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【小説】偽りなき偽善 #3

 当時からガッシリとした体型だった大樹。それを土台に肉が付いたり落ちたりを、私との交際中にも繰り返していた。確かに私の知る彼の最高体重を今は少々上回っているように見えるが、全体的な雰囲気は変わっていない。アルコールも入っていないのに、私の心拍数は徐々に上がっていった。

「ねぇ、貫禄あるって言ってくれる?」
 大樹は大真面目な低い声で言い、周りはこらえきれずに笑い出す。私はその声を聴いた瞬間、中学の廊下の風景が浮かんだ。彼の教室の前を通るとき、つい姿を探していたこと。忘れた教科書を休み時間に借りに行って周りに冷やかされたこと。記憶の底に沈んでいたものが、声だけで、いとも簡単に浮かび上がってくる。彼は三年五組の、いや、この学年の名物キャラだった。決して人気者という立ち位置ではない。今にして思えば、彼の退廃的な雰囲気の中にひっそりと仕込まれた面白さがまぶしくて、どうしようもなく惹かれたことを思い出す。
 見つめていると、大樹が私に気づいた。
「馨じゃん」
 声をかけられ、心臓が波打つ。
「大樹、元気だった……?」
 周りが私たち二人を見ている。「あの二人、付き合ってたよね?」とひそひそ話す声も聞こえてきた。そんなふうに注目されるのが、大樹は好きだったはず。そして私もそうだった。目立ちたがりの、お似合いの二人──

 そのとき、会場の照明が少し落ち、ステージ上の屏風前でマイクを持った恭子にスポットライトが当たった。

「みなさん、お待たせいたしました。ただいまより、札幌市立岩南いわなみ中学校、一九九七年度卒業生同窓会を開会いたします。本日の司会進行を務めます、元生徒会副会長の寺山恭子です。あ、会長は、ベトナムに駐在しているらしいので今日は来られませんでした」 
 会場からかすかな笑いと拍手が起こった。人数は増え、百名には達しているだろう。恭子は続ける。
「本日はお忙しい中、私たちの恩師であり、当時学年主任で、生徒会でもお世話になりました勝山等かつやまひとし先生にお越しいただいております。先生、どうぞステージへお進みください!」
 舞台袖に控えていた勝山先生がつかつかと歩き、恭子の横に並んだ。
かつてはジャージ姿で厳しく私たちを指導した勝山先生が、今は白髪が交じり、仕立てのいいスーツを着て目尻を下げているが、さすが体育教師だけあって六十には全く見えない。私も運動しなければ、とおそらく明日には忘れる決意を一瞬のうちにしていた。
「勝山先生は今年三月をもちまして、ついに定年退職を迎えられました。そこで、私たち生徒一同から、感謝の気持ちを込めて花束を贈呈したいと思います」
宏美が花束を持ってステージに上がり、勝山先生に恭しく渡すとすかさず拍手が起き、マイクを渡された勝山先生がしゃべり出した。

「いやあ、みんな、立派な大人になったなぁ。正直、受付で顔を見ても誰だかさっぱり分からんやつばかりだった。寺山、お前が教頭になったと聞いた時は我がことのように嬉しかったぞ。今日はお招きありがとうな。教師生活最後の年に、こうしてあの頃の三年生に囲まれて、俺は本当に幸せ者です。お前たちも四十歳か。人生の本番はここからだ。迷ったら、岩中のグラウンドをがむしゃらに走っていた頃を思い出せ。以上!」

 当時のままの飾らない勝山先生の挨拶にワーッと歓声と拍手が起き、隣にいた大樹が「先生お疲れ様ー!」と叫んだ。勝山先生がさも面白そうにステージから大樹に向かって指をさし、顔をくちゃくちゃにしている。
 恭子がマイクを取る。
「勝山先生、ありがとうございます。もう、ホントに全然変わってなくてびっくりですよね。私たちが岩南中学を卒業してから、早いもので二十五年が経ちました。みなさんの顔を見て懐かしさと同時に、人生の折り返し地点に来たんだと痛感しています。きっとみなさん、仕事や子育てであっという間の毎日ですよね。それぞれに、中学生の頃には想像もしていなかった現実と戦っている真っ最中だと思います。だからこそ今夜だけは、あの頃の、自由で何にでもなれると信じていた自分たちに戻って、語り合い、明日からのエネルギーにしましょう。 それでは、勝山先生のますますのご活躍と、ここにいるみなさんの健康と健闘を祈って、乾杯!」
 会場中から、乾杯!という声とともにグラスのぶつかり合う音が響いた。   

