自分の創作小説、たぶん展開を急ぎすぎているという反省
最近、自分の小説を読み返していて思った。
たぶん、自分は展開を急ぎすぎている。
設定とかテーマとか伏線とか人物の動きとか
そういう気持ちが強すぎて、読者が“その場にいる時間”を置き去りにしていた気がする。
物語を進めたほうがいいと思うけど
最近、自分が本当に好きなのって、“何も起きてない時間”なんじゃないかと思い始めた。
窓から見える夕陽。
歩道橋の風。
通知を開くか迷ってる数秒。
自販機の前で飲み物を悩む時間。
そういう、人生の隙間みたいな瞬間とか空気
昔の自分は、そこを飛ばしていた。
「読者を退屈させちゃいけない」
みたいな意識があったのかもしれない。
でも最近は逆に、“空気に滞在できる作品”に惹かれる。
会話とか事件とか設定説明がなくてもいい。
ただ、
コンビニ袋を机に置いたまま動けないとか、ぬるくなったカフェオレをなんとなく飲んでるとか、そういう“生活の途中感”がある文章を読みたくなる。
たぶん、自分が書きたいのもそっち
しかも、自分の好きな作品って、だいたい少し壊れている。
普通に喋ってるのに、どこかズレてる。
社会不安とか孤独とか疲労が背景にあるのに、会話は妙に生活感がある。
腹減ったとか、眠いとか、コンビニ寄るとか、そういう話を普通にしてる。
でも、その奥に何か滲んでる。
最近ようやく、自分が書きたい空気もそこなんだとわかってきた。
だから今は、“感情”を説明するより、“生活”を書きたい。
孤独だった、ではなく、
通知だけ光ってる部屋とか。
疲れていた、ではなく、
コンビニの袋を床に置いたまま三十分座ってる感じとか。
そういうもので感情を滲ませたい。
あと、自分は少し“綺麗に書こう”としすぎていた気もする。
ネオン。
夜景。
孤独。
青白い光。
もちろんそういう空気は好きだ。
でも、自分の理想って“映える鬱”ではない。
むしろ、
「綺麗な景色なのに、生活がちょっと終わりかけてる」みたいな空気
そういう生活ノイズがあるから、人間っぽくなる。
たぶん、自分は“完璧な創作者”を書きたいわけじゃない。
夜11時にコンビニ帰りで、社会についてぼんやり考えてる少し変な人を書きたい。
だから最近は、小説でも少し立ち止まってみようと思ってる。
展開を進める前に、その場所の空気を吸う。
何も起きてない時間を書く。
人生って、たぶんそっちの時間の方が長いから。
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