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36.5度の時間

気温36.5度。体温とほぼ同じ温度の空気が、肌にまとわりつく。いつもなら十分で歩ける道が、今日は十五分かかった。暑さが時間までだらけさせているようだ。

コンビニに入ると、冷蔵コーナーの前に人だかりができている。みんな、冷たい飲み物を選ぶのに真剣だ。普段なら三十秒で決まることに、今日は五分かける。

暑さは人を平等にする。歩いている人は皆、日陰を求めて同じ側の歩道を歩く。高級車も軽自動車も、エアコンという同じ機能に頼る。汗をかくのに、身分の違いはない。

子どもの頃の夏休みを思い出す。あの頃も、確かにこんな暑い日があった。でも当時は、暑さすら遊びの一部だった。水遊び、かき氷、夕涼み。全部合わせて夏だった。今は違う。暑さは耐え抜くもの、あるいは乗り越えるべき障害になったようだ。

けれど今でも、暑さが運んでくるものは不快感だけではない。連日の暑さの中で、出会った人たちを思い返してみる。カフェでの出会い、八百屋のおじさんの麦茶、母親同士の助け合い。暑さは人と人との距離を縮める何かを運んで来てくれる。

「暑いですね」
この挨拶から始まる会話には、特別な親近感がある。共通の敵を前にした連帯感と呼んでも良いかもしれない。

夕方、少し気温が下がると、街に活気が戻ってくる。人々の足取りが軽やかになり、表情も和らぐ。36.5度という数字は、人間にとっての境界線なのかもしれない。体温を超える温度の中で、私たちは普段とは違う自分になる。より謙虚に、より優しく、より人間らしく。

明日もまた、36度を越える予報だ。でも、少しだけ楽しみな気持ちもある。暑さが教えてくれることが、まだありそうだから。





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