オーシャン・ドッグスⅢ🐕 第19話:名前が付いた“ほむら病”や
インド洋から神戸に戻ってきて、まだ数日。
シバ・ゼロの船体は、川崎重工の巨大ドックの中で半分ばらされて、北極仕様の改造が始まっていた。
けれど、その朝。
アンたちは港ではなく、市役所の会議室にいた。
大きなスクリーンに、赤い線が世界地図の上をぴっ、と走る。
ヨーロッパの森。
北米の町外れ。
アジアの山あい。
どの映像にも、共通した光景が映っていた。
夜の道路で、クマみたいな影が、ありえない色の炎をまとって走る。
街灯の下で、オオカミのような目が真っ赤に光る。
画面の下には、小さく文字が並んでいた。
「不明原因の動物攻撃事件」
「目の異常発光」
「体表部の発火」
高杉サチエ総理大臣が、ゆっくりと説明する。
「世界中で似たような事件が増えてる。最初は“狂犬病の変種”やないかって言われてた。でも、検査結果は全部シロ。どの国も、原因がわからへんまま、襲ってくる個体を射殺して終わり」
アンは、スクリーンをにらんだ。
画面の片隅に、見覚えのあるシルエットが一瞬映る。
インフェルノ。
サーカスから逃げて猫島に流れ着き、焔病に飲み込まれていたカラカルだ。
今は治療中で、静かな部屋で眠っているはずの大型ネコ。
あのとき、アンはスサノオの力で、インフェルノの過去を見た。
人間に殴られ、燃やされそうになった夜。
「こわい」を誰にも言えず、心の中で燃え続けていた炎。
あれが、焔病の火にそっくりだった。
あんこが、前足でテーブルをとんとんと叩く。
「インフェルノのちぎれた尻尾、覚えてる?あれ、研究所に送ったよね」
サチエがうなずく。
「世界自然保護基金、IUCN、WOAH、WHO。みんなで手分けして調べてもろた」
スクリーンが切り替わる。

今度は、ガラス皿の中の薄い切片。
そこに、細い細い、透明な“糸”みたいなものが映っていた。
専門家の声が、録音で流れる。
「尾の神経付近から、未知の寄生生物を確認。ほぼ透明で、肉眼では見えない。DNAを調べると、北極海のプランクトンと非常に近い配列を持っているが、高温と炎症を好む、奇妙な変異が見られる」
サチエが短く言う。
「名前が付いた。“ほむら病”や」
ルナが、小さく息をのむ。
「…焔病」
あんこが続きを補足する。
「このプランクトン寄生虫は、水の中だけじゃなくて、空も飛ぶ。体の中では神経に張りついて、“恐怖”をエサに増える。怖がれば怖がるほど、どんどん体の一部を炎症させて、最後は“火”に変えてしまう」
画面には、シミュレーションのCGが映る。
動物の体の中で、細い糸みたいな寄生虫が増えていき、尻尾の先や足先に集まる。
そこが真っ赤に腫れ、やがてボッと燃え上がる。
「寄生虫が一番集まる場所が、“炎の縁”になる。そこから体全体に火がまわる」
別の専門家の声。
「薬を使わず、発症から10日以上放置すると、全身が燃えて炭みたいになって、死ぬケースが確認されています」
アンは、思わず歯をくいしばった。
世界中で似た事件が起こり、その度に「危険だから」と撃たれていった命。
「…なんで、そんな寄生虫が生まれたんや」
りうが低くつぶやく。
あんこが、別のデータをスクリーンに映した。
「プランクトンのDNAをたどると、元の種は北極海のプランクトン。でも、ある時期から“高温でも死なない変異”が一気に増えてる」
画面の海底図に、赤い帯が浮かぶ。
「火ノ帯ノフチニ潜ムモノ。ファーフニルのテリトリーや」
アンは、前足を握りしめた。
まだ会ったことのない海竜。
けれど、その影はもう神戸にも延びている。
サチエが、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「つまりや。北極の火の溝で生まれた寄生虫が、風や水に乗って世界中にばらまかれとる。“恐怖”を見つけてはくっついて、焔病を起こしてる」
ルナが、震える声で言う。
「だから、インフェルノも…。“こわい”を誰にも言えなくて、ずっと燃え続けてた」
アンは、テーブルの上にあごを乗せた。
目を閉じて、ディーバの声を思い出す。
“怖いは合図や。逃げろか、準備しろか、どっちか選べる”
「…焔病の発症条件、もう1個あると思う」
アンは、顔を上げた。
サチエがうながすように見る。
「人間に対して、強い憎しみと恐怖を持っとる子らが、狙われやすい気がする」
アンは、インフェルノの目を思い出す。
焼けた檻。
怒鳴り声。
笑いながら投げられた火。
「“こわい”って言えへんまま、心の中でずっと燃え続けてるもんが、焔病に火ィつけるんちゃうかって」
ルナが、そっとアンの背中に前足を置いた。
あんこがうなずく。
「データ的にも、そう。捕まえられたケースの多くで、“人間にひどいことをされた過去”があった」
サチエは、テーブルに両手をついて言った。
「だからこそ、射殺で終わらせるわけにはいかん。この子らは、“ただの敵”やない」
つづく
