オーシャン・ドッグスⅢ🐕 第25話:怖かっためちゃくちゃ怖かった
防火服の中は、もう限界だった。
ルナが駆け寄り、防火服のファスナーを少しだけ開ける。
熱気がふわっと出て、白い湯気みたいに夜の空気に溶けた。
「今、体温計ったら怒るでしょ」
ルナが、少し涙目で笑う。
「怒らへん。むしろ、“ようここまで持たせたな”って褒めるわ」
アンも笑って、でも足が少し震えていた。
りうの足の毛は、ところどころ焦げていた。
リッチーのひげも、少しちりちりになっている。
ルナは、3匹の火傷を注意深く見ていく。
「全員、“ちょっとやけど”じゃないからね。ちゃんと痛いって言って。“怖かった”もセットで、あとで全部聞くから」
アンは、少しだけ目を伏せた。
「怖かった。めちゃくちゃ怖かった。でも、“怖い”って言えたから、多分今ここにおる」

ギブリが、少し離れたところでワンワン隊をまとめながら聞いていた。
「アンちゃん。さっきの吠え、“服の見せ場”どころやなくて、本当に“命の使い方”だったね」
きいろが、インコ隊のタンクを外しながら笑う。
「空から見ててね、“あ、今だ”って分かったよ。すごくきれいな1本道だった」
猟友会リーダーが、ゆっくりと銃を下ろした。
手が、まだかすかに震えている。
「…5発全部撃ち終わって、誰も死んでへん山は、初めてや」
サチエが、少し離れた指揮車から降りてきた。
アンの前にしゃがみ込み、頭をそっとなでる。
「ようやったな、アン。“撃つしかない世界”に、1本“別の道”通したで」
アンは、息を整えながら言った。
「これで終わりやない。焔病の元は、まだ北極の火ノ帯のふちでくすぶっとる。うちらはそこまで行って、“元栓”閉めてくる」
サチエは、まっすぐアンを見た。
「約束する。日本政府として、共立製薬として、この薬を量産できるように全力を尽くす。撃たなあかん子を、1匹でも減らせるようにな」
ルナが、小さく付け足す。
「そして、インフェルノみたいに、“怖かったね”って言える場所を増やす」
アンは、夜空を見上げた。
六甲山の向こうに、小さな星がいくつか見える。
そのずっと向こうに、北極の空がある。
オーロラの揺れる空。
そこに、火ノ帯ノフチニ潜ムモノがいる。
「世界のてっぺんにも、“隣の家”がある。ここで焔病を止められたんやったら、あっちでも、きっと止められる」
アンは、小さく笑った。
「なあ、スサノオ。次は北極で、“怖い”を一緒に見ような」
首元のチャームが、ほんの少しだけ、返事みたいにぴくりと震えた。
こうして、神戸の山での焔病事件は、誰も射殺されることなく、静かに幕を閉じた。
クマとオオカミは、鎮静剤と治療を受けながら、もう一度「人間とどう向き合うか」を、ゆっくり学び始める。
猟友会のおっちゃんたちは、銃を磨きながら、今まで撃ってきた夜のことを思い返す。
神戸市消防局は、濡れたホースを片づけながら、
「火を消すだけやなくて、“燃やされる前”の話も聞かなあかんな」
と語り合う。
ワンワン隊とインコ隊は、今日の吠え声と飛び方を振り返って、次に備えてフォームを直す。
そして、アンたちは。
焦げ跡のついた防火服を脱ぎ、シバ・ゼロの甲板に戻っていく。
待っているのは、石のカメポン。
北の方角に向かって、また小さく光る甲羅。
「神戸の火は、ひとまず消えたで」
アンは、石の甲羅に前足を乗せてささやいた。
「次は、カメポンの生まれ故郷の海や。世界を燃やす前に、ちゃんと“怖い”を聞きに行こな」
北極からの、かすかなささやきが。
風の中で、確かに返事をした気がした。
つづく