──恭子。数十年ぶりにそろうメンバーの前であれだけ堂々と自然に進行をこなせる姿に私は圧倒されていた。そして彼女の言葉が思いがけず心に響く。私は今、あの頃想像もしなかった現実と戦っている真っ最中……

 私は隣にいた大樹とグラスをぶつけた。
「大樹、今も札幌に住んでるの」
 さっき宏美に同じ質問をしたが、知りたい度合いはまるで違っていた。
「うん、そうだけど」
「そっか……家族はいるの?」
「いい質問。俺はね……バツニの独身よ」
 まるで決めゼリフのような口調に、私は彼の顔を二度見した。そして私の驚いた顔を見て満足そうに笑って、大樹は立ち去ってしまった。
 しばらく呆然と立ちすくんでいた。ブラックジョークみたいに茶化す彼のパフォーマンス。昔と変わらない、と思った。英語のテストが三十点だったとか、合唱コンクールで指揮者になれなかったとか笑いながら言うけれど、心の中で実は傷ついている。今にして思えば、プライドが高くて、自分に起きた出来事をまるで劇場の観客に見せるように披露するところが彼にはあった。放送委員長だった彼は、「自分」と「聴衆」の世界線で今も生きてるのかもしれない。それにしても、もう少し話したかったと思ったのは、私だけだったのか。
 気づけばビュッフェ料理が会場をぐるりと取り囲み、胃を刺激する匂いで充満していた。大樹は大食漢だったから、料理を取りに行ったのかもしれない。今頃、佑香たちは何を食べているだろうと思った、そのとき、
「逢見」
後ろから声をかけられて、振り返ると、飯田くんが立っていた。長身の女性と並んでいる。
「あ、飯田くん……久しぶり」
──出たな、スーパーエリート、飯田圭太郎。そう心の中で独り言ちた。ひょろっとしていた中学生の頃から比べ、彼は明らかに中年太りしていた。頭髪も後退していて、時の経過を感じざるを得ない。私は何の言葉も出ず、飯田くんと同じくらいの背丈の美女を見上げた。
「どなただったかな、こんな素敵な人、うちの中学にいたっけ……」
私が思わず声に出すと、飯田くんと美女は顔を見合わせて笑った。
「彼女、婚約者なんだ。今日一緒に行きたいって言うから、連れて行っていいかって寺山に頼んでさ」
「初めまして、千鶴ちづると言います」
 彼女は見た目よりも重厚感のある声をしていた。
「え、そうなんだ。婚約者って……飯田くんまだ結婚してなかったの。なんか意外」
言ってから失言だったかと後悔した。しかし、既婚だと思っていたことがそこまで失礼には当たらないはずだと自分の中で後悔をもみ消す。それよりも、「なんで飯田くんにこんな美女が?」と思ってしまったことの方が失礼だろう。しかし、こればかりはもみ消すことのできない正直な感想だった。
 それにしても普通、中学時代の同窓会にパートナーを連れてくるものだろうか。飯田くんもダサいし、彼女も図々しい気がした。しかし、なぜかそれが許されるオーラが隣にいる美女にはあった。

