メビウスの輪|5つの恋のエピローグ⑤
カフェ・フルエンタラのカウンター席。令子は空のコーヒーカップを見つめていた。
失恋の痛手から立ち直れないまま、もう何日経っただろう。外資系企業の営業で受注を逃した悔しさも重なって、今日のコーヒーはいつもより苦い気がした。
隣の席に座る男性が、マスターに話しかけるのが聞こえた。
「マスター、メビウスの輪って知ってる?」
「こういうやつですね」
そう言うと、マスターは手早くメモ用紙を切り取り、端をひとひねりして輪にしてみせた。
令子は思う。このマスターは不思議な人だ。仕事をさぼっているわけではないのに、ちゃんとお客の話し相手になってくれる。でも自分からは決して余計な話はしない。もう一杯飲みたいなと思っているときには、さりげなくコーヒーを注いでくれる。もういらないと思っているときには、注ぎにこない。
(タケシもそういう人だったら良かったのに)
年相応にいくつかの恋愛も経験してきた。でもいつもうまくいかない。
メビウスの輪のように、いつも堂々巡り。そして、どこかでねじれている。英会話もそう。それなりに一生懸命やっているのに、肝心な時に言葉が出てこない。
「そうそう、それ、不思議だよね」
男性は続けて、不思議談義の独演会を始めた。少し離れたテーブルでは、サラリーマンが二人、ボソボソと話をしている。
やがて少し眉をひそめた令子を見やって、マスターは「これも不思議ですよね」と言ってペンを持つと、メビウスの輪に沿って器用に直線を引いていく。
「へーっ」
感心する男性。傍らの令子も見つめている。
ぐるりと線を引き終わると、マスターは輪を切り離し、開いて見せた。長方形には一本の線が引かれている。見つめる二人の前で、マスターは紙をひっくり返して見せた。裏側にもまっすぐな線。
ひとしきり感心した後、男性は静かになった。
「一本の線なんですよ」
静かに呟きながら、マスターが自分にウィンクしたように令子には思えた。
堂々巡りに思えても、そうじゃない。自分が気づかないだけで道は続いている。しかもまっすぐに。
さきほどの二人のサラリーマンが店を後にする。それに合わせたかのように、令子はバッグから手帳を取り出した。
マスターは何も言わず、ただ静かに令子の前に新しいコーヒーを置いた。
令子が帰った後、窓辺に置かれたメビウスの輪を午後の光が優しく照らしていた。
今回は「カフェ・フルエンタラ」シリーズのクロスオーバーとして未発表作品を紹介してみました。よろしければ、こちらのシリーズもお楽しみください。
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