短編小説 トーマ #一枚の写真から文芸賞
不思議な夢をみた。アンナは窓辺に立つとこめかみを軽く揉んだ。ブラッドオレンジのジュースを一口ゴクリと飲むと昨夜の夢の内容を整理してみる。
離婚した母親が、一人暮らしのアンナの家に恋人を連れてきたのだ。その恋人には連れ子がいてその子供がアンナの初恋の人にそっくりという内容だった。しかも夢の中の自分は現実と同様に20歳をとうに過ぎているのにも関わらず、その小学生の子供に恋をしてしまうのである。いや、本当に瓜二つの子供だった。まつげが長く顔に影を作り出している所まで、そんな細部に至るまで本当にそっくりな子供だった。アンナの中では初恋の人は中学生の姿のままで止まっている。そこでアンナの転校があり、2人は別れ別れになってしまったからである。
ふいに母親の声が聞きたくなったアンナは連絡を取ってみることにした。父と離婚した後一人で暮らしている母親を心配しなかった日はなかったのだが、こうして実際に連絡を取ることは随分久しぶりのことだった。呼び出し音が何回か鳴り、母親が出た。
「ああ、アンナお久しぶり?元気にしてる?」
「お母さんこそこの暑さにやられてない?」
「そうだねぇ。毎日暑くてやんなるねぇ」
「私さ、昨日不思議な夢をみたんだ。その夢にはね
、私の初恋の男の子が出てくるんだけどね」
「あんたが小学生の頃好きだと言っていた男の子のこと?」
「覚えてるの?」
「うん。だってあんたバレンタインにチョコレート渡してたじゃない。そのチョコ作り母さんも手伝ったじゃない」
「そうだっけ」
「名前は何だったっけ?」
「トーマ」
「そうそう。トーマくんだ」
「変なこときくんだけど母さんて最近もしかしていい人できた?」
「うん。実をいうとできた。同じ職場の人なんだけどね。今度会えた時にあんたにも紹介するね。でも何で分かった?」
「えっと。女の直感というか。そういうことがあってもいいんじゃないかなぁと」
「ふふ。あんたも頑張りなさいよ」
そこで母親との会話は終了となった。トーマのことを母親が覚えていたことに驚き、チョコレートは結局渡せなかったんだよとアンナは小さく呟いた。
窓の外を眺めると青空がぽっかりと広がっている。今から買い物に出かけようか、ジムに出かけようかと悩んでいるうちに母親から電話がきた。
「ああアンナ。さっきのトーマくんのことだけどね。思い出したことがあるの。彼ね、ほらあのアンナたちが通っていた小学校の近くに廃屋があったろう。立ち入り禁止になっていた。あの家の前でね、母さん何度かあの子を見かけたことがあるの。一度ね声をかけたことがあったんだけど、驚いて走って行ってしまったことがあってね。あれは何だったんだろうねぇ。それだけ」
そこでまたもや会話は終了となった。私はまたまたこめかみを軽く揉むとベッドにうつぶせになった。廃屋のことは覚えている。アンナがその土地を離れた後あそこで幼女の誘拐事件があったのだ。幸い女の子は一命を取り留め犯人も捕まり、あの廃屋はすぐに取り壊されることとなった。犯人は身代金目的ではなく、ただ単に幼女愛好の気持ちが強く、小さくて可愛い女の子と共に暮らしたかったのだと供述したそうである。
小さい女の子、小さいトーマ。私の記憶の中では一生成長しない男の子。トーマはあの廃屋に出入りしていたのだろうか。少年にとっては冒険心をくすぐる場所であったことには違いない。ノスタルジーといえばきこえはいいが、初恋の記憶がこんな気持ちの悪い形で夢に現れてくるなんてどうかしているとアンナは思った。
母親の恋人に連れ子がいて、その子がどうかトーマに似ていませんようにと願わずにはいられないアンナであった。
了 1502文字
花澤薫様主催「一枚の写真から文芸賞」に参加しています。
