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【読書】「ハンチバック」を読んで

市川沙央さんの「ハンチバック」を読みました。
自身が抱える筋疾患先天性ミオパチーという難病を題材とした社会に切り込みを入れるような文学作品です。
ちくちく、ちくちくと読み進めるたびに胸が痛み、その痛みは解消されることなく胸に重く残っていきます。
この痛みはなんだろう。
ふと、ある体験を思い出しました。それが僕が小学校の時に通っていた病院での出来事です。
僕自身も小耳症という生まれつき耳が変形した形で聴力が弱かったため、県立のこども病院に入院したり通ったりしていました。手術をして病院に2週間ほど入院しました。大勢の子どもがいて、その全員が何かを抱えているのです。
周りには頭を固定していないといけない子や、脳腫瘍で何回も入退院を繰り返している子、足が不自由で移植手術をした子などがいました。
けれど、曖昧ですよね。
どうして頭を固定しなければいけないのか。脳腫瘍って何回も再発するものなのか。足が不自由って言ったってどの程度なのか。
その時、自分が抱いていた感情を思い出して、胸が痛むのです。
それは、一種の現実逃避であり、ドライな優越感のような感情です。
僕は自分の耳ごときでこの子たちと一緒の病院で暮らしていることに疑問を少なからず抱いていたはずです。どうしてこの子たちと同じような部屋にいるのだろう。どうして彼らは治らないような病と戦っているのだろう。なぜならば、僕は軽度だからです。こんなこと考えてはいけないと頭では分かっているけれど、彼らより僕は恵まれているという自覚がありました。知っているけれど、どうしても僕は、彼らが持つ重さが怖くなって抱えきれないから、見ないことにしたのだと思います。
きっとこの一連の感情は、「ハンチバック」の主人公に向けられた憐れみなのだと思います。
この人たちは、かわいそうな人たち。これ以上この病気について聞いたら失礼になるから駄目だ。それはきっと健常者自身が気を遣っているようで、単なる高慢に過ぎないのかもしれません。
「人は知らないことに恐怖を覚える」と言います。
僕たちが健常者、障がい者以前に、他人のことをよく知ろうとしないで判断を下すことへの憤りに近い熱をこの作品から感じます。
僕はその熱に、過去の自分を触れさせることで、ちくちくと胸が痛んだのだと考えます。
僕たちには、物事を安易に決めつけずに知ろうとする態度こそが必要であり、市川沙央さんという作家さんはまず自らを発信することの覚悟を持った作家さんなのだと思います。最後の数行には、自分も物語を書くことで自分を救いたい気持ちと決意を書き、僕自身も背中を押してもらえた気分です。

またそれ以上に、この作品の文学的表現力の高さがすごく好きです。
「ダブチの側面のチェダーチーズみたいに目尻と口角がとろけた」
「味が不味いですよなのか、2度も出せないからまずいですよなのか判然としない言い方だった」
この作品に出会えて良かったと心から思います。

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