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パプアニューギニアの”貝貨”に学ぶ地域再興へのヒント

先日、車を運転しながらなに気なく聞いていたFMで、パプアニューギニアでは国が価値を保証する一般の通貨のほかに、”タブ”と呼ばれる希少な貝殻で作られた貝貨が第二の通貨として存在しているとの三重大学深田教授の話が耳に入りました。パプアニューギニアでは貝貨が長い歴史を持っており、納税や土地売買などの重要な取引にも使える第二の通貨として制度化がされていると聞き、思わず耳をそばだてました。

ムシロガイという希少性が高く捕獲も困難な貝殻を加工し、糸に通して連ねるなどして持ち運べる通貨として活用しているようです。
貝貨は、物資(豚・食料・土地の利用権など)の交換の媒介といった通貨的な要素も持ちますが、即物的な価値以上に婚姻の際の持参財や、賠償や和解の手段として用いられることから、人間関係を調整するための社会の潤滑油としての価値も高いようです。
番組で深田教授は、「パプアニューギニアでは役場や職場を平然と休む人が多いが、彼らは決して非難されない。なぜなら、勤務先での仕事は賃金を得るための私的労働に過ぎず、相手の助けになるボランティア活動こそが重要な公的活動とされているからだ」と指摘されています。
すなわち、貝貨は単なる「貨幣」ではなく、人間同士の関係性や信頼を媒介する社会的ツールと認識されており、多くの貝貨を流通させる人物は尊敬の対象とされる文化が根付いているとのことです。つまり、パプアニューギニアでは富を独占するのではなく、再分配することで共同体全体を支える仕組みが出来上がっているということのようです。
こうしたモデルは、地域通貨やコミュニティ通貨の思想に通じる要素が強いように感じ、地域循環型社会のリファレンスモデルとしても考えることができそうだと思い、昨日一日かけて貝貨について書かれた教授の論文などを漁り、その設計原則などについて探ってみました。

貝貨の原理から学べる点

まず感じたことは、貝貨には通貨自体の循環性が保持されていることです。我々が通常使う通貨では、物品やサービスの対価としてそれを支払ったらその時点で手元から消えてしまいますが、貝貨は<使ったら誰かに届き、その後また別の誰かの役に立つ>といった循環の流れが確立しており、その意味から”お裾分け型の通貨”とも言える原理が確立されているようです。

また、他人への貢献などといった社会的価値が可視化されるといった特徴も持っています。我々の社会を構成する経済学は、財やサービスの価値は市場によって決められるといった原則に基づいていますが、人の役に立つことで生じる価値はマネーの価値としては換算されません。つまり、受け取った人の気持ちなどというあまりに主観的な要素が含まれるため、経済的価値として推し量ることができず、その結果抜け落ちてしまっていまうのです。例えば、介護現場で実に心の籠った素晴らしい介護をして相手にこの上ない満足感を与えたとしても、それは感謝されることはあっても報酬など経済的対価(マネー)に直接反映されることはありません。つまり、マネーは市場を通すことで初めて価値が付与されるため、感謝や満足感といった主観的な要素に経済的価値を付与することはできないのです。感謝の言葉を聞いて良い気持ちになったり、それが信頼感につながり懇意な関係を結ぶ結果につながったとしても、それらはマネー取引の範疇外の出来事とされてしまうのです。
貝貨は、相手への感謝の気持ちや信頼感、さらには儀礼や和解などマネーでは測れない価値を表すことができる通貨であるとも解釈できそうです。これを地域通貨に置き換えれば、ボランティア活動など対価としては評価されにくい活動に対しても一定の評価を与えることになるとともに、サービスを受けた人が感じる感謝の気持ちを具体的な価値に置き換えて相手に返すためのツールとしても考えることができそうです。

さらに、共同体の信頼を確保し住民同士の関係づくりを重視する点も注目すべき特質だと思います。そもそも貝貨は国家の権威によって形成された通貨ではなく、村落や部族の合意によって成り立つものです。こうした性格は地域通貨も全く同様で、単なる法定通貨(マネー)の代替ではなく「地域の人々の約束事」として運営されます。繰り返しになりますが、貝貨の本質は「人と人のつながりを確認するための媒体」です。これは「地域内での顔の見えるやりとり」を促進するといった地域通貨の狙いとも合致していると思うのです。

