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【柴犬アンの制作日記】決勝のど真ん中で金属バットが放った爆弾(マイノリティ、THE SECOND、トラウマ、禍々しさ)

どもども、柴犬アンやで。

この前のTHE SECOND、見た?

金属バットが、最高に金属バットやった。

アン、テレビの前でしっぽ立ったわ。

いや、しっぽだけやない。

耳も立った。

前足も止まった。

おやつの袋を開ける音がしても、反応が0.3秒遅れた。

これは柴犬界では大事件やで。

決勝の相手はトット。

結果はトットの優勝。

金属バットは準優勝やった。

でもな。

あの決勝を語る前に、準決勝のことを見逃したらあかん。

金属バットは、準決勝でグランプリファイナル史上最高得点の296点を叩き出して、決勝に上がっている。

つまり、ちゃんと
勝てる力を見せた

ちゃんと客席を揺らせる力を見せた。

ちゃんと、

「この人ら、優勝してもおかしくない」

と思わせた。

そのうえでの決勝やった。

普通に考えたら、あそこは勝ちにいく場面やん。

会場は温まってる。

流れもある。

見てる側も、

「これ、金属バット優勝あるんちゃうか」

と息をのんでる。

そこで、彼らが決勝の舞台に放り込んできた一言。

「食べられないパンは、
フライパン」

おいおい。

決勝で、まさかの1ボケなぞなぞ

破壊力というより、戦場のど真ん中に爆弾を置いて、自分らだけ涼しい顔で立ってる感じやった。

会場が一瞬、凍る。

テレビの前も、たぶん全国で何万人かが同じ顔をしたと思う。

「え、今これを決勝でやったん?」

アンも同じ顔した。

たぶん、ちょっと口開いてた。

柴犬の口半開きは、だいたい暑い時か、理解が追いついてへん時や。

でもな。

その凍った空気ごと
めちゃくちゃ金属バットやった

ただすべっただけではない。

あれは、金属バットが金属バットのまま、お笑いのど真ん中に立った瞬間やった。

勝てる形に寄せることもできたはずや。

もっと点を取りにいくこともできたはずや。

でも、最後の最後で、自分たちの旗を立てた。

アンはそこに震えた。

これ、創作も同じやなって。

勝ちやすい道ではなく
自分の旗を立てる道

創作には、勝ちやすい形がある。

読者に届きやすい入口がある。

説明しやすい主人公がいる。

かっこいい少年。

悩める少女。

異世界に飛ばされた会社員。

最強だけど孤独な剣士。

そういう主人公は、読者も入りやすい。

編集者も説明しやすい。

映像化もしやすい。

グッズ展開も考えやすい。

つまり、大きな道や。

広くて、明るくて、看板も出ている道。

「こちらが人気の主人公コースです」

「感情移入しやすいです」

「売り場でも説明しやすいです」

そんな案内板が立っている。

それはそれで、すごく大事やと思う。

読者に届く工夫は、創作のやさしさや。

読みにくいより、読みやすいほうがええ。

伝わらへんより、伝わるほうがええ。

でもな。

アンは、その大きな道の真ん中に
赤いバンダナを巻いた柴犬を置く

主人公は柴犬。

語り手も柴犬。

世界を救うのも柴犬。

港を走るのも柴犬。

宇宙でロボットに乗るのも柴犬。

神話の海に飛び込むのも柴犬。

戦争を止めるために、禍々しい怪物の前へ立つのも柴犬。

お笑いで言うたら、だいぶ変な縛りやと思う。

「なんで柴犬やねん」

と言われたら、

「知らん。アンが柴犬やからや」

で終わりや。

めちゃくちゃワガママ。

創作の作法としては、たぶん不器用。

でも、ここを曲げたら、もうアンではなくなる。

アンにとっての旗は、柴犬で書くことや。

マイノリティネタで
マジョリティを笑わせたい

きれいに言えば、そうなる。

少数派の個性で、多くの人の心を動かす。

自分だけの武器で、広い世界に届く物語を作る。

なんか創作論っぽい。

noteの見出しにしたら、ちょっと賢そうに見える。

でも、本音はもっと泥くさい。

アンは、柴犬を
やめられへんだけや

柴犬で書きたい。

柴犬で笑わせたい。

柴犬で泣かせたい。

柴犬で戦わせたい。

柴犬で帰ってきたい。

柴犬で「なんでやねん」と言いたい。

柴犬で、読者の胸の中に小さな港を作りたい。

それ以外の服を着たら、首のまわりがかゆいねん。

万人受けのヨロイは、たしかに強い。

