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soeji
役に立つ
役に立つ。役に立たない。
判断基準がそのような指標でいくことが、僕は善悪どちらの感情でもない感情を抱きます。
経済の発展や、社会システムの構築において、役に立つ機械や役に立つシステムを作ることは、人の生活を豊かにするものですから、推し進めるべきだと考えます。
例えば、AIによる業務効率化であったり、機械により人間の負担軽減などは代表的な例です。
しかし、言葉というものにおいては、役に立つ、役に立たないの判断が難しいと思います。
僕が野球をやっていた時の話です。
同じポジションの選手が、守備練習のたびに「死ね」「下手くそ」「マジでキモい」という言葉を浴びせてきました。初めは無視を貫けたものの、濁ったものが堆積していくように、心に負担を与えていきました。
今考えれば、そんな言葉に屈するような心では、やはりプロになるなんて無理だったのだろうと思います。
話を戻すと、彼が放った「死ね」「下手くそ」という言葉は、当時役に立ちませんでした。むしろ害のような言葉だったでしょう。
けれど、今となってみれば、きっと彼にも嫉妬があったり、その言葉を使う理由があったのだと想像することができたり、その言葉を糧に自分はそうでない言葉を使おうと考えることができます。
役に立たなかった言葉が、役に立つ時が来ているのです。
罵詈雑言を誰かに浴びせることが、善いことだとは思いません。
けれど、そういう経験もいつの日か役に立つ時も来るということがあります。
今は無駄なことだと嘆くようなことや、こんなこと役に立たないと思うようなことでも、その経験や言葉が役に立つことがあります。
だから、今役に立つ、立たないで人間関係やお仕事を判断するということは、もしかしたら安易な発想なのかもしれません。
