フジロックでマッシブ・アタックは何を批判していたのか
フジロック2026最終日のヘッドライナー、マッシブ・アタック。
そのステージでは、戦場の映像や政治家たちの顔、フェイクニュースの断片が巨大なスクリーンに次々と映し出されました。
さらに、観客の顔を捉えた監視システムを思わせる演出もあり、当然そこには戦争や監視技術への強い批判があります。
ただ、ステージの最後に掲げられたのは意外な言葉でした。
「自分の感情や思考は、本当に自分のものなんだろうか?」
前提として、ステージを見て何を感じるか、何を持ち帰るかは人それぞれですし、正解があるものでもありません。
その上で僕が感じたのは、彼らが批判していたのは戦争や監視技術だけではなく「人の感情や行動を、データと技術によって外から動かせる社会」だったんじゃないか、ということです。
単に戦争反対だけなら「自分の感情や思考は、本当に自分のものなんだろうか?」というメッセージはなくても成立します。
それでも、わざわざこれだけの演出の最後に置いたなら、ステージの補足というより主題として捉えたほうが筋が通ります。
ただ、このメッセージと、戦争や監視技術への批判のあいだには少し距離があるんですよね。
そこで、ピーター・ティールの思想を追うことで、メッセージの意味を考えてみたいと思います。
ピーター・ティールはPayPalの共同創業者で、現在はパランティアという企業の会長を務めています。映像の中で、批判の対象として登場した企業ですね。
彼が学生時代に強い影響を受けたのが、フランスの思想家ルネ・ジラールの「模倣の欲望」という考え方です。
これは、人は自分が欲しいから何かを欲しがるのではなく、誰かが欲しがっているのを見ることで、自分も欲しくなるという理論です。ティール自身も、この人間観を思想の中核に置いています。
そんなティールの有名な主張に、「競争は敗者がするものだ」というものがあります。
欲望が模倣から生まれるのであれば、本人は自由に選んでいるつもりでも、実際には周りの人が欲しがっているものを自分も欲しがっているだけかもしれない。
例えば、偏差値の高い大学を出て外資系金融を目指す。でも、それはみんなが「これが成功者のルートの一つだ」と考えているからだ、みたいな論ですね。
なので、競争するのではなく誰もやっていないことをやり、それを独占しろ。これが彼のビジネス理論の中核です。
それを書いたのが『ゼロ・トゥ・ワン』というビジネス書で、根底にあるのは「模倣する群衆から離れよう」という思想なんですね。
このころの彼は、リバタリアン、いわゆる自由主義者としての側面がかなり強いように思います。
個人の自由や自己決定権を最大限に尊重し、国家や政府の介入は最小限に抑えるべきだ、という思想の極端な側に立っている人です。
その思想は、やがて民主主義にも疑いの目を向けます。
民主主義の実用的な手段として多数決がありますが、多数の人によって物事を決めると、みんなが安心できる前例や規制ばかりが選ばれる。結果、未来を作るための大胆な技術が止められてしまう。
そう考えたピーター・ティールは、インターネット空間や宇宙など、国家や民主主義の外側に自由な場所を作ろうと考えるようになっていく。
ただ、問題が出てきます。こうした大きな技術を動かそうとすると、国家の予算や安全保障と切り離せなくなってくるわけです。
そこで、国家の外ではなく、自分たちの技術によって国家を強くする側へと回っていく。その中心にある企業がパランティアです。
パランティアが何をやっているかというと、組織の中に散らばっている大量のデータをつないで、現実の判断に使えるようにするソフトウェアを提供しています。
すごく雑に説明すると、病院で使えば、悪化しそうな患者を早く見つけて手当てできる。戦場で使えば、誰がどこにいるのかを推定し、攻撃対象を決めやすくすることもできる。そういう技術ですね。
もともとリバタリアンとして、小さな政府を志向していたと考えられるティールが、なぜ軍事と安全保障に強い国家を作る側へ回ったのか。これは議論の分かれるところだと思います。
ただ、ティール自身の思想をたどると「模倣による競争と対立をどう避けるか」という点では、一つの筋が通っているんですよね。
ティールの考えでは、人が同じものを模倣して欲しがれば、限られた資源をめぐって競争が起きる。その競争が激しくなれば、やがて対立や暴力に向かう。
だから、既存のものを奪い合うのではなく、技術革新によって新しい豊かさを作らなければならない。
ただ、民主主義的な合意形成や規制に任せていては速度が遅すぎる。技術を持つ少数が政府と組み、自分たちが正しいと考える未来へ進む速度を上げる必要がある。
というのが、思考の流れとしてあり、最近話題の「テック右派」を形作る思想のひとつにもなっているように思います。
そう考えると、パランティアは彼にとって、管理社会を作るための装置でもないんですよね。むしろ戦争を避けるために、国家の判断能力を高める装置として位置づけられるのだと思います。
ここまでが一つの背景です。
もう一つ、そもそもなぜ個人の行動をデータで捉えやすくなったのか、という問題があります。その出発点は個人主義です。
例えば僕もそうですが、実家から東京に出てきたり、面倒な親戚付き合いから距離を取って一人暮らしをしたりというのは、まさに個人主義的な行動の一つだと思います。
ただ、共同体を離れると、二つの変化が起きます。
一つは、寄る辺がなくなることで、他人の欲望を模倣しやすくなること。
もう一つは、すべてを自分で決めなければならなくなること。
この家に決めていいのか、この仕事でいいのか、みたいなシンプルな問いもあれば、この選択は損をしているんじゃないか、もっといい人生があるんじゃないか、みたいな複雑な問いも生まれます。
こうした自問を繰り返すうちに、自分の考えが自意識にとらわれていく。すると不安が強くなり、正解を探すようになる。結果、他人の欲望を真似る動きが強まっていきます。
結果、みんなが住みたがる街に住みたい、みんなが行きたがる会社に入りたいという行動を、合理的な思考の帰結として取ってしまう。
つまり、個人が共同体から自由になった結果、別の仕方で観察され、予測され、動員しやすくなった。そんな構造があるということです。
ここで、マッシブ・アタックのメッセージに戻ります。
彼らは「自分の感情や思考は、本当に自分のものなのだろうか」と問いかけていますよね。彼らが批判しているのは当然、戦争であり、監視技術であり、それを動かす指導者たちです。
ただ、その手前にある構造として「人間の欲望が他人の模倣によって作られ、その動きがデータとして集められ、予測され、誘導されていく社会」に警鐘を鳴らしているんじゃないかと思うんですね。
たとえば、敵を一人決めてしまえば複雑な問題が単純になり、みんなが一つになれる。ジラールはこの仕組みを「スケープゴート」と呼びました。
なので、この構造を「パランティアが悪い」「トランプが悪い」と受け取ってしまうと、それは生贄を一体増やしただけで、彼らが警鐘を鳴らしている構造に僕たち自身が参加することになるんですよね。
一人ひとりが自分の内側にある欲望や、自分自身の感情を見つめないと、結局はこういう社会が生まれてしまう。
だからこそ、最後のメッセージが「自分の感情や思考は、本当に自分のものなのだろうか」という、問いかけだったのかなと思います。