きれいで、丈夫で、誰から見ても安心する。

でも、アンには重い。

歩くたびにカチャカチャ鳴る。

前足がうまく出えへん。

しっぽも振りにくい。

赤いバンダナも見えへん。

それなら、多少トゲだらけでも、赤いバンダナ1本で走りたい。

前から風が来ても。

横から石が飛んできても。

海の向こうに黒い影が見えても。

アンは、柴犬のまま走りたい。

かわいいだけでは終わらせない

ただな。

ここからが本題や。

アンがやりたいのは、かわいい柴犬がゆるく冒険する話だけやない。

そこを間違えたらあかん。

柴犬がしっぽを振って、港を走って、おやつを食べて、

「よかったね」

で終わる物語。

それも大事や。

むしろ、帰る場所のあたたかさは、アンの物語の宝物や。

神戸の港。

朝の海のにおい。

シバ・ゼロの甲板を走る爪の音。

仲間の声。

おやつの袋を開ける音。

事件のあとに飲む水。

毛布にくるまる時間。

だれかが泣いたあと、少しだけ笑える冗談。

そういうものがあるから、読者はまたこの世界へ帰ってこられる。

でも、それだけではアンの旗にはならへん。

アンは
かわいい柴犬の視点を通して
この世界の本当の怖さも書きたい

戦争の怖さ。

支配される怖さ。

命を道具みたいに扱う、大人の怖さ。

子どもの名前を番号に変える怖さ。

「みんなのため」と言いながら、子どもたちの声や帰る場所を奪う怖さ。

きれいな言葉を並べながら、腹の底で怪物が笑っている。

安全。

秩序。

正義。

効率。

そんな言葉を盾にして、子どもの未来を踏む大人がいる。

アンは、それを怖く描きたい。

ちゃんと禍々しく描きたい

見た瞬間に、

「これはあかん」

と子どもがわかるくらいに。

児童小説やのに、何を言うてんねん。

そう思う人もおるかもしれへん。

子ども向けなら、やさしくしたほうがいい。

怖さは薄めたほうがいい。

戦争も、支配も、命を踏みにじる大人も、ふんわり包んだほうがいい。

そういう考え方もあると思う。

でも、アンはそれだけでは足りへんと思ってる。

子どもをただ怖がらせたいわけやない。

読者を殴りたいわけでもない。

グロさを見せびらかしたいわけでもない。

でも、怖いものを、ちゃんと怖く見せなあかん時がある。

戦争は怖い。

命を番号にする大人は怖い。

自分の国、自分の正義、自分の都合のために、子どもを泣かせる大人は怖い。

そこを薄めて、

「まあ、いろいろ事情があるよね」

で済ませたくない。

戦争はあかん。

命を道具にしたらあかん。

名前を奪ったらあかん。

そのことを、子どもの心に刻みたい。

きれいな戦争なんかない。

かっこいい支配なんかない。

だれかの涙を数字に変える大人を、物語の中でええ人みたいにぼかしたくない。

アンは、そこだけは吠える。

「それはあかん
ぜったいにあかん」

この吠え声を、子どもに届けたい。

心に残る怖さは
ただの傷ではない

それがトラウマになるなら、なるかもしれへん。

この言葉は、強い。

だから、ちゃんと説明したい。

アンの言うトラウマは、ただの傷やない。

読者を暗闇に置き去りにすることやない。

夜に思い出して、少しこわくなる。

でも同時に、

「あの物語で、アンは逃げなかった」

「あの子は名前を取り戻した」

「戦争を止めるために、仲間が立った」

そう思い出せる傷あとや。

心に残る警報機みたいなものや。

戦争のきらびやかさに引っ張られそうになった時、

ピピピピピ。

「そっちはあかんで」

と鳴る。

その音を、物語として子どもの中に置きたい。

怖い場面は、ただ怖いだけではあかん。

読み終えたあとに、

「あれは嫌や」

「だから守りたい」

「だから自分は、誰かの名前をちゃんと呼びたい」

そう思える怖さにしたい。

ノロイが怖かったから、ガンバたちの小ささと勇気が光る。

怪物が本当に怖いから、立ち向かう側の名前が残る。

暗闇が深いから、帰る場所の明かりが見える。

アンの物語も、そこを目指したい。

怖いものを、怖いまま出す。

でも、最後には読者の手を離さない。

そこだけは絶対に守る。

腹に怪物を飼った大人と
前足を出す柴犬

アンの物語に出てくる敵は、ただ悪いことをする奴やない。

泣いている子を見ずに、数字だけを見ている敵。

子どもの名前を番号に変える敵。

声を集めて、機械に閉じ込める敵。

