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【小説】偽りなき偽善 #5

 翌日、担任教諭から一学期の期末テストについての連絡があった。
「もしよければ、別室で試験を受けることも可能なんです。その話もしたいですし、佑香さんに会いに伺っても良いですか?」
 佑香はこれまで、「上の下」あたりの成績をなんとかキープしていた。この一ヶ月間、リモート授業も受けず、塾も休んでいる今試験を受けてしまったらどんな結果になるか目に見えている。ショックを受けて立ち直れなくなる可能性もあるだろう。私は、娘と相談して折り返すと言って電話を切った。

「佑香、ちょっと話したいんだけどいいかな。部屋に入ってよければ入るし、嫌だったら、下に来てくれる?」
二階の部屋に声をかけに行ったが返事がなかった。しばらくすると佑香は疲れた顔で下りてきた。
「おはよう、佑香。顔は洗った? 夜は眠れてる……?」
「別に、寝れてる」
「あのね、さっき先生から連絡あって、期末テストどうするか相談したいって」
「……受けなくていい」
「それって、自信がないから?」
 図星なのか、佑香は黙った。
「別室でも受けられるんだって。でも、そこまでして受けたくない?」
「……お母さんは、私にそこまでして受けてほしくないって思ってるの?」
「いや……もちろん、受けられるなら受けたほうがいいって思ってるよ。でも……」
 佑香が私の言葉を待つように、じっとこちらを見据えた。私は正直に伝えることにした。
「この一ヶ月間、ほとんど勉強できてなかったわけでしょ。それでテストで散々な結果になったら、ショック受けないかなって」
「……うざ」
「え? なに?」
「……なんでもない。テスト受けなくていい。学校に行きたくないから」
 そう言うと、佑香はあっという間に二階へと消えて行った。
 リビングに取り残された私は、萬波のことを再び思い出していた。
──彼女も、中学二年の二学期から学校へ来なくなったんだったな、と。

 萬波とは中二で初めて同じクラスになった。小学校では一度も同じクラスになったことがなく、下校中は彼女からクラスメイトの話をよく聞かされたものだ。
「佐藤さんね、私が横を通ったら、聞こえないくらいの声でボソッと『デカ女』とか言うの」
「みんな中休みに氷鬼こおりおにしてるけど、私は足遅いから入りたくないんだよね」
 クラス内で起きた消化不良の出来事を、彼女は感傷的な包みにくるんで私へひょいと投げる。私はあいまいな相槌を打ちながら、ひたすら片道三十分の道のりを一緒に歩く。彼女のそういう類の話に、私が共感を持って聞けたことはなかった。クラスメイトから意地悪をされたり、仲間に入れないという経験を、私はしたことがなかったから。

 中学へ入学後、私は朝の準備に時間がかかるようになり、萬波を待たせることが増えてしまった。そのため約束せずタイミングが合えば一緒に行くというスタイルに。そうして二年生で同じクラスになったとき、萬波はとても喜んだ。三年生まで持ち上がりのため、二年間クラスメイトでいることが確定したのだ。しかし、私にとっては嬉しいというよりは、「萬波とクラスメイトってどんな感じになるのかな」と観察日記を前にしたような心持ちだった。

 進級して一週間、二週間と過ぎる頃、なぜ、萬波と同じクラスになって私の心が躍らないのかが、なんとなくわかってきた。私にとって萬波は「近所の友達」であり、教室で見せていない顔を知っている友人。どこか家族に近い感覚と言ってもいい。そのため「教室で一緒に過ごす友達」にしては新鮮味に欠け、さらには、知られたくない自分の姿を暴露されたくない、という恐れもかすかにあった。知られたくない自分とは一体何なのか、自分でも説明できないのだけれど──

 またその頃、流行を追いかけることが女子中学生の絶対であるかのような女子四人組が、教室の真ん中でいつも芸能人や洋服、メイクの話で盛り上がっていた。高校生の真似をしてルーズソックスを履き、気づけばメイクまでしている、ちょっと大人っぽい子たち。ちょうど、沖縄出身の四人組ダンスグループ「SPEED」が一世を風靡しており、彼女たちがそれを意識しているのは一目瞭然だった。
 その中心に君臨していたのは、笹嶋絢子ささじまあやこという子だった。 日に日に彼女のスカートは短くなり、メイクは濃くなっていく。先生から注意されることも増えていったが、調子よく「先生〜そんな堅いこと言わないでよぉ」と甘えて許しを請う術に長けていた。
 元来、真面目で成績優秀だった彼女には、先生たちもどこか強く注意しきれない部分があったのだろう。さらに、父親は検察官。「ちゃんとした家庭の子」という圧倒的なバックボーンを持つ、無敵の少女だった。

