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【小説】偽りなき偽善 #1

佑香ゆうか、お母さん、札幌行ってくるからね。帰りは遅くなるけど、お父さんと美味しいもの食べてきてね」

 私は娘の部屋の外からそう声をかけた。返事はなく、そのかわりにカタンと音がした。私はハンドバッグをそっと開け、中に入れたハガキをそっと見る。ついに今日なのだ。自分でも戸惑うほど、高鳴る胸をどうにか抑えようと必死だった。一人娘がここ一ヶ月ほど学校を休んでいることに、この胸は締め付けられているというのに。

 日中は汗ばむ日もあるが、朝夕はまだまだ冷え込む旭川の六月。部屋の隅のストーブにカバーをかけるのは、あと一週間は先になりそうだ。札幌で生まれ育った私でさえ、この街のしつこい寒さにはいまだに慣れない。

 佑香が中学二年になり、朱里あかりちゃんとクラスが分かれたと聞いたときは、ついに離れてしまった、と不安を覚えた。休み時間に朱里ちゃんが遊びに来てくれるから寂しくない、と佑香が言うのでホッとしたのもつかの間、五月半ばを過ぎた頃から、帰宅するなり「ただいま」も言わずに、自室へ直行するようになった。何も教えてくれない娘が心配でたまらず、その翌週には担任の先生に連絡し、放課後に相談へ行った。
塩沼しおぬまさん、休み時間は一人でいることが多いですね。本を読んだり、窓の外を眺めたりと、自分の世界を大切にできる子なんだな、素敵だな、と思っていたんです」
 若い女性教諭からそんなズレた報告を受け、私は怒りにも似た焦燥感を抱いた。帰宅後どっかりとソファに倒れこむ。気持ちを落ち着けなければと、テレビをつけ、刑事ドラマの再放送をぼんやりと眺めた。
 ふと、夕方になっても二階から降りてこない佑香が気になり、私は部屋の前まで行き声をかけた。
「佑香、塾の準備してる? 先週も一日休んだじゃない?」
 佑香は火、木、土曜日の週三日、学習塾へ通っている。中学一年の夏期講習から通い始め、風邪以外で休んだことはなかった。私は責める口調にならないよう気を付けながら声をかけた。
「……ちょっと頭が痛くて。ごめんなさい」
「わかった。お休みの連絡入れとく」
 ため息をつきそうになるのをグッと飲み込み、階下へ降りながら私は佑香の友達の朱里ちゃんの顔を思い浮かべる。小学三年生からずっと同じクラスの仲良しの子。塾も一緒に通っているので、娘を誘いに来てくれたりしないだろうか、と期待してしまう。そんな自分と、インターフォンが朱里ちゃんに鳴らされることのない現実に、私は思わず深いため息をついた。

 その翌週から、佑香は塾も学校へも行かなくなってしまった。

 一日のほとんどを彼女は自室で過ごすが、昼食の時間になると下りてきた。テレビをぼんやり眺めながら、私が用意するのを待っている。最初は仕方ないと思っていたが、一週、二週と続くうちに、娘の態度を見過ごせなくなった。
「佑香さ、昼ごはんを用意してもらうの、当たり前だと思ってる?」
 いくら専業主婦とはいえ、今までは作らずに済んでいた昼食を、わざわざ用意しなくてはいけなくないのはストレスだ。きつく言うまいと思いつつ、私は佑香に詰め寄った。
「私、用意してなんて一言も言ってない。残りものがあれば自分で食べるし」
 言い返してくる佑香に余計苛立つ。
「そんな都合よく残りものなんてないわ。私だって毎日、お茶漬けとかふりかけご飯くらいしか食べてなかったの」
「あっそう、わかった」
 言い過ぎたと思ったが、母親だって人間だ。すべてを受け止めることなどできない。
 それからというもの、少食な佑香は、朝ごはんを多めに食べて、夕飯の時間まで部屋にこもるようになった。失敗した、と思った。

「佑香、お母さんとちょっとイオンでも行かない?本屋にも寄ろうよ」
「いい、お母さんだけ行って」
 娘との関わり方がわからなくなっていた。最後に一緒に笑ったのはいつだっただろう。佑香は小さな頃から感情表現が得意ではない。夫の真司に似たと思う。それでも、今までは一人っ子ゆえ友達のような母娘関係で楽しくやってきたのに。

 「あの子と、どう関わっていいかわからない」
ある週末、こらえきれずに真司に吐露した。昨年管理職になった彼とは、平日はほとんど話す時間がない。
「別に、そっとしといたらいいんじゃないの」
 真司はスマホを覗き込んだまま言った。
 人への関心が異様に低い人。結婚前からわかっていた気もするが、その傾向を妻や娘に対しても適用するとは思っていなかった。それでも、娘の不登校が長期化するとなると、さすがに焦り、何らかの対応を考えてくれるのではないかと期待したのだ。しかし、まるで真司は、この家の「機能」として存在しているかのようだった。この家の経済の柱としての機能。そこに温度は宿らない。私は少しずつ少しずつ、夫婦や家族の理想像を手放してきたが、この日もまた一つ、何かを捨てた気がした。

 私は、この一ヶ月で一・五キロ減った。それはそうだろう。一人娘が人間関係で悩んでいるかもしれない中、心身に不調を感じない母親がどこにいるだろう。気兼ねなくこの悩みを吐露できるほど親しいママ友や友人はおらず、私はひたすら不登校に関する書籍や、ブログを読み漁った。
「心の充電中、そっと寄り添って」
「家の居心地が良いってこと。お母さんは自信をもって」
「否定も肯定もせず、ただそこにいるお子さんの存在を認めて」
──救われるようでいて何の解決にもならない言葉たちを必死に飲み込んでみてわかったことは、正解などないのかもしれない、ということだった。それでも、「母親の気の持ちよう」を探したかった。「娘の将来が真っ暗ではないこと」をなんとか信じたかった。そうでもしなければ、朝起きることすらままならない。夜になると不安に襲われ、朝方数時間だけ眠れる、という日が続いた。

