世界平和って、もっと小さいところにあるのかもしれない
「世界平和は家庭から始まる」
よく聞く言葉だけど、正直なところ、どこか現実感がなかった。
国と国の問題と、自分の家庭のことは、あまりにもスケールが違う気がしていたからだ。
すれ違いは、どうやって起きるのか
先日、夫婦でうまくいかない時間があった。
すぐに解決しようとするのをやめて、あえて少し距離を置いてみた。
直接の会話は減らして、やり取りは主にLINEだけにした。
子どもを間に挟んで意思疎通する場面もあって、今思えば負担をかけてしまった部分もあると思う。
それでも、その時間の中で気づいたことがあった。
自分は「正しいこと」を伝えようとしていたつもりだった。
でも振り返ると、それは対話というより、“相手を納得させようとする行為”に近かったのかもしれない。
正しさだけでは、届かないことがある
人は、正しいことだけで動くわけではない。
疲れているときや、余裕がないとき、心が閉じているとき。
そういう状態では、どれだけ筋の通った言葉でも、うまく届かないことがある。
一方で、同じような内容でも、タイミングや状態が合っていると、驚くほど自然に受け取ってもらえることもある。
問題は「何を言うか」だけではなくて、
いつ言うのか
どんな状態で言うのか
相手がどんな状態なのか
そのあたりが揃って、ようやく対話になるのかもしれない。
歴史の中でも、似たようなことが起きている
江戸時代の後期に生まれたという思想がある。
日本の歴史を見直す中で、「天皇が正統である」という考え方が強まっていった。
その流れはやがて「尊王攘夷」という形になり、多くの人を動かす力になっていく。
ただ、その“正しさ”が、結果として対立を生んだ側面もあったように思う。
立場が違えば、守ろうとしているものも違う。
それぞれに理由があって、それぞれに正しさがある。
そう考えると、「正しさ」というものの扱い方は、思っている以上に難しいのかもしれない。
今の社会にも、同じ構造があるように見える
これは昔の話に限らない気がしている。
SNSを見ていると、いろいろな意見があって、それぞれに納得できる部分もある。
ただ、その正しさ同士がぶつかってしまって、かえって距離が広がっているように感じる場面もある。
家庭の中でも、似たようなことが起きる。
正しいことを言っているはずなのに、関係がぎくしゃくしてしまう。
それは「正しさ」そのものというよりも、その伝え方やタイミングの問題なのかもしれない。
世界平和を、もう少し身近に考えてみる
「世界平和」という言葉は、どうしても大きくて遠い。
でも、もし分解して考えるとしたら、どうだろう。
人と人のすれ違いが積み重なった先に、大きな対立があると考えることもできる。
そうすると、世界平和の一番小さい単位は、
目の前の一人との関係なのかもしれない。
そしてその中で起きているのは、とてもシンプルで、
「うまく伝わらないこと」や「タイミングのズレ」だったりする。
今の自分なりの結論
正しさは大切だと思う。
でも、それだけではうまくいかない場面があることも感じている。
相手の状態を見ることや、自分の余裕を整えること。
ぶつけるのではなく、はなれるのでもなく、向き合おうとすること。
そういう一つ一つが、関係を少しずつ変えていくのかもしれない。
そして、その積み重ねが、もう少し大きな範囲にも影響していくのかもしれない。
まだうまく言葉にできていない部分もあるけれど、
少なくとも今は、
目の前の一人とどう関わるかを、丁寧に考えていきたい。
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