マネーが支配する今日の資本主義社会は、格差や貧困、少子高齢化、物価の高騰など、我々の身近でも様々な問題が生じています。世界を見渡しても様々な地域で戦渦が生じており、その結果筆舌に尽くしがたい悲劇も毎日のように報道されています。これら今日の悲劇が生じる背景には、マネー経済によってもたらされた”物欲”によるものも決して少なくはないでしょう。マネーの価値を全否定する積りはさらさらありませんが、仮に人に手を差し伸べた結果が正当に評価され、それがこの上なく名誉なことであるといった価値観が共有されれば、今日の世界が抱えている問題に対する細やかな解決策にもつながるのではないだろうかと思います。こうした価値観を醸成し共有するためには、それに値するインセンティブが必要となります。言い換えれば、感謝・誇り・関係性・参加の証などといったお金以上の報酬を体験できる仕組みの確保が不可欠だと思います。
しかし意外に感じるかもしれませんが、こうした価値観は我々の心の中には確実に内在しているのです。例えば、日々苦しい鍛錬に明け暮れているアスリートたちは、自らの行為が高収入につながるといった金銭的価値よりも、技術の向上への探求心や勝つことへの貪欲さといった感情がはるかに優っていると思うのです。「一着でゴールすればいくらの収入が得られるか」と考えながらスタートラインにつくアスリートなどはいないでしょう。登山家や冒険家なども同様で、即物的な収入などはその結果に過ぎないと考えているのではないでしょうか。
有名なマズローの欲求5段階説は、人間の価値観の根底に備わっている欲求段階を見事に表しています。つまり、金銭的価値などは主に「生理的欲求や安全の欲求といった低いレベルに位置する欲求要素であって、それ以上の段階である承認の欲求や自己実現の欲求が中心的な動機とされています。「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」という仮説に基づくマズローの欲求5段解説は、「衣食足りて礼節を知る」という古代中国のことわざにも通じているように思います。すなわち、金銭的価値の追求に終始する状態は、低位に位置する生理的欲求や安全の欲求にのみ価値を見出し、上位レベルの欲求に目が向けられない状態にあるともいえるでしょう。これは、マネーの呪縛による最も恐ろしい側面だと思うのです。
また、アメリカの心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱したモチベーション理論によれば、人間の動機づけは報酬や懲罰といった「外発的動機づけ」と、興味・好奇心・成長欲求などの「内発的動機づけ」に分けられるが、人間は本質的に自律性・有能感・関係性を求める動物であるため、内発的動機づけのほうが金銭的欲求などの外発的動機づけよりも持続力が高いことが証明されています。さらに、経済学的には「効率的なインセンティブ」としてマネーは重要だが、心理学的には マネーが内発的動機を損なう(アンダーマイニング効果) ことがあるとも警告しています。

また、先に述べた今日の資本主義が格差や貧困、少子高齢化、物価の高騰など様々な問題が生じていることから、「資本主義の限界説」を唱える学者もおられますが、私はこうした考えに疑問を持ちます。その証拠に、資本主義の思想的始祖の一人とも称されるマックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で「勤勉・禁欲・使命感といった価値観が資本主義の発展を支えた」と論じており、利益追求自体よりも使命感や生きる意味こそが人を突き動かす原理であると述べています。つまり、マネーは活動の結果に過ぎず、動機の本質は宗教的・倫理的な「使命感」にあると言っています。私の考えでは、「マネーがマネーを産む」といった新自由主義型の資本主義こそが社会の矛盾を引き起こす元凶であって、それは近代経済学の始祖とも言われるケインズも「美人投票」という皮肉を込めた表現で著しているように、捻じ曲げられた資本主義であると思うのです。

貝殻通貨から学ぶ地域循環型経済

かなり脇道にそれてしまいました。話を貝貨に戻し、そこから学ぶ地域循環型経済について考えることにします。
貝貨は、消費すれば手元から消えてしまうマネー(法定通貨)と違って、「使ったら誰かに届き、その後また別の誰かの役に立つ」という循環性を持った通貨であることが先に述べた通りです。そして、こうした通貨を普及させるには「承認の欲求」や「自己実現の欲求」といった高次の欲求を満足させるための仕組み必要になります。つまり、「感謝・誇り・関係性・参加の証などといったお金以上の報酬を体験できる仕組み」を構築できるかがカギとなり、そのための仕組みとして、すでに様々な取り組みが内外で進められています。
例えば高齢者の生活支援(掃除・買い物付き添いなど)をするとポイントチケットに加えて利用者から感謝の言葉を直接受け取る仕組みを構築したり、ポイントをバッジや称号、貢献ランキングなどに代えて「地域のつなぎ役」としての名誉を得られる仕組みなど様々な取り組みが行われています。
また、高齢者は子どもに読み聞かせや手仕事を提供し、若者は力仕事やデジタル支援を行うといった世代間交流を強化する取り組みなども進められています。その結果高齢者には新たな生きがい、若者には地域への貢献という高次元の欲求が満たされるということにんります。
こうした取り組みは地域の特性などによって異なりますが、大切なことは「仕事=報酬が伴うもの」といった発想から脱却することではないでしょうか。もちろん生活するには一定の金銭は必要です。パプアニューギニアでも、生活を営む上で報酬を得るための労働は重要とされています。しかし、前にも述べたようにそれはあくまでも「私的な仕事」であって、優先すべきはたとえ無報酬だとしても地域のための仕事だといった考え方があります。これをそのままわが国に当てはめることは出来ませんが、格差や貧困、地域社会の疲弊、社会的弱者の介護など様々な問題に直面している社会に生きる我々も、せめて<仕事=報酬が伴うものといった発想からの脱却>といった価値観だけでも共有できないだろうかと思うのです。そして、収入を売るための仕事に日々追われていたとしても、それ以外にも自らを高次なレベルに引き上げてくれる重要な仕事があるのだと意識することだけでも、社会は大きく変わるのではないでしょうか。

最後に重要なことですが、貝貨は決して原始的な通貨だと思ってはならないということです。貝貨はムシロガイという希少性の高い貝殻で作られているため、醸造されるのにも限界があるためインフレリスクも少なく、さらに集団の中の信用に結びついていることから、デジタル通貨にも通じる概念があると考えられます。こうした仕組みを地域通貨として活用すれば、地域循環型経済体の構築すら可能に思えてくるのです。


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