「そうなんですよ、彼がなかなか結婚してくれなくて」
 千鶴さんが困った笑顔で言う。
「嘘でしょ? こんな美人捕まえて、そんなわけ……」
そう言ってから、この話題についていちいちリアクションすべきではないと気づき、私は口をつぐんだ。そして、話題を変える。
「飯田くん、今東京に住んでるんじゃなかった? 千鶴さんもですよね?」
 二十代の頃、フェイスブックで彼からメッセージが届き、彼の就職の報告を受けたのだ。その後、互いの近況報告めいたやりとりを何往復かさせたことを、今思い出した。
「あぁ、うん。今日、この同窓会に合わせて札幌に帰ってきた。ちょうど彼女を、うちの親にも紹介するのもかねて」
「そっか、そうなんだ。おめでとうございます。それにしても、飯田くん、こんな素敵な人とどこで出会ったの?」
 千鶴を喜ばせるために言ったわけではないが、彼女はフフフと笑いながら、上目遣いで飯田くんを見た。
「あぁ、千鶴は仕事の取引先の人で、弁理士なんだ」
「べんりし……ですか」
 聞き慣れない響きに、私はオウム返しにつぶやいた。彼女はさらさらとした黒髪を揺らしながら、
「はい、飯田が開発した新薬の国際特許を特許庁に申請するのが私の仕事なんです」
 そう言って微笑んだ。私にはどんな仕事なのかさっぱりイメージが湧かない。それでも、どうやら彼女もスーパーエリートらしいということだけはなんとなく理解できた。
 私の中で、思いもよらぬ感情が生まれ、ぶつかり合っていた。
 ──飯田くんが私に夢中だったこと、千鶴さんは知らないのよね。彼女、飯田くんのことかなり好きそうだし、さらにエリート同士、最高のパートナーが見つかってよかったじゃない……
 祝福の言葉を述べようと、言葉を探せば探すほど、なぜかみじめな気持ちになっていく。私は飯田くんのことをこれっぽっちも好きじゃなかったのに、彼にフラれたような敗北感が一気に胸を駆け巡る。
 そんな身勝手な思いを振り切りたくなり、二人に「飲み物を取ってきます」と告げた。
「私は食事を取りに行くわ」千鶴がそう言うと、飯田くんはうなずき、彼女を見送った。一緒に行けばいいのに、彼はなぜか私のいる方へ向かって歩いてきた。私はギョッとして、中学時代の帰り道、私を追う彼の目が急に蘇る。そしてビール瓶を選んだ私を見て、飯田くんはグラスを三つ取り、私の耳元でそっとささやいた。
 「逢見、変わらないね。でも、あの頃にはない色気がある」
ビクッとして彼を見た。どういうつもりで――何も言えずに彼を見つめると、彼の向こう側で、料理を乗せた皿を持ってこちらを見ている千鶴が視界に入った。
「あ、私、あっちに友達いるから」
 彼らから離れなくては──気づいたら、私は会場の重い扉を開け、ホテルのロビーに出ていた。ひんやりとした静寂にホッとする。

 飯田くん。こういう言動を全く予期してなかったわけじゃなかった。だから、驚いたというより面食らった。もしかしたら、彼にもマリッジブルーというものがあるのかもしれないが、あまり深く考えたくなかった。

 受付には誰もいなかったが、同窓会の受付名簿がぽつんと残されていた。私は吸い寄せられるように歩み寄り、勝手にめくった。私のクラス、三年二組の名簿を見た。スクールカーストでトップに君臨していた笹嶋絢子ささじまあやこたちの名前を見つける。しかし、その横の欄には「不参加」の文字が並んでいた。なんだ、来ないのか──
 あの頃、教室の真ん中で「SPEED」のダンスを踊りながら、自分中心にこの世界が回っているかのような顔をしていた絢子が、今日ここにはいない。それを知って、どこかホッとするような、同時にひどくつまらないような、妙な感情が湧き上がる。同時に、ある事実に気がつく。 私には、ここへ来て「会いたかったよー!」と無条件に抱き合えるような旧友が、ただの一人もいないのだ。 もしあの頃に戻って、人生をやり直すことができたなら、そんな友人ができるだろうか。いや、たとえ中学生に戻れたとしても、私が「私」である以上、やはりそんな関係は築けなかったに違いない。

 小さく息を吐き、再び宴会場の扉を開けた。熱気とごちそうの匂いが再び私を包む。飯田くんたちに遭遇しないように気をつけながら、何か食事を……と思った次の瞬間、目の前に大柄な女性が立っていた。今度は見覚えがある。 見上げたその顔は、色が白くて、ふっくらして若々しさを感じさせた。彼女がこちらを見ている。
「馨ちゃん……? 懐かしい。何年ぶり?」
「え……萬波まなみちゃん?」

 私は言葉を失った。
 まさか、萬波が同窓会に来るとは。二十歳の成人式には来ていなかったから、会うのは中学の卒業式以来? いや、萬波は卒業式は欠席していたのではなかったか。

 彼女が来るとわかっていたら、私は今日来なかったかもしれない。もしも、私の半生を描いた朝の連続テレビ小説があったなら、その前半部において「もっとも会いたくない人」として刻まれているのが、目の前にいるこの森萬波だった。


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