見出し画像

2025年、年末にインド旅。ヨガとは?‥「私の」比較宗教学

インドのヨガ・アシュラムに行ってきた。目的はヨガ体験をすることと、単なる観光旅行よりもインド人やインドの生活に触れることだ。
結果としては、その目的を果たせただけでなく、自分の関心ど真ん中に命中する面白い体験となった。
比較宗教学なんて書いても、もちろん学術的検討ということではない。自分のこれまでに体験した「宗教」と比べた肌感覚の話だ。
いわば自分の妄想世界のお話だ。少しでも興味を持ってくださった方に私が何を言いたいかをわかっていただけると幸いだ。


自分のバックグラウンド

学問的バックグラウンド: 通信教育で大学の社会学部を卒業した、その科目に「宗教社会学」があった、だけ。つまり殆どない。

宗教的バックグラウンド: 同居してた祖父母は浄土真宗だった。自分は割と長くカトリック教会に通ったが、途中でやめた。

自分なりの解釈による、ヨガ哲学の比較宗教学的位置づけ

ヨガ・アシュラムで感じた「宗教」

滞在してみて、予想よりも強く「宗教」を感じたけど、私としては嫌なものではなかった。
そして、上にあげた表の「ヨガ哲学=ヒンドゥー教?」の欄の、「組織」のところに「権威主義的なことも?」と書いたけど、自分がヨガ・アシュラムに滞在してそう感じたのではない。むしろ、そんな事は全然といっていいほど感じなかった。

何故ヨガ・アシュラムに宗教を強く感じたかというと‥といってもヨガ哲学とヒンドゥー教の異同とか、何も分かってないのだけど‥日課がまず礼拝で始まり、ヨガがお祈りで始まってお祈りで終わり、食事がお祈りで始まり、奉仕活動があり、宗教(それとも哲学?)のレクチャーがありという具合だからだ。

それでも、ここはヨガ・アシュラムであって宗教施設ではない(から心配しないでね)という姿勢も(考え過ぎかも知れないけど)感じた。
アシュラムの中に、更に塀に囲まれてテンプルの建物があり、そこではヨガ・バケーションやヨガ教師養成課程の日課とまるで無関係に礼拝が行われていた。私が覗いていたので入れ入れと招かれて礼拝に参加させて貰ったけど、向こうから勧誘されることはなかった。
ヨガをするホールには、大きなクリスマスツリーが飾られていた。
宗教(哲学?)の時間には、世話係兼ヨガの先生がレクチャーしてくれたのだけど、割とよく聞く人生には4つの時期があって‥とか、ヒンドゥー教の神様は人の心のなかにあるいろんな面を、それぞれ別の神様として現したものだ(私の怪しい英語力で聞きとったものなので、ホントにそう言ったかは確かでない)とか、何かこう合理的な内容だった。

そして、宗教といえば私が特に感じる、権威主義(悪い意味で)については、感化して、従わせようとか、師匠様と弟子の序列みたいなものは特に感じなかった。
どっちかいうと実際にはないかも知れないのに、自分がこれまでに体験した他の宗教から類推して、こういう形の宗教だと権威主義的になるかもなと勝手に思った、妄想のようなものに近いのかも知れない。

宗教の類型と、権威主義

類型たって、自分が体験から勝手に分類したに過ぎないのだけど。

つまり、自分が長く親しんできたカトリックは、私に言わせると元々神頼みの宗教だ(たまたまイグナチオ教会の小笠原晋也という精神分析をやる人もそう書いていて、ビックリしたのだけど)。真面目に努力して何か頑張らないと救われないってことはない。日毎の糧もお与えくださいって祈っちゃうのだ。
そして神父というのは、ただ神さまの代わりにご聖体をくれる人なので、その人自身が素晴らしい人である必要はない。〇〇でもチョンでも、品性△△でも関係ない。なので(本来は)権威主義になる筈がない。

だけど救われるために自分から何かをしないといけないタイプの宗教だと、聖職者は指導者ということになる。カトリックでもそういうグループやら、そういう活動やらがある。ま、宗教って他の宗教からパクってきたり混ぜこぜにしたりだから、そんなモンだろうけど。
そうすると指導者に頭を下げて、従ってとなる。その指導者の権威に従って、考え、行動し、とそうなるわけだ。
しかも、こっちの自助努力型の宗教は音楽やら演説やらで聴衆を引き込んで陶酔させるって傾向が強いと思う。トランプ大統領の支持基盤として有名になったキリスト教福音派のメガチャーチで、有名牧師が感動的な説教して、感動的な音楽が流れると会衆が皆してトランス状態になって倒れる人まで出現する、みたいな。

アシュラムの礼拝‥ていうかあれは宗教なのか、礼拝だったのかもよく分からないけど、短いフレーズを何度も何度も繰り返し口に出しながら、打楽器をシャンシャンと鳴らし続けていると、何やら良い気分になってくる。
だからって洗脳されるとか、トランス状態になるってことではないけど、下手するとそっちに行っちゃうよなと思った。
アシュラムではヨガしましょう、奉仕しましょう、瞑想しましょうって、要するに自分が何かしなきゃいけない自助努力型の宗教‥いや宗教なのかどうかも分からないけど‥だしな。
深入りするのは、アブナイかも知れんと思った。

現実のアシュラム生活

とはいえ、そこのヨガ・アシュラムでは‥私に言わせれば‥宗教色は程良くコントロールされていて、そんなにのめり込むような感じでもなく、異国情緒を感じて味わい深い、にうまく留まっていたと思う。
外部の人が勝手に敷地内に入ってくることもないし、食事は提供されるし、ヨガを教えてくれたりお世話をしてくれるインド人たちに囲まれて、守られて、一緒にノンビリと安心して過ごす毎日だった。それはやっぱり、ただのリゾート施設でなく、半分宗教施設みたいな側面もあるからだよなーと、どちらかというと良いとこどりさせて貰ったのかもなーとも思う。
インターネットも使えるし、インド食が苦手な人にはバタートーストと飲み物程度だとはいえカフェが夜には開店するし、修行の場としては、とってもゆるい。ま、歯を食いしばって修行するような所には、初めから行かないけど。
現時点での感想としては、どちらかいうと宗教アレルギーの私でも大丈夫な場所だった。(もっと深く関わったらとか、他の立場だとどうかってのは、あえて考えない。だってガイジン観光客ですから)









いいなと思ったら応援しよう!