 絢子には取り巻きが三人いて、毎日その四人で休み時間を過ごしていた。 ある日の中休み、絢子が少し離れた場所に座る私に向かって声をかけてきた。
「逢見さーん! ねぇ、こっちおいでよー」
 自分でも驚くほど、胸が跳ね上がった。なぜ笹嶋さんが私に──?
「ちょっと行ってくるね」
 隣にいた萬波にそう言い残し、私は吸い寄せられるように絢子たちのグループへと近づいていった。

「昨日スマスマ観た?」
「うん、観た観た」
「吾郎ちゃんのコントめっちゃウケたんだけど」
 取り巻きの三人も手を叩きながら笑っている。
「あ、ねぇねぇ、馨も私たちの交換日記に入れば?」
「あーいいね、入って入って!」
 こうして私はよくわからないまま、絢子たち四人グループに片足だけ突っ込むことになった。

 朝や五分休みは萬波と過ごし、昼休みは絢子たちのグループ内でしゃべる。そんな教室内の二拠点生活が始まった。特定の誰かとずっと一緒にいるのが得意ではない私は、これまでもそうやってやり過ごしてきたが、中学二年になってから、周りの目にはそれが異質に映ったらしい。絢子と仲の良い男子たちから、ある日ニヤニヤしながらこう言われた。
「逢見さんって、なんか居場所定まってないよね」
「えっ」
 想定外の指摘に、私はたじろいだ。
「普通、女子は決まったグループにいるじゃん」
「あ、そう……かな」
 私は恥ずかしくてたまらなかったけれど、顔に出したら負けだと思い、無表情を決め込んだ。その頃、絢子たちの「ノリ」についていけない、と感じることも増えていた。彼女らがなぜ笑っているのか、何が面白いのか理解できず、一緒にいると顔が筋肉痛になってしまう。
 だからと言って、萬波と一緒にいて安らぐというわけでもない。あの時期、教室の中で自分にピタッとはまる場所を、私はどうにも見つけられないでいた。

「馨、ソックタッチ持ってる? 今日忘れちゃって」
「あ、あるよ」
ピンク色の蓋のソックタッチを絢子に渡すと、彼女はすねより上のあたりにグルグルと塗った。ふわりとピーチの香りが漂う。
 塗り終わり、顔を上げた絢子に突然、
「ちょっと馨。あんたのその髪留め、あんま似合ってなくない?」
そう言われ、私は虚を突かれた。
 「え、昨日買ったんだけど……似合ってない?」
 歯医者の帰りに、ファンシーショップで母に頼んで買ってもらったものだった。
「そういう大ぶりのやつはさぁ、顔がはっきりしてないと似合わないって。しかも前髪上げちゃうのは馨にはちょっとなぁ……あ、アイプチ貸そっか?」
 とんでもない方向からナイフが飛んできて、よける間もなく胸に刺さった。確かに、私の目は絢子ほどパッチリとしていない。地味な顔だとみんなの前で言われたようで、消えたい気持ちになった。だけど、傷ついた顔などすれば余計立ち直れない気がして、
「マジかぁ、てか絢子アイプチなんて持ってんの?」
 ちょっと呆れたようにそう言って、何も感じていないふりをした。絢子と私は対等だという態度を取りたかった。

 ある日、体育の授業が終わる時間のこと。
 ジャージを脱いだ絢子たちが互いの制汗剤のスプレーをシューッと体に吹きかけながら、「そっちの匂いの方が好きかも」と四人で盛り上がっていた。
 私は、その頃親しくなり始めた宏美と、萬波と三人で一緒にいたが、絢子たちのその仕草にまぎれるように、せっけんの香りのスプレーを念入りに脇に吹きかけた。絢子たちのおかげで私の行動が目立たないことがありがたかった。

 まだ人工的な香りが充満している中、絢子が体操着の入ったバッグからアメの袋を取り出した。
「ねぇ、みんなでアメ食べない?」
 絢子はイタズラっぽく言い、周りの子たちに配っていた。
 なんでわざわざ学校で……。私は少し離れた場所から、白けた気分で彼女たちを眺めた。そのくせ、「あれ、私にはくれないのか」と少しガッカリもした。
 しかし、昼休みにはそれがなぜかバレて、体育の勝山先生から絢子たちはこっぴどく怒られたらしい。もらわなくてよかった、と思った。

