世界が落っこちてくる前に、僕は呪文を覚えた。──『限りなく透明に近いブルー』
世界が落っこちてくる気配がするとき、人は祈るか、逃げるか、強がるかを選ぶ。
僕は、呪文を覚える。
「怖がるな、世界はまだ俺の下にあるんだぞ。」
この一文に、僕は何度も救われてきた。
気合いとか根性とか、そういう“正しい努力”じゃない。もっと原始的で、もっと不純な力。言葉が、体温のあるお守りみたいに働く瞬間がある。
『限りなく透明に近いブルー』は、いわゆる“健全な物語”ではない。
描かれているのは、パーティとフェスと暴力とドラッグの気配にまみれた、反社会的と言われても仕方ない若者の生活だ。酒で酔って、煙で霞んで、朝と夜の境目がほどけていく。そこで交わされる会話は軽くて、笑いもあるのに、どこか薄い膜みたいに頼りない。
なのに、僕がこの本を「清潔」と感じてしまうのが不思議だ。
扱っているものは汚れているはずなのに、文章そのものは妙に乾いていて、明るくて、切れ味がいい。読んでいると、部屋の換気扇が回り続けているみたいな感覚になる。空気は悪いのに、描写は澄んでいる。だから逆に怖い。
そしてもう一つ、この作品の読後感を決定づけているのは、文章の“平面さ”だと思う。
句読点が少なく、引用の「」もほとんどなく、読み手の呼吸が定まる前に次の場面へ連れていかれる。奥行きというより、切り取られた断面が連続していく感じ。僕は勝手にこれを、キュビズムみたいだと思っている。立体を壊して、複数の角度から同時に置く。視点が増えるほど、現実は整理されるどころか、むしろカオスになる。
だからこの本は、「やばい若者の話」以上のものになる。
堕落を見せたいわけでも、説教をしたいわけでもなくて、“世界が不安定なまま回っている感じ”を、そのまま手渡してくる。読んでいるこちらの価値観が試されるというより、価値観そのものが、いったん霧散する。
僕が特に引っかかったのは、終盤に現れる「大きな鳥」だ。
あれは、具体的な何かというより、頭の片隅にときどき現れて迫ってくる、不確かで巨大な力の象徴だと思う。
社会の空気、時代の圧、説明できない不安、明日が急にひっくり返るかもしれない予感。そういうものが、鳥の形を借りて出てきた。
僕はあの「大きな鳥」を、いまの現代社会そのものだと解釈している。
姿は見えないのに、確かに重い。音もしないのに、近づいてくる。気にしないふりはできるけど、完全には追い払えない。だからこそ、たまに僕らの上空を横切って、影だけを落としていく。
そして建築をやる僕は、あの鳥にどうしても引き寄せられる。
表現の目標として、「大きな鳥」を“形にしたい”と思ってしまう。もちろん、鳥の像を建てたいわけじゃない。
不気味さや圧力や、曖昧な恐怖を、空間として扱えるところまで持っていきたい。言葉でしか触れられないものを、建築に翻訳してみたい。
そう考えると、あの呪文の意味が少し変わってくる。
「怖がるな、世界はまだ俺の下にあるんだぞ。」
これは勝ち誇りじゃなくて、踏ん張りの言葉だ。世界が落ちてくる前に、自分の足場を確認する。落ちてくるものの存在を認めたうえで、まだ立てる場所があると言い聞かせる。
世界が落っこちてきそうな夜は、たぶん、これからも減らない。
だから僕は、呪文を覚えておく。
そしていつか、あの「大きな鳥」を創りたい。
