【小説家を目指す人のエッセイ】僕は僕すらも書ききれない。
このエッセイを読み始めたあなたは、さっきまで何を考えていましたか?最近はどんなことに心動かされ、何に悩んでいましたか?
僕はついさっき初めて会話の中で「一蓮托生」を使っている人に出会ったので、「一蓮托生」の意味をインターネットで検索しました。仏教の言葉で、結果や運命を共にするといった意味があるそうです。それを知った後に、ふと昔見たテレビ番組の心理テストを思い出しました。その心理テストはまず、四字熟語でパッと思いつくものを二つ順に挙げます。(読み進める前に、よかったらやってみてください)
思い浮かべましたか?
ちなみに僕は、①一石二鳥と、②一期一会を思い浮かべました。
一番目に書いた四字熟語は、あなたが人生で大切にしている言葉だそうです。二番目の四字熟語は、恋愛において大切にしている言葉だそうです。
なるほど、確かに。僕は、欲張りでなんでもかんでも手を伸ばす癖があるので、一石二鳥。またどんな人であれ、人との出会いは大切にするので一期一会も当たっていると思いました。皆さんはどうでしたか。
と、そんなことを思い出した後、僕は毎日noteを書いているので、今日のnoteまだ書いていないことを思い出し、何を書こうか悩み、今考えていることをつらつらと書いてみようと、あてどなくとりあえず書き始めたところです。
ここまで書いてみると、まあ10分強時間がかかっているわけですが、10分という時間は、ランニングで頑張って2キロ弱走ることができたり、野球においてはテンポよく三者凡退の一イニングくらいは行うことができます。
僕が言いたいのは、僕がしていること、考えていること、感情の動き、エトセトラを逐一、全て、そして相手に伝わるように整理して言語化して書くことは到底無理な話で、僕のことを全て表現して書きたいけれど、絶対に書ききれないので、取捨選択をして、諦めなければいけないことを知ったということです。
これは日常のコミュニケーションにおいても同じだと思いました。僕たちは自然と、自分の身に降りかかった出来事や自分のことを自分らしい言葉を選択して話しているそうです。それも自分の都合のいいように。やっぱり自分をよく見せたいですから。
けれどそれを知ると不思議な話、ふわっとコミュニケーションが軽くなります。僕を全て表すことはできないし、相手も相手自身を全て表すことはできない。だから自分のことを無理に誇示したり、卑下したりする必要もないし、相手を尊大に扱ったり、見下したりすることもありません。
まあ、自分を理解できるのは自分しかいないし(時に、自分すら把握できない時もあります)、相手の気持ちを完全に理解することもできないから(かといって相手に思いやりの気持ちを忘れてはいけない)、変な執着を手放したという感じですかね。
