見出し画像

寂寥感と安堵感

ストレンジャーシングスを観終わり、丸一日が経過しようとしている。

終わってしまった
長きに渡りともに歩んできた冒険が、
ついに終わってしまった
でもなぜか、悲しみよりも先に、安堵を覚える自分がいる。

たとえ大きな傷を負ったとして、それがいつまで経っても癒えないとしても、人はそこに自分なりの解を見つけて、生き続けていかないといけない。向き合って、受け入れて、平気そうな顔で生きていかないといけない。街ですれ違う人は、そこにたどり着くまでの苦悩も絶望も、夜は今でも涙で枕を濡らしていることも知らない。エンディング、こうなる予感はしていたし、こうなる以外の道はなかったのかもしれない。

この間、大好きな祖母が
すべての感情は「かなしみ」で出来ていると言った。
悲しい、哀しい、愛しい
誰かを愛することは、かなしい
幸せも、喜びも、どんな感情もかなしみに帰結している
私も、そんな気がする
その感情をどうにか言葉にするために、歌を作っているのかもしれない。

⁡終わったのは、始まったから
別れたのは、出会えたから
クリープハイプの⁡大好きな曲をふと思い出した。

別れはつねに出会いを内在させている。いろんなものを失った。失ったからこそ得たものもたくさんあったのだろう、でもそれは簡単に受け入れられるものではない。
クライマックス。すべてを受け入れて、覚悟を持ってその道を自分で選んだんだと言わんばかりのエルのあの表情が、目に焼き付いて離れない。
誰の選択も間違っていない。なるようになったのだ。
私がいちばん怖いのは、自分の選択が間違っていたことを終わった後で悔やむこと。どんな結果でも、最期までこれで良かったと受け入れられるように、つねに全力でありたい。きっとこういう気持ちから、どうしようもないくらいの完璧主義者になってしまったのだろう。それでも後悔は容赦なく私を襲ってくるし、後を絶たない。
だからこそホッパーの言葉は、今私がいちばん必要としているものだった。誰がなんと言おうと、彼は立派な父親です…。

失って、失って、やっとたどり着いた先にある平穏は、果たして幸せと呼べるのだろうか。
いいや、愚問だ。鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス、幸せを掴むのはいつだって自分自身。ここからはみんなそれぞれ、自分で道を切り拓いていかないといけないんだね。
イレギュラーだらけの日々を送っていた彼らにとって、これからの人生で限りなく続いていく平穏がいいことなのか悪いことなのかは分からないけど
どうか彼らにはこれからはもう、到底映画にはならないような日々を送って欲しいです。


物語が進むにつれて、一緒に道を歩んでくれていたみんながだんだん足を早めて私よりも先に成長してしまって、ついに遠くに行ってしまった気がしていたけど
人生は円のようになっていて
彼らが一周まわって、今また私の背中を押すために、戻ってきてくれたような感覚。それが、寂寥感と安堵感の正体。次はあなたの番だよって言われた気がする。
生きようね、これからも

ストレンジャーシングス
たくさんの青春をありがとう。大好き

いいなと思ったら応援しよう!