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【小説】偽りなき偽善 #12

「はい……もしもし」

 もうそろそろ夕飯の支度をしなければいけない。だけど、今日こそ電話の主の手がかりを掴みたかった。
 考えてみれば、私の現在の住まいを知っているのは恭子だけだ。彼女は先日の同窓会の幹事であり、招待状送付のために、私の旭川の住所と、記憶違いでなければ、私の携帯番号を入手している。わざわざ私の実家にまで電話をして。
 だけど、携帯電話がわかっているなら、どうして携帯電話にかけてこないのだろう。わざわざ家の電話にかけてくる意味とは? 固定電話の番号を知るためには、住所をもとに「一〇四」に問い合わせる必要もある。
 現役の教頭先生である恭子が、そんなことをするだろうか。そんな時間があるとも思えない。それに、仮にどんなに私を憎んでいたとしても、そんな人間には思えなかった。彼女にとってリスクだってある。

「………」

 相手は何も言わずにこちらが何かを言うのを待っている様子だ。私は一か八かの賭けに出ることにした。もしも電話の相手が恭子なら、慌ててすぐ切るに違いない──

「もしかして、中学校の教頭先生ですか?」

「………」

 ハズレだ。やはり恭子ではない。こんなことをする人ではないという信頼感が、恭子には人一倍あるのに、私は恭子を疑ってしまった。
 ため息をつくと、電話は切れた。


 私は、受話器を持ったまま、「この電話が大樹からだったらよかったのに」という願望の霧のなかに立っていた。「何十年経ってもお前のことが忘れられない」と言われたい。そんな絶対に人には言えない愚かな望みが、こってりしたスープのように腹の底でグツグツと煮えたぎっていた。普段は頑丈に蓋をしているが、なぜだろう。今は蓋がはずれてしまい、もうもうと湯気まで立っている。
 大樹はバツ二の独身だと言っていた。なんの仕事をしているか知らないが、無言電話をかける時間くらいはあるのでは。とはいえ、彼のことだから、きっと彼女くらいいるだろう。自意識過剰のパフォーマーゆえ、自分を魅力的に見せるのが抜群に上手い彼。だからモテていたのだ。中学生のときは、ただただ「魅力的な男の子」でしかなかったが、今思えば、ナルシストな演出家だった。私への本のプレゼントも、今ならそう思える。

 それにしても、同窓会のあの日、彼ともう少し話したかったのに、乾杯をしただけで終わってしまったのは無念だった。萬波と鉢合わせなければ、彼を探すつもりだった。彼も私と話したいと思わなかったのだろうか。大人になった今、終わった恋を振り返り、二人で感傷に浸りたい。
 もしかしたら彼は、私の左手の薬指を見て、遠慮したのではないか。私から連絡してみることはできないか。
 ふと思い立ち、スマホのアプリ「フェイスブック」をタップし、「松岡大樹」と検索した。同姓同名の人物が画面に数名並び、そして、おそらく十年以上は前と思われる彼の顔を発見した。
 投稿には鍵がかかっていて見ることが出来ず、ときどき変更しているプロフィール画像だけが、「友達」ではない私でも見ることができた。キャンプでもした時のものか、海をバックにスイカ割りをしている写真、海鮮丼と写るアップの写真、居酒屋らしき場所で、ジョッキを持って視線を外し変顔をしている写真。そのどれもが彼らしい気もしたし、私の知らない彼にも思えた。
 懐かしい気持ちを抑えきれず、私は大樹のアカウントページの画面右上にある「メッセージボタン」を押し、メッセージを送った。

大樹、こないだは久しぶりに会えて嬉しかったです。
だけど全然話せなくて残念。
もう少し話したかったな。

 その日、二十二時過ぎ、風呂上がりに何気なくスマホを見ると、大樹からのメッセージが届いていた。

別に話してもいいけど。
今電話していい?この画面の通話ボタンから。

 「え……」
 まるで中三の頃に戻ったように胸が高鳴る。私は「オッケー」とだけ返信し、自室のドアを閉めた。夫はまだ帰宅していない。部屋にこもっていれば、もう寝たと思うだろう。

