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展覧会の感想を言語化する:京都国立近代美術館「セカイノコトワリ」展

京都国立近代美術館で開催されている「セカイノコトワリ―私たちの時代の美術」に行ってきました。会期は3月8日(日)までです。

出品作家一覧(50 音順)

青山悟、石原友明、AKI INOMATA、小谷元彦、笠原恵実子、風間サチコ、西條茜、志村信裕、高嶺格、竹村京、田中功起、手塚愛子、原田裕規、藤本由紀夫、古橋悌二、松井智惠、宮島達男、毛利悠子、森村泰昌、やなぎみわ

作品一覧

普遍的なコトワリ ― 宇宙レベル/地球ローカル

個人的に「コトワリ」という言葉は、自然科学の「真理」のような、普遍的なものをイメージしがちでした。それもあって展覧会の最初のセクションの作品からは、重力や物質、時間や数字を想起させられました。(竹村京さん、藤本由紀夫さん、宮島達男さん)

一方で、そういえば月の重力は地球の6分の1だし、24時間365日なのは地球だけ。そういう意味では、普遍的と思っているものも地球ローカルでの普遍性にすぎないのですよね。

よくよく考えると「コトワリ」って何だっけ?と、ぼんやりとした引っかかりを残す出だしでした。

ワタシを作っているコトワリ ― 纏う/揺らぐ

次のセクションの作品でイメージしたのは、先ほどの「普遍」と対照的な、個人にとってのコトワリ。
外側に何かを纏うことで成立するワタシと、その内側の生身のワタシの身体性を想起させる作品たちだった気がします。(やなぎみわさん、森村泰昌さん、松井智惠さん、小谷元彦さん)

森村泰昌《星男(金閣寺にて)》
松井智惠《LABOUR-6》

このセクションで特に印象的だったのが石原友明さんのインスタレーション。
シャンデリアの下に鏡のタイルが敷き詰められ、タイルには点字が書かれていました。鑑賞者は靴を脱いで、その反射する床に上がることができます。
足裏で点字を感じるし、目でも見えているのですが、そこに何が書かれているのか私には分かりません。
展覧会に一緒に行った方が、この作品の上に載っている私を写真に撮ってくださったのですが、そのとき私は点字の意味を理解できないまま、この作品が何を語ろうとしているのか掴めず、笑ってピースしていいシチュエーションなのか?どんな表情がふさわしいのか?戸惑いながら写真に写りました(笑)

手前:石原友明《世界。》
奥:小谷元彦《Phantom-Limb》

私は光の中に立って、点字は見えているのに、「読む」ことができない。でも、光のない中で同じ世界に立ちながら、この点字の意味を理解できる人もいる。同じ場所に立っていても、別のコトワリで生きている人がいて、わかることや感じることが違うということを体感できるインスタレーションでした。

生と他者 ― コトワリは生成される

次のセクションの作品から想起されたのは以下のような言葉でした。

  • 他者

  • 関係

  • 変容

在日の彼女との結婚の物語、息を吹き込む陶器の作品、コロナ禍のマスクの作品。
国家の歴史が作り上げたコトワリが結婚という個人と個人の関係の中で変容したり、コロナという出来事が身体の距離や呼吸の意味を変えたり、このセクションの作品たちからは、コトワリは「生成される」あるいは「変容する」というイメージを受け取りました。

西條 茜《シーシュポスの柘榴》
西條 茜《甘い共鳴》

表と裏 ― 場所と時間の同時性とズレ

次のセクションの作品たちから想起された言葉は「表と裏」。

  • 戦争/平和

  • 祭典/惨状

  • 笑顔の絵文字/不気味な裏面

  • 神聖性/世俗性

表と裏が世界に同時に存在していて、実際にはつながっている。
あるいは、同じ場所に立っていても、時代が違うことで異なる意味に捉えられる。
どこに立つか(場所や時代)によって、見えるものは変わる。そんなことを考えさせられるセクションでした。

手塚愛子《閉じたり開いたり そして勇気について(拗れ)》
笠原恵実子《OFFERING-Collection》

イトナミに溶けるコトワリ

最後の展示は羊毛にまつわる映像作品。

  • 手作業で糸を紡いで編み物をするおばあさん

  • 畑のおじさんの後ろを横切るFedexの飛行機

  • 機械化が進んで動物にほとんど触れなくなった羊飼い

淡々と過ぎていく映像の中に、近代化によって変容するイトナミが収められていました。

生活、文化、産業といったイトナミの中にいろんなコトワリが混ざり合っていて、コトワリがコトワリを上書きしたり別のコトワリに置き換わったりして、少しずつ混ざったり消滅したりを繰り返しているのかもしれないですね。

世界は共有されているが、世界の意味は共有されていない

コトワリとは固定された普遍的な法則ではなく、立っている場所や他者との関係、歴史など、多層的な構造の中で生成・変質し続けるもの。
セカイは共有されている。けれど、そのイミは必ずしも共有されていない。
世界をどう受け止めるかということの複雑さを、様々な作品を通して感じさせてくれる展覧会でした。


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