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『さよならの今日に』を聴いている

「明日が来ることは解る
昨日が戻らないのも知ってる」
「切り捨てた何かを拾い集めても
もう二度と戻ることはないと
解っているのにな」

去年までの自分は、
「不滅のロックスター
永遠のキングは
明日をどう生きただろうか」
という歌詞に自分を重ねていました。
野球をやっていたときは、どうしたら大谷翔平になれるのか?
サラリーマンをしていた時は、どうしたらあの上司みたいになれるのだろうか?
小説家を志した時も、どうしたら村上春樹になれるだろうか?
そして、それを目指すならばどうしたらいいのか?彼等ならばどう行動するだろうか?
そんな想いをこの歌詞に重ねていました。

けれどどうしたってなれなかったのです。
彼等のように毎日何かを継続したり、夢にまっしぐらに生きることなどできませんでした。
三日坊主もするし、他人の目を気にしたり覚悟を決めてなにかに取り組んだりもできませんでした。

変化したのは、あの人のようにはなれない諦めが必要だと考えることのできる自分がいることと、それでも憧れてしまったり、過去の失敗に対して悔いて割り切れない感情を持つ自分がいること自体を受け入れていることです。

誰にだって持っていても仕方がないと思える感情を持ち合わせています。
後悔とか、罪悪感とか、恥じらいとかです。
こうしたらいいのにとは解っているのにできないこと。
それを抱えながら前に進んで生きていくジレンマを僕は認めようと思うのです。

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