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【小説】偽りなき偽善 #14(最終話)

 三十度超えを観測した八月のある日、珍しい人からLINEが来た。なんと、萬波だった。

馨ちゃん、同窓会では会えて嬉しかったよ。その後お元気ですか?
来週、旭川で仕事があるから、泊まりで行く予定です。ちょっと会えないかな。

 萬波の宿泊先近くの喫茶店で、私たちは夕方に落ち合う約束をした。

 あれから私は、無言電話の主が誰だったのかをずっと考えていた。そして、ある結論にたどり着く。
 無言電話の真犯人は、私の罪悪感と自意識だったのではないか、と。
 私の未消化の悔恨から、私自身がいかようにも犯人を作り出せてしまうことそのものが一番恐ろしいことのような気がした。私の知らない人かもしれないし、知っている人かもしれない。結局のところ、誰であっても不思議ではなかった。それなら、もう犯人を探すのはやめようと思った。

 約二ヶ月ぶりに会う萬波は包み込むようなオーラがあり、いつかそうしたように、妹のように甘えたい気分に駆られた。

 コーヒーを二つオーダーした。なんだか大人になった自分たちがくすぐったくて、顔を見合わせて笑った。

「あれから元気だった? ちょっと痩せた?」
 萬波が私の顔を覗き込んだ。
「うん。色々あって……ちょっと痩せたかも」

 私は堰を切ったように、娘の話をした。
 学校へ行けていないこと、自分の思い込みで娘を見ていたこと、娘に偽善者と言われたこと。

「中学生の頃から、私は偽善者のまま。本当に恥ずかしくて、情けない。萬波ちゃんにも、きっと嫌な思いさせたよね……ごめんなさい」
私は萬波に向かって首を垂れた。

「馨ちゃん、顔を上げて」
 萬波のおっとりとした、どこまでも広がる波のような口調。私の荒波が落ち着いていくようだ。

「中学時代、私には馨ちゃんしかいなかった。……正直に言うとね、もっと一緒にいたい、独り占めしたいって思ったこともあったよ。でもそんな感情も、今となれば懐かしさしかないんだよ」

 私は顔を上げ、萬波の真意を確かめるように、彼女を見つめた。

「馨ちゃん、実はね。私今、詩を書いて生計立ててるの」
「えっ」
 私は驚いて、彼女を見上げた。
「詩って、ポエムの詩のことだよね?」
「そうそう。あれからもずーっとコンテストに出し続けて、一昨年、やっと受賞したの」
「えぇ……萬波ちゃん、すごい」
彼女が眩しかった。

 短大を卒業後、私は広告代理店で働きたかった。「言葉」で仕事をしてみたかった。だけど、内定をもらえたのは印刷会社だけで、広告マンたちが会社に出入りするのを指をくわえて眺めながら、寿退職したっきり。

「執念深いでしょ。ただ憧れのまま終わらせるなんて私にはできなくて」
「いや……すごいことだよ、普通できないよ」
「それで去年、一冊本を出したの。まだこの一冊だけなんだけど」
 萬波がバッグから本を取り出し、テーブルの上に置いた。

詩集 「雪の上の鏡たち」
   さざなみよろず

 どこかで見覚えのある装丁な気がしたが、それよりも作者の名前が気になった。
「さざなみよろず……かぁ」
「ふふ、おかしなペンネームでしょ。これもまた父が考えてくれたの」
「えぇ、おじさんが」
 さらに味わい深いおじいさんになっているに違いない萬波のお父さんを想像して、思わず顔がほころぶ。
「すごいなぁ、萬波ちゃん」
「でもね、まだまだ収入が安定しないから、お世話になってる出版社で事務の仕事させてもらったりもしてるんだ。まだ有名じゃない、札幌の小さい出版社なんだけどね」
 改めて私は萬波を眺めた。あのとき、「ポエマー気取りかよ」と心の中で馬鹿にした自分が恥ずかしい。まさかプロの詩人になっていたなんて──

「最初のページの詩は、中二の時、コンクールで入賞した作品なんだよ」
「え……」

 私は詩集を手に取り、表紙をめくった。

雪に埋もれた花たちが
春の光を待っている

きっとゆっくり溶けるから
今は慌てず待てばいい

私の心に降り積もる
雪はいつまで続くのか

きっとそのうち降りやんで
白銀色の夢の世界

 萬波は、中学二年のあの時、こんな詩を書いていたのか。目の前の萬波の姿がぼやける。

「だからね、佑香ちゃんが今学校に行けてなくても、きっと大丈夫。どこにでも道は拓けるよ、って伝えたい。元不登校児として、そんな講演もしてみたいんだぁ」

 はにかんだように笑う萬波の顔が滲んで、揺れた。
 もうすっかり、過去を乗り越えて一人で立っている女性だ。私は──

「萬波ちゃん、ごめんね……私……」
「やだ、何回謝るの」
彼女は穏やかに微笑んだ。

 お礼を告げ、私たちは別れた。萬波は明日、仕事を終えてから札幌へ帰るという。今日、私が萬波と会えたことは、まるで何かに導かれたかのような必然的な出来事に思えた。
 自分の可能性を信じてあきらめなかった彼女の今の姿に、私は信じられないほどの勇気をもらった。

 あの頃の私の必需品。ソックタッチ、あぶらとり紙、ビオレの洗顔フォーム。そして、何本あっても足りなかった制汗スプレー。でも私が本当に手放せなかったのは、「人に良く思われたい」「嫌われたくない」という過剰な承認欲求と自意識だったのではないか。
 いつまでもそれにしがみついていれば、空っぽな自分を埋められないことを嫌というほど痛感した。
 誰の目も気にせず、私が本当にやりたかったことは何だったろう。
その答えを、これからゆっくり探してみたい。私も萬波のように、何かに挑戦できる自分でありたい、と思った。

 帰宅すると、明日から二学期が始まる佑香が、制服をクローゼットから出していた。
「……ちょっと教室は行きたくないけど、別室になら一時間だけ行ってみようかなって。朱里ちゃんが明日迎えに来てくれるって言うし」

 その晩、私は、数ヶ月ぶりに心地よい眠りについた。


 プルルルルルルルルルル

 電話が鳴っている。時計を見ると、夜の十一時九分だった。こんな遅くに固定電話を鳴らしてくるなんて、どこの変質者だろう。だけど、犯人は誰でもよかった。私はもうわざわざ一階へ下りたりしない。
 そうだ。明日、ナンバーディスプレイのサービスに申し込んで非通知の着信拒否設定をしよう。そう決めて、私は再び布団にもぐりこんだ。



(完)


※この作品はフィクションです。実在する施設名や公共交通機関名が出てきますが、実在の人物や学校、団体などとは一切関係ありません。


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