 金曜日の夜遅く帰宅した真司が、こともなげに声をかけてきた。
「明日、札幌で同窓会じゃなかった?」
「……それどころじゃないし、キャンセルするわ」
 私は顔も見ずに答えた。
「え、行ってきたら。佑香とは外食するよ」
 思ってもみない夫の言葉だった。心がふわっと浮き立つ。しかしすぐに「そのくらいで良い夫面したつもりか」と内心冷ややかに毒づいた。

 洗濯機の前で、四歳年上の彼の加齢臭がほのかに匂うワイシャツの襟元を見つめながら、思い返していた。札幌から旭川に移り住んだのは、佑香が一歳になってすぐのことだった。
「あのさ。実は旭川市役所を受けて受かって」
「えっ、旭川市役所? いつのまに受けてたのよ」
 寝つきも目覚めも良くない佑香が一歳になって、やっと私も少しだけまとまって眠れるようになった頃のこと。夫が何の相談もなく転居を伴う転職活動をしていたことを知り、真っ先に出てきた感情は怒りだった。
「受かってからじゃないと言いたくなくて。ごめん。それに、おふくろが子育てを手伝いたいって言ってる」
「手伝いたいって……」
 普通に聞けばありがたい言葉なんだろう。しかし、つい先日のお義父さんの一周忌を終えたばかりで、お義母さんがますます元気がないのが気になっていたのだ。お義母さんのことが心配だから帰りたいって言えばいいのに──

 ちょっと考えさせて、と言ってはみたが、夫の市役所への転職に反対することが妻として賢いとは思えなかった。最近の真司は残業が当たり前で、土日に急に駆り出されることも多い。市役所ならそんな生活とさよならできるだろう。

 私の地元は、「札幌芸術の森」にほど近い藻岩山の裾野にあり、冬になれば激しい地吹雪で視界が真っ白に染まるような場所。私は短大卒業後にそのまま地元の印刷会社に就職し、そこで真司と出会った。誰とも親しくせず、周りの空気を読まずに早く帰る彼をカッコいいと思ってしまったのが運の尽きだ。職場結婚に寛容な会社ではなかったので、私は早々に退職し、そしてすぐに佑香を授かった。

 旭川に越した後、落ち着いたら佑香を保育園に預けて働きたいと思っていた。ずっと佑香と二人きりで過ごす時間がどうにも心もとなく、若いうちに少しでも貯金をしておきたかった。しかし、子育てしながら働きたいと思えるほどの求人は見つけられなかった。十六時に終わるパートを探すも、そのどれもが手取り十万ちょっとで、保育園代に半分以上取られる。手元に残るわずかな金額と、子育てと仕事の同時進行による疲労感を天秤にかけてみて、数万円のために働こうとは思えなかった。何より転職によって真司の収入が増えたことが、私の働くモチベーションにエンジンをかけなかった。そうして専業主婦のまま来てしまった。そうするしかなかったような、だけどもう少し頑張れたような、うっすらとした後悔が、私の中にずっとある。

 そんな私の元に母校の中学校から同窓会の招待ハガキが届いたのは二ヶ月前のこと。中学時代の集まりは、私にとっては二十歳の成人式のあとの飲み会以来だった。そのときはただ集まったメンバーで近所の居酒屋に流れ込んだだけだったが、あれから二十年。わざわざハガキまで送られてくるとは何事だろうと驚いたが、すぐに謎が解けた。生徒会の顧問であり、私たちの学年主任でもあった勝山先生が定年を迎えられること、そして我々の四十歳という節目。ハガキには、その二つが重なるこのタイミングで集まりたい、という趣旨が書かれていた。そして生徒会の副会長で、ムードメーカーだった寺山恭子てらやまきょうこの名前が幹事として載っていたことに納得と安心感を抱く。ただ、同時に胸に鈍い痛みを感じた。

──恭子、私のことは恨んでいないだろうか。
 旭川の住所をどうやって調べたのか。中学時代の誰とも繋がっていないはずの私は不思議に思い、札幌の実家へ電話を入れた。愚痴っぽい母親の声を聴くのは億劫だったが、用事には代えられない。
「そうそう、恭子ちゃん! 久しぶりに電話くれたのよ。でもそっちの住所とあんたの携帯番号を教えたらすぐに切っちゃったわよ」
 母の口調からはやはり不満気な雰囲気が漂う。うんざりした。この人は死ぬまでこうなんだろう。母が恭子に嫌な思いをさせなかったかと一瞬気になったが、幹事として、何百人もの同級生に次々と連絡をしている彼女だ。いちいち気にしてはいないだろう。
 恭子は明るい子だった。一番親しかった小学五年生の頃の、あの無邪気な笑顔を思い出す。小学校の卒業アルバムに載っていた実家の電話番号を見て、かけてくれたのだろうか。住所や電話番号が当たり前に載っていた、LINEもSNSもないあの頃の。

 招待ハガキを受け取ったときは、ただ当日が来るのを楽しみにしていたのに。佑香のことがあってからの私は、すっかり別世界へ来てしまったようだった。 でも、だからこそ、中学時代の自分にタイムトラベルしたくなったのかもしれない。そう自分に言い聞かせるように、私は旭川駅の券売機で切符を買い、札幌へ向かう緑色の美しい特急ライラックに乗り込んだ。
 だけど、こんな状況で行くべきではなかったのだ。


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