【読書】「ふつうの人が小説家として生活していくには」を読んで
先日miletのライブで日本武道館に行ったので、神保町に寄り道をしていました。グッズを買った後やることもなく、二時間くらいあてどなく本屋をふらふらと歩いていました。
高田純次さんがロケをしていたり、新しい絵本の専門店を見つけたりして、神保町の良さは本屋の隣に本屋があるところなんだと、僕は都会初心者のごとく浮かれていました。
せっかく来たからには、何か一冊買って行こうかと棚を物色していると、目に入ったのが津村記久子さんの「ふつうの人が小説家として生活していくには」という本でした。これはいい本だ。と、直感で買いました。
今思い返せば、どうやら昔から自分は特別な才能があると信じてやまなかったのですが、26歳にもなって社会人経験を積むと単なるふつうの青年に過ぎないことが分かってくるので、こうしたタイトルに惹かれて手に取ったのだと思います。
津村さんの作品は読んだことがなかったので、勝手なイメージで小川洋子さんや上橋菜穂子さんのような60代くらいの女性作家さんを想定していました。実際は40代の関西出身の女性作家です。
その勝手なギャップに驚きつつ読み進めると、あ、この人の考え方好きかもと思いました。
就職氷河期を経験して、自分の力で山を登ってきているような感覚で話す人。
小説を書くこととスポーツをする感覚を同時に持っている人。
自分が好きだと思えるもの、自分の芯を忘れずに、それでも柔軟に話している人。
読んだ後はそんなイメージに変わりました。
自分にも自立心やスポーツ的感覚が備わっているつもりです。しかし本書を読んだ後、どうしても拭えない津村さんと自分との距離があるような気がするのです。それはやはり自分のことを自分でふつうと思える感覚を持ち合わせていないのだということです。
というのも、やはり人間自分が可愛いですから、どこか自分には特別な才能があると信じてやまないものです。けれど、特別な才能なんてものはみんな持っていて、それは周りの評価によって左右されるものです。だからこそ、「自分である」ということの大切さ。嘘偽りないふつうの「自分である」ということの大切さを本書から学んだ気がします。
僕たち人間は、生活をしていくということが当たり前です。時に親に頼りながら、兄弟に助けられたり、恋人に救われたりしながら。
それでもいかに主体性を持ってすることができるか。自分が持つふつうの感覚のまま生きることができるか。自分らしく超然と生きてゆけるかどうか。
あとがきにはこんな言葉があります。
「人間は、周りに誰もいなくても、何も持っていなくても、自律性と時間を持っている」
僕はこれから生きていく時間を、他人に保証された物事を愉しむのではなく、自分の心動くその物事を最大限愉しむために生きていくことに決めました。
本書の津村さんと同時に自分の幼少期から今までの体験を振り返ってみると、きっと本の世界、物語の世界が原体験であり、その世界にいるということが僕にとってのふつうなのだと感じました。
自分がふつうだと思う感覚を社会にぶつけて、その度に自分らしさを壊して再構築していこうと思います。
だから、引き続き毎日noteと小説書き続けようと思うのです。ふつうの自分が作家になるために。