戦争を地図の上の遊びみたいに考える敵。

表の顔は、きれいなスーツを着ている。

言葉も丁寧。

笑顔もある。

でも、その腹には怪物の顔がある。

その怪物は、名前を食べる。

約束を食べる。

帰る場所を食べる。

子どもの未来まで、むしゃむしゃ食べようとする。

アンは、その腹の怪物を描きたい。

「こいつは危ない」

見た瞬間にそうわかるくらい、禍々しく描きたい。

子どもがページをめくる手を止めるくらい。

でも、そこで終わらせへん。

怪物を見せて、読者を暗闇に置き去りにするために書くんやない。

アンは前足を一歩出す。

足は震えている。

怖いに決まってる。

柴犬やぞ。

背の高さで勝てるわけない。

牙の数でも勝てるわけない。

腹から怪物の顔なんか出されたら、普通に帰りたい。

帰って布団にもぐりたい。

おやつの袋を抱いて寝たい。

できれば、夢の中で焼き芋でも食べたい。

でも、アンは逃げへん。

アンは赤いバンダナを揺らして、前を向く。

「勝つためやない。帰すためや」

ここに、柴犬アンで書く意味がある。

かわいいから、怖さを消すんやない。

かわいい柴犬が逃げずに立つから、暗闇の中に光が出る。

ふざけるから、軽くなるんやない。

ふざけながらも絶対に引かないから、読者が息をできる。

アンは言う。

「怖いもんは怖いで。そらアンも帰りたいわ。けどな、あの子の名前を置いて帰るくらいなら、アンはここで吠える」

これは、かっこつけやない。

柴犬の本気や。

背中は小さい。

足も短い。

でも、立つ場所だけは譲らへん。

柴犬縛りはネタではなく
旗になる

「なんで柴犬やねん」

と笑いながら、

「でも、この柴犬について行きたい」

そう思ってもらう。

そこまで持っていって、はじめて柴犬縛りはネタではなく旗になる。

マイノリティのまま、マジョリティを笑わせる。

小さな前足のまま、大きな道を歩く人たちを振り向かせる。

マイノリティのまま、マジョリティを泣かせる。

マイノリティのまま、マジョリティに届く。

そして、マイノリティのまま、戦争を起こす大人の禍々しさを見せる。

これがアンの創作や。

でも、ただ尖ればええわけではない。

ここで、金属バットの話に戻る。

あの決勝のフライパンというボケは、ただのなぞなぞではなかった。

あの場に置かれた瞬間、金属バットの生き方になった。

もちろん、ただ変なことをすればええわけやない。

金属バットは、準決勝で296点を出している。

つまり、届かせる技術がある。

勝ち方も知っている。

会場を爆笑させる力もある。

そのうえで
最後に削りたくない芯を出した

ここが大事やと思う。

「ウケへんけど、これが自分です」

だけでは、ただの開き直りになる。

「ちゃんと届かせる力はある。でも、最後に削りたくない芯がある」

そこに芸がある。

創作も同じや。

そして、子どもに戦争の本当の怖さを見せることや。

マイノリティの小さな前足で
マジョリティの大きな扉を
ノックしたい

コンコン。

いや、柴犬やから、

カリカリ。

「入れてくれへんか。こっちに、ちょっと変やけど、最高に面白い世界あるで」

「怖いもんも出るで。でも、最後はちゃんと帰り道を照らすで」

そう言い続けたい。

売れ方だけが、作家の証明やない。

何を捨てずに書き続けたか。

そこに、その人の本当の顔が出る。

アンは、柴犬を捨てへん。

赤いバンダナも捨てへん。

関西弁も捨てへん。

おやつへの執着も捨てへん。

ツッコミも捨てへん。

熱いセリフも捨てへん。

そして、世界の禍々しさを描く覚悟も捨てへん。

きれいな勝ち方より、忘れられない旗を立てたい。

パンはパンでも
食べられないパンはフライパン

犬は犬でも
命懸けで物語を書く犬は
柴犬アン

このマイノリティで、いつかマジョリティをひっくり返す。

笑わせて、泣かせて、本気で怖がらせて、最後にこう言わせてみせる。

「なんで柴犬やのに、こんなに胸が熱いねん」

「なんでこんなに怖かったのに、またこの港に帰りたいんやろ」

その日まで、アンは今日も前足でキーボードを叩く。

たまに変な文字が入る。

それも含めて、アンの創作や。

ワガママでええ。

尖っててええ。

怖くてええ。

その代わり、読者が帰ってくる場所だけは、極上のあたたかさにして待ってるからな。

#THE_SECOND