100年後もやりたいことを、今日やる
継続は大事。
一年の始まりになると、そう思います。
継続の実感をしたのは、高校野球。
毎日自分に自主トレのメニューを課して、それをしなければ高校野球は後悔しかないと思って、1年間継続して、見事に結果として表れました。
あれから、何かを継続したことはあったでしょうか。
そう自分に問うと、一つだけ浮かぶのは、生きてきたことだけだと思います。
そんなことは大したことではないと思っていたこともありますが、今それだけは誇りに思っていて、どんなことがあっても生きてきたことだけは大したものだと自分に言い聞かせています。
僕はこう思います。
生きることに希望を見出すのは、死ぬと分かっているからです。
同じように、高校野球を必死にやり切ったのは、高校野球はその3年間しかないからです。
時間は限られているんです。
100歳まで生きるとして、数えたところあと約26,000日しかないのです。
僕はもう死ぬんです。
生きているのだから、あとは死ぬだけです。
けど死ぬことが分かっているから、その生の中で何かを成したいと思うのです。
成したいこと、それを僕は理想と呼んで、その理想を叶えるために僕は生きている気がするのです。
愛を知りたい。
この目でいろんな景色を見てみたい。
深い心を持ってみたい。
争いがなくなった世界を歩いてみたい。
遠くにある欠片に触れてみたい。
死ぬから、死ぬのは分かっているから。
だから、自分の外界でどんなことが起ころうとも、この生を噛み締めなければ、生きている意味がないのです。
では、愛を知るには。
景色を見るには、深い心を持つには、争いをなくすには、遠くにある欠片に触れるには、何をしたらいいのでしょうか。
人それぞれあると思います。
この限りある生で大切にしたいこと。
僕にとっては、言葉を紡ぐことです。
音楽を奏でることもできないから、映像を撮ることもできないから、絵を描くこともできないから。
けれど、言葉を書くことが好きだから、これを毎日続けるのです。
継続しなければ、何かを成せないのではなく、
何かを成したいから、継続するのです。
まだまだ浅瀬で生きている僕はより早く、遠く深くに行くことばかり考えていました。
でも、遠く深くに旅をするには、やはり一歩一歩を大切にしなければならないと痛感しています。
100年後もやっていたいことを、今日やる。
生きること。
考えること。
言葉を書くこと。
本を読むこと。
2026年はそうやって生きていきたいと思っています。
