見出し画像

【小説】偽りなき偽善 #6

「誰ですか? ねぇ、昨日もかけてきた人?」
 私は、もしかしたら萬波なのではないかという苛立ちを、そのまま受話器にぶつけていた。

 ブツッ。
 電話は切れた。

 何なの、二日も続けて。萬波なの?だけど、私はなぜ二十五年ぶりに再会した幼なじみを疑ったりするのだろう。一昨日、同窓会を途中退席までした理由が、「一番会いたくなかった」と記憶に刻まれた経緯が、正直よく思い出せずにいた──


「逢見さん、ちょっと相談したいことがあるんだけど、生徒会が終わったら、職員室に寄ってくれる?」

「あ、はい」
 中学二年の十月から生徒会の役員になった私は、放課後に教室を掃除している時、担任の青木先生に声をかけられた。青木先生は、今にして思えば四十代半ばくらいだっただろうか、物静かな女性で社会科の先生だった。結婚しているけど、お子さんはいないと聞いた記憶が。

 生徒会の会議は四時から五時。そのあとに職員室に寄ってしまえば、直行しても六時からの塾に間に合わないかも──とっさにそう思ったが、それならそれで、塾の先生にそう言い訳をすればいいかと思い直した。
 生徒会役員は、会長と副会長、会計、議長、書記の執行役員と呼ばれる五名のほかに、五つの委員──図書、放送、広報、体育、保健──の委員長五名の、計十名で構成されている。

 私は、校内の機関紙を発行する広報委員に一年生から所属しており、夏休み前に立候補して委員長になった。岩南中学は運動部しかなく、運動は苦手で、文章を書くのは好きだった私は、広報委員会に所属することにしたのだ。内申点のためにも帰宅部は避けた方がいいというのが、当時の常識だったはず。

 生徒会の会議にすでに数回参加したが、形式ばった流れや専門用語に私はなかなか慣れずにいた。全体像が見えず、何について話しているのか、ついていけない。救いは、副会長の寺山恭子てらやまきょうこが小学校時代から親しい間柄だったので、わからないことや不安なことは、帰り道に訊いて教えてもらえていたこと。彼女は親切で真面目で、賢かった。小学校高学年の頃は、夏休みに二人で自転車を漕いで市立図書館へ通い、何冊読んだかを競い合ったりもした。彼女はティーン向け文庫を制覇するほど恋愛系に夢中になっていて、私は「学校の怪談」のようなホラー専門。読書の嗜好は異なっても、気の合う友人だった。

 生徒会の会議が終わり、職員室へ行くと、青木先生が私に気づき、入口の方へやってきて言った。
「逢見さん、お疲れ様。このあと塾とかあるんだっけ? もしあるなら、車で送っていくけど」
「え! 先生、いいんですか」
 私は、学校の先生に対して「塾へ行っていること」を堂々と言うのは気が引ける中学生だった。まるで「学校の授業だけでは理解できません」と言っているようで申し訳なく感じてしまう。ただ、塾は家の方向と同じだが少し遠く、歩いて四十五分はかかるので、送ってもらえると遅刻せずに済む。授業の開始前に塾の隣のコンビニでパンでも買って腹ごしらえができれば助かる。先生の好意に甘えることにした。

「玄関で待っててくれる? 用意してすぐに行くから」
 そう言われ、私は先に玄関へと降りて行った。
 階段を下りると、同じ生徒会仲間となった飯田圭太郎が玄関で上靴を脱いでいるのが見えた。彼は一年生のときのクラスメイトで、小学校卒業のタイミングで隣の江別市から越してきた子だった。珍しさと、誰も知り合いがいないだろう彼のことがなんとなく気になり、入学早々私はよく彼に話しかけたものだった。テストで毎回百点しか取らない彼は、私のちょっかいを少し煙たそうにしていたが。

「飯田くん、お疲れ」
「あぁ」
「飯田くんはどこの塾行ってるの?」
 成績優秀な彼は、さぞかしレベルの高い塾へ行っていると思い尋ねた。しかし、意外な答えが返ってきた。
「塾は行ってない」
「えっ、そうなんだ。それでずっと学年一位なの? すごい、どんな勉強してんの?」
「……いや、別に。予習と復習してるだけ」
「えーっ、やり方にコツがあるんだ。今度教えて」
「……別にいいけど」
 そう言って飯田くんが帰ったので、私はホッとした。これから先生の車に乗せてもらうところを見られるのは、あまりよくないのではないかと思ったから。
 「ごめんね、お待たせ」
 ちょうど青木先生がやってきて、二人で駐車場へと歩く。空は群青色から濃紺に深まる途中で、風が冷たい。私はブレザーのボタンを閉めた。助手席に座らせてもらい、シートベルトを締めると、青木先生は車を発進させた。そして、ふうっと息をつき、
「逢見さん、生徒会はどう? 慣れた?」
と前を向いたまま言った。コーヒーの香りが鼻腔を刺激する。
「そうですね……なんかまだ慣れないって言うか、なんのための会議? 何を決めるの? みたいな、私だけが意味がわかってない感じがします」と言った。すると青木先生は笑い、前方を見たまま言った。
「逢見さんのね、そういう」
 交差点に差し掛かり、右折しながら先生は続けた。
「そういう、飾らないというか正直なところ、いいよね。周りを安心させるというか」
 先生に思いがけず褒められて、私は顔が緩んだ。青木先生は、あまり人を褒めるタイプの教師ではないと思っていたので、まるで自分だけが評価されたようで、心の中にポッと灯りがともる。

