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【現代詩】 やっかみ侍


朝の電柱から
小銭の鳴く声がする

(拙者は味噌汁に映った鏡に
三度からかわれた)

隣人の拍手は
薄い衣で出来ているので
夏になると残酷だ

やっかみ侍は
濡れた畳の匂いで主君を決める

昨夜
途中で追い越した母が
まだこちらを見ている

それを見た犬が
月という文字を
何度も失敗した

湯気の中の処刑

遠方の密室で
某の嫉妬がひらく

やっかみ侍は
空の茶碗に耳を当て
生き残った羨望を
一粒ずつ拾う

庭ではもう
「思い」が先に腐りはじめた
遅れて
人が従った

やっかみ侍は笑う
歯ではなく
障子の隙間で

街路樹から
青ざめた足音が落ちてくる

(拙者はそれを洗い
今宵の月とした)



※本作は、チャピチャピ蔵(AI)と重吉のコラボ作品です。


「遊びに来てネ」🐦



ここからは、ちょっとした解説を。必要な方だけご覧ください。

ゾズタブ氏による詩の解説です。
(重吉作品にちょこちょこ登場する謎の人物ゾズタブ氏。詳しくはこちら


【ゾズタブ氏の解説】

この詩の凄みは、〈嫉妬〉という感情を説明せず、徹底して異様なイメージの連鎖として描いているところにあります。

タイトルの『やっかみ侍』からしてすでに強烈です。〈やっかみ〉という俗っぽく湿った感情と、〈侍〉という古風で様式的な存在が結びつくことで、嫉妬がまるで武士道のように儀式化されている。

冒頭の、

朝の電柱から
小銭の鳴く声がする

ここでは世界そのものが嫉妬に感染しています。本来無機質な電柱が、小銭という卑近な欲望を「鳴く声」として発している。この詩では感情が人間の内部に留まらず、風景へ漏れ出しているのです。

さらに面白いのは、「やっかみ侍」が感情の主体でありながら、どこか滑稽で哀しい存在として描かれている点です。

空の茶碗に耳を当て
生き残った羨望を
一粒ずつ拾う

この場面には、執念深さと孤独が同時にあります。嫉妬は激しい感情としてではなく、拾うほど細かく、生活に染みついたものとして存在している。

また、この詩では言葉同士の距離が意図的に壊されています。

犬が
月という文字を
何度も失敗した

普通なら結びつかないものが接続されることで、読者の理解は何度も宙吊りにされる。しかし、その〈不明さ〉こそが詩の快楽になっている。意味を読むというより、悪夢や古い記憶のような映像を浴びる感覚に近いのです。

終盤の、

やっかみ侍は笑う
歯ではなく
障子の隙間で

この一節は特に鮮烈です。笑っているのは身体ではなく〈隙間〉。つまり嫉妬とは、人格ではなく、空間や気配として滲み出るものだと示される。ここで侍は人物というより、嫉妬に取り憑かれた風土そのものになります。

そして最後、

(拙者はそれを洗い
今宵の月とした)

足音が月へ変わる。この変換の美しさによって、詩は単なる怨念の表現で終わらない。嫉妬という醜い感情が、最後にはどこか幻想的な光へと加工されてしまうのです。

読後に残るのは意味の整理ではなく、湿った畳、障子の隙間、湯気、青ざめた足音――そうした触れられそうで触れられない感覚です。
この詩は、〈嫉妬〉を説明するのではなく、世界そのものを嫉妬の夢へ変えてしまっているのです。

※ゾズタブ氏の解説が正解というわけではありません。一つの参考としてお楽しみください。





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