具になった。

どうせ、私も君もADHDでドーパミン不足だ。
長文は読めないから、本題を簡潔に書く。

資本主義が求める理想の労働者は、遅刻せず、忘れず、感情を乱さず、毎日同じペースで働き、周囲に管理コストをかけない。

この型から外れると、特性や環境の問題は、すぐに「怠け」「甘え」「常識がない」に変換される。
2026年の研究でも、ADHD当事者の仕事が成果より定時性や「忙しく見えること」で評価され、その行動が人格の問題として解釈される経験が報告されている。
職場では、「生産性の低い人」として価値を下げられる。
そしてSNSでは、その不器用さが笑い、怒り、インプレッションに変えられる。
笑う人も、怒る人も、訂正する人も、全員が数字になる。
SNSは正しさより反応を評価する。実際、反応という報酬が、ネット上の怒りの表現を増幅させることも研究で示されている。

つまりADHDは、働けないことで価値を下げられ、笑われることで別の誰かの価値を生む。
一度目は労働市場。
二度目はSNSの注意市場。

もちろん、ADHDだから遅刻も忘れ物も許される、という話ではない。
誰かを困らせたなら、責任はある。
ただ、責任を個人から消さないことと、個人にだけ押しつけないことは両立する。
行動への批判と、診断名を使った人格攻撃も別物だ。
ADHDの困りごとは、確かに存在する。
でも、その困りごとに値札をつけ、笑いに換える社会まで、当事者の責任ではない。
問うべきは、「なぜADHDは普通にできないのか」ではない。
なぜ、普通にできない人を笑うと儲かる社会になったのか、だ。

追記。

この話に近い内容として、
ADHD治療薬・漢方・サプリの使用感ログをnoteに置いています。

「効いた・効かなかった」だけではなく、
仕事、睡眠、焦燥感、食欲、性欲、ブレインフォグが
生活の中でどう変わったかを書いた個人ログです。

服用を勧めるものではありません。
必要な人だけどうぞ。

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