「チクったの、絶対馨だよ」

 誰が言い出したのだろう。なぜか私が密告犯にさせられ、関係ないはずの男子たちまで、
「逢見、最低」「チクり魔かよ」
など、心ない言葉を浴びせてくる。私はえん罪を着せられてしまったようだ。萬波が「馨ちゃんなわけないじゃんね、ずっと一緒にいたもん」と声をかけてくれたが、目の前が真っ暗になり、何の反応もできなかった。

 翌朝、私は目を開けた瞬間、「学校行きたくない」と思った。
 起き上がるのにここまでエネルギーを要したのは初めてのことだった。しかし、行かなければきっと悪口を言われ、疑いはますます深まる気がした。 
 やっとの思いで制服に着替え、重い心を引きずるようにして遅刻ギリギリで学校へ向かった。

 教室に到着すると、一人の男子がサッと私の前に来て言った。
「逢見さん、ごめんなさい! 疑ってしまって」
 昨日、「チクり魔かよ」と言った子だ。
「え……」
「ごめーん! 馨。私、あのとき馨がこっち見てたから、チクったの絶対馨だって思っちゃって」
 堂々と言えば何でも許されるとでも思っているかのように、絢子がいつもの調子で言った。
「見てたって……そりゃ大声でしゃべってたら見ちゃうでしょ」
「だから、ごめんって言ってんじゃん」
 悪びれる様子もなく、絢子はごまかしたような笑顔を浮かべた。不誠実きわまりない態度に思わず泣きそうになる。しかし、疑いが晴れて嬉しい気持ちの方が少しだけ勝っていた。
 だけど、なんで私じゃないってわかったんだろう。そのことを、クラスのみんなが注目する中で聞き出すのははばかられ、黙った。

 その日、私は萬波と下校した。
「私、無駄に疑われてバカみたいだよね。昨日はこの世の終わりみたいだったもん」
「うん、ほんとあいつらムカつくね。誰かのせいにしたかったんだろうね」
「でもなんで、私の告げ口じゃないってわかってくれたのかな」
 私の晴れない謎を口にすると、萬波が言った。
「実は私……今朝早めに来て、笹嶋さんに言ったの。たぶん馨ちゃんが告げ口したわけじゃないと思う、って」
 私は萬波を見つめた。
「それで、絢子はなんて?」
一体なんの確証があって萬波が絢子にそれを言ってくれたのだろう。でもそれよりも、真っ先に絢子の反応が知りたかった。
「『なんで? 馨、私のことずっと見てたから、絶対アイツだよ』って……笹嶋さん言ってた」
心臓のあたりがキュッとなった。いや、胃だろうか?
「だから私……言ったの。『そもそも、なんで私がアメを食べた犯人って決めるんですか、って先生に文句言いに行こうよ』って。『証拠でもあるんですか?』って。笹嶋さん、嫌そうだったけど、なんとか説得して二人で職員室に行ったの」
「……ちょっと待って。そんなこと、わざわざどうして? それでどうなったの?」
 私は混乱した。萬波の思惑が分からず、頭がついていけない。
「職員室で勝山先生に『なんで笹嶋さんがアメ食べたってわかるんですか?』って、私まるで笹嶋さんをかばうみたいに、怒ったふりして言ったの。そしたら」
「勝山先生、なんて?」
「『ロッカーの十番にアメのゴミがあったからだ。十番は笹嶋のロッカーだろ』って」
「え……なんだぁ! 絢子のバカ、自分でミス犯してんじゃん! なまらムカつく」
「……馨ちゃん。実はね」
 萬波が立ち止まって、体ごとこちらに向け、私をじっと見下ろした。
「私、昨日の体育の授業のあと、アメの包み紙何枚か拾ったの。それで、みんなが出て行ってから、それ全部十番のロッカーに置いたの」

 言葉が出なかった。萬波にそんな勇気があったとは。
いや、これは「勇気」なのだろうか。正しい告発のようでありながら、どこか危うく不自然な小細工。でもそのおかげで私のえん罪は晴れた……
 歩き始めた萬波の横顔を私はそっと見上げた。どうしてそんなことをしたのだろう。彼女の表情は妙にスッキリとしているが、なんだろう、この言葉にならない居心地の悪さ──

 そのとき、リビングの電話が鳴ったので我に返った。また担任だろうかと思い、受話器を取る。

「はい、もしもし」
「………」
「え、どなたですか? 何ですか?」
「………」

──まさか、萬波……?
 私は、何の根拠もなく真っ先に彼女を疑っていた。

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