 ところで、青木先生は私を車に乗せてまで何を話すことがあるのだろう、と気になったところで、先生もちょうど言おうとしたのか、
「あの」という私の声と、「今日」という先生の声が重なった。
「あぁ、今日ね、相談したいと思ったのは」
 先生が再び口を開いた。
「はい」
「森さんのことなの」
「あぁ……」
 心にともった灯りが一瞬で消えた。なんだ、萬波のことか。私は何を期待していたんだろう。何かわからないけど、「私のこと」で話があると思い込んでいた。

「森さん、二学期入ってから休みがちでしょう。今日でもう休んで五日になる。完全に来られなくなる前に、なんとかしたくてね」
「はい……」
このあと先生が言おうとしていることがなんとなく読めてしまった。
「逢見さん、もしよかったら、朝、森さんを誘ってみてくれないかな」

 あの一学期のアメ事件から、私の絢子たちグループとの関わりはほぼなくなっていた。勇気を出して私のえん罪を晴らしてくれた萬波とは、夏休み前まで一緒に過ごしていたが、私の気分は浮かなかった。教室内での居心地が悪くて、私は五分休憩のたびにトイレへ立ち、中休みや昼休みは図書室などへ行き、教室にいる時間を努めて減らしていた。萬波を一人にしているかもしれないという申し訳なさはあったけれど、あの頃の私は、学校内で一人になれる空間を求めて彷徨っていたのだ。
 さすがにもう私たちのことを「ゾウとネズミ」と揶揄する子たちはいなかったが、正直、萬波と一緒にいることを、私はなんとなく恥ずかしいと感じるようになっていた。

 二学期に入ってから、萬波は一日休んでは来て、また一日休み、と毎日は来なくなった。そうして十月に入って、姿を見ない日が増えていった。

 一度、青木先生に頼まれたプリントを届けたところ、おばさんが出てきて、「ありがとうね」と言っただけで、萬波は出てこなかった。そして、そのまま会えないでいた。

 そんな状況だったから、青木先生に萬波のお迎えを頼まれて、私は笑顔で引き受けるしかなかった。車にまで乗せてもらって、断ることなどできなかったし、ましてや、本音を言えば、彼女が学校に来なくなってホッとしているなんて──そんな思いを絶対誰にも見破られたくなかった。


 そこまで思い出して、やはり無言電話の主は萬波である気がした。しかし、彼女は私の旭川の電話番号を知らないし、調べようもないことに気づく。まさか、恭子のように実家に電話したとか?

「はい、逢見です」
「あ、お母さん、あのさ、萬波ちゃんって覚えてる? 中三で引っ越しちゃったけど同じ団地だった……」
私の実家はそのまま同じ団地だが、萬波は中三の冬に、隣町へ引っ越したのだ。家を建てることになり引っ越すことになったと挨拶に来てくれたのが、最後だった。
「萬波ちゃん、もちろん覚えてるわよ。あんたと並んでゾウとネズミって言われてた子でしょ」
「……そういうこと言うのやめて」
「あの子、元気なの? 確か最後は学校に行けてなかったのよね」
 明らかに侮蔑のこもった口調。私は思わず息を飲んだ。それは、まぎれもなく私が今、佑香に対して感じているもどかしさや苛立ちの中にも含まれる感情だと気づいた。
「……お母さん、萬波ちゃんから電話もらったりしてないよね?」
「え? 来てないけど。どうしたの」
「ありがとう、じゃ」

 私は急いで電話を切り、長いため息をついた。母が今の佑香の状況を知ったら、何を言われるか。佑香ではなく私を責め、先ほどのような無遠慮な蔑みをぶつけてくるに違いない──

 私はこらえきれず、嗚咽を漏らした。次から次へとこみ上げてくる感情が止められない。しばらく、リビングで泣き続けた。



いいなと思ったら応援しよう!

長橋 知子 いただいたサポートは、「生きててよかった」と思えることに使わせていただきます!