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芥川賞選評と自分の感性

小説家を目指していながらお恥ずかしい話です。芥川賞の選評なるものが存在することを、同じく小説家を目指す友人に教えてもらい、初めて知りました。

早速、読んだことのある作品の選評を覗きに行きました。
自分の感性で見えたその作品の感じ方と、プロの小説家の視点で書かれた選評を見比べるためです。
直近で読んだ作品は、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」、市川沙央さんの「ハンチバック」、鳥山まことさんの「時の家」です。「時の家」最新のため、まだ選評が出ていないので、2作品の選評を見ました。

以下、「ハンチバック」小川洋子さんの選評の一部です。
「田中の精液を飲み込んで死にかける姿には、常に生死の境に立たされている彼女に堆積した、底知れない疲労が透けて見える。」
僕にはそんな疲労見えなかった。わからない。

続いて、「コンビニ人間」堀江敏幸さんの選評の一部です。
「指のささくれを一本ずつ抜いていくような心理の詰め方が逆にユーモアを生み、異物を排除する正常さの暴力をあぶり出す。読後に差し込む不思議な明るさに、強く引き寄せられた。」
わからない。わからない。

僕は一通り選評を読み終えると、絶望で顔が引き攣り、自分の力量不足、そして高い壁か遠い道のりを感じました。
このエッセイを書く前に「時の家」、佐藤厚志さんの「荒地の家族」について自分の作品の見方を書きました。
「荒地の家族」についても、自分は的外れなことを書いているのではないかと不安に襲われます。自分の視点はきっとアマチュア目線なんだと。

自分が見ている景色は、きっと映画みたいなものです。
映画を作る人間になりたいのならば、その映画がどのように作られているのかを考えることができる目を持っていなければいけません。
感動したとか、このストーリーはありきたりだなとか、映画を見終わった後に言っている人間では、映画を作ることができないと思います。

けれど、この絶望を今は、希望の入り混じった絶望と捉えることができます。こうやって何回も、壁を感じて乗り越えていくことが大切です。これをクリアするには長い時間をかけなければいけないことが分かりきっているので、やっぱり今日も言葉を書いて、作品を読んで、技術を身につけなければいけないと心の中でシャウトします。

文学は深いですね。面白い。

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