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まだ見ぬ表現は、どうすれば見つかるのか。



Anthuriumの育種をしていると、
「どうしてそんなにたくさん播くんですか?」
と聞かれることがあります。

確かに、一見すると大量播種は大量生産のように見えるかもしれません。
ですが、少なくとも僕にとっての大量播種は、「たくさん売るための手段」ではありません。
むしろその逆で、まだ誰も見たことのない表現を見つけるための、極めて地道な試みだと考えています。

◎運ではなく、構造で考える。

育種には運があります。これは間違いありません。

どれだけ経験を積んでも、想像を超える個体に出会えるかどうかは、最後には偶然の要素も含みます。
ただ、その「偶然」をただ待つだけでは、育種は前に進みません。

僕は交配を行うとき、
「この親のこの形質と、この親のこの形質が組み合わさったらどうなるだろう」

という仮説を立てます。

黒さ。
葉脈。
葉型。
質感。
立ち姿。
遺伝の強さ。

それらを一つずつ積み重ねながら、
未来の姿を想像していく。
そして、その仮説を検証するために播種を行います。

育種は運だけではありません。
けれど、運だけでは辿り着けない世界でもあります。

大量播種=大量生産ではない。

大量播種という言葉には、「数を作る」という印象があるかもしれません。
しかし僕が求めているのは、生産量そのものではありません。
求めているのは、十分な母集団です。

10株の中から探せる未来と、
100株の中から探せる未来は違います。
100株の中から探せる未来と、
1,000株の中から探せる未来もまた違います。

母集団が大きくなるほど、可能性は広がります。

だからこそ、大量播種は「たくさん売るため」ではなく、
まだ見ぬ表現に出会う確率を高めるための行為なのです。

keeperは偶然ではなく、母集団から生まれる。

特別な個体を見て、「奇跡の一株ですね」
と言われることがあります。

もちろん、そう感じるほど魅力的な個体も存在します。
けれど、その一株は突然どこからか現れたわけではありません。

多くの仮説。
多くの交配。
多くの播種。

その積み重ねの先に現れた結果です。

keeperは偶然によって生まれるのではなく、
偶然と出会えるだけの母集団の中から生まれる。

僕はそう考えています。

◎期待を超える個体は、突然現れる。

育種の面白さは、仮説通りに進むことだけではありません。
むしろ、仮説を超えた瞬間にあります。

「こんな表現になるとは思わなかった。」
「この組み合わせで、こんな質感が出るのか。」

そんな驚きがあるからこそ、育種を続けられるのだと思います。

もちろん、すべてが期待以上になるわけではありません。
けれど、ごく稀に、自分の想像を飛び越えてくる個体が現れる。
その瞬間を見るために、今日も播種を続けています。

Anthurium antolakii 'Meteora'


◎育種家の仕事は、「作る」より「選ぶ」。

交配すること。
播種すること。
育てること。
それらは確かに育種家の仕事です。
しかし、それ以上に重要なのは、

何を残すのかを決めること。

だと思っています。

どの個体を親株として残すのか。
どの個体をkeeperとして育てるのか。
どの個体を次世代へ繋げるのか。

育種家は、未来の方向性を選び続ける仕事なのかもしれません。

◎選抜は、「優劣」ではなく「目的」。

選抜という言葉には、どうしても優劣のイメージがあります。
ですが、実際には少し違います。

・親株として優れた個体。
・販売を通して多くの人に楽しんでもらえる個体。
・次世代の育種素材として価値のある個体。
・keeperとして自分自身が追い続けたい個体。

それぞれに役割があります。

だから選抜とは、

「良い・悪い」を決めることではなく、
どの未来を託すのかを決めること。


なのだと思います。

なぜ、acu’s forestは大量播種を続けるのか。
まだ見ぬ植物を探し求めて。

この言葉は、acu’s forestの出発点でもあります。

誰かが作った価値を追いかけるだけではなく、
自分たちの手で、新しい価値を見つけたい。

そのためには、仮説が必要です。
母集団が必要です。
そして、選び続ける覚悟が必要です。

大量播種は、そのための手段の一つに過ぎません。
目指しているのは、単なる生産量ではなく、

「acu’sだから欲しい」と思っていただけるような植物を生み出すこと。

そのために、これからも仮説を立て、播種し、選び続けていこうと思います。



まだ見ぬ植物は、偶然だけでは見つからない。

けれど、偶然を受け止められるだけの準備をした人にだけ、そっと姿を見せてくれるのかもしれません。

acupom

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