 フェイスブックのメッセージページに電話機能があることなど知らなかった。かつては、家の電話で相手の親が受話器を取るハードルを乗り越えながらかけ合ったものだが、今は本当に便利な時代になった。その分、見えないものも多くなって、親の立場では不安も増えたが。
 たちまち大樹から電話がかかってきた。すぐに出れば待ちわびていたようで恥ずかしい。私は十秒ほど待って出た。

「もしもし」
「お前、今絶対わざと遅れて出たろ」
「……バレた?」
 そうか、私の考えなんて、彼には全部お見通しなのだ。だけどなんだかそれが妙に心地よい。かつての彼への想いが簡単に蘇る。何を話そうか、思いあぐねていると、大樹が沈黙を破った。

「最近仕事変えたんだけどさ、もうなんか疲れちゃうよね」
「あ、そうなんだ。どんな仕事してるの?」
「ずっとプログラマ―やってたんだけど、なんかつまんなくなっちゃって。オファーあったマーケティング会社に転職したんだけど、全然上司と合わなくてさ」
「そう……なんだ」
 なんだろう。彼の話に何も心が動かない。こんな話をするつもりだったんだっけ。彼とは何を話しても楽しかった記憶があるが、それは恋人同士のなせる業だったのか。それとも、大人になったらこんなものなのか。
「あーあ。飯田もお前のこと思い出したりしてんのかな」
「えっ、飯田くん? ……こないだ同窓会で会ったけど」
「アイツさぁ、なんか変な女連れてなかった? 誰あれ」
「変な女って……婚約者だって」
「えっ、キモいキモいキモい。普通連れてこないっしょ」
「まぁ、それはそうかもしれないけど、二人で東京から来てたみたいだし、一人にできなかったんじゃない」
「ふーん。俺もさ、今でも言い寄られることは言い寄られるんだけど、なかなか続かないよねぇ」
「……そう」
 急に自分の異性関係の話? 反応に困った。
──つまらない。それになんだろう? 大樹は私のことを何一つ聞いてこない。そのことに違和感を抱く。彼は私が今どこに住んでいるかも知らない。もっと思い出話をしながら、過去の後悔とか、お互いの成長とか、そういう話がしたかったのだが──

「ねぇ、お前もしかして、俺のことまだ好きなの?」
「えっ?」
さすがにそれはどうなの、と言おうとしたそのとき、
「でもさ、お前のあの匂いまで愛したのは俺だけだっただろ?」
 悟ったような、言い含めるような物言い。
「……待って、なんでそんなこと言うの」
 動揺していた。まさか十代の頃の悩みを、心も体も委ねたあの時の情熱を、今ここで面白おかしく蒸し返されるとは思ってもみなかった。

「だけどさ、これをお前に言えるのは、俺だけだろ?」
「……さよなら」
 強い拒絶感が襲う。思わず、通話を切っていた。そのまま彼のアカウントごと、ブロックした。
 一気に夢から醒めた。

 確信した。大樹が私の番号を調べて無言電話をしてくることなど、百パーセントないと。彼はそもそも「他人」に興味などないのだ。彼が興味あるのは「自分の舞台がどう見られている」だけだ。

 そうだ。大樹は、「自分の舞台を熱狂して観てくれる観客」を求めていただけだった。そういう人を見つけて手繰り寄せるけれど、その相手の前での芝居に飽きたり、相手が自分の芝居を喜ばなくなったら、途端に醒める。
 そんなたとえ話が、今日、よりしっくり来た。十五歳のあの日、スポットライトを浴びてから、彼の過剰な自意識とナルシシズムは、次の舞台を求めて彷徨い続けてきたのだ。そして四十歳の今、さびれた劇場へとたどり着いてしまった。だからもうあんな芝居しかできない。

 こうして、私の十代の大切にしまっていた恋物語は余韻ごと、霧散して消えた。

 無言電話は、やっぱり、誰でもない変質者かもしれない。
 私は虚空を見つめ、疑ってしまったかつての同級生たちの顔を次々と思い浮かべていた。



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