【M-1考察】たくろうの1本目が微妙だった人へ|演技論から読み解く2025決勝戦
M-1グランプリ2025の余韻を、年を越してもまだ引きずっています。
王者に輝いた「たくろう」さん。 2本目は文句なしに笑った。
でも、1本目だけはどうしても、素直に笑えなかったんです。
別に嫌いなわけじゃないし、技術がすごいのもわかる。
でも、会場の爆発的な笑いと、テレビの前の自分の温度差。
その「違和感」を言語化して消化するのに、2週間かかりました。
審査員の絶賛と、私の「邪念」
たくろうさんの1本目、審査員の点数は驚くほど高かった。
でも私は、見ている最中にこんな「邪念」がよぎっていました。
これって、ただの一問一答(大喜利)じゃない?
二人の掛け合いや関係性の変化が、あんまり見えない気がする
こういうシンプルな構成って、M-1では評価されにくいんじゃ……
そんなことを考えているうちに、ネタが終わってしまった。
「純粋に笑う」ことよりも、「漫才としての評価」を先に考えてしまう。
これは、M-1という「競技」が私たちにかけた呪いなのかもしれません。
「舞台の芝居」と「テレビの芝居」
大吉先生が、赤木さんの演技を「本当にその場で困っているように見えて上手い」と評していました。
プロがそう言うんだから、きっと上手いんでしょう。
でも、画面越しの私には、それが少し「大げさ」に見えてしまった。
ここに、ひとつの真理があると思うんです。
舞台の芝居: 後ろの席まで届くように、表情や動きを大きく作る必要がある
映像の芝居: カメラが寄るから、わずかな眉の動きで感情が伝わる
たくろうさんの赤木さんは、目の前の客席と審査員に向けて「舞台用の全力の芝居」をしていた。
でも、私たちはそれをテレビの「アップの映像」で見ていた。
その距離感のバグが、「準備してきた大喜利を一生懸命やっている感」に見えてしまった。
それが、私が1本目で笑えなかった最大の理由でした。
なぜ2本目は笑えたのか
不思議なことに、2本目のネタはめちゃくちゃ笑ったんです。
構成は1本目と同じ、赤木さんが翻弄されるスタイル。
でも、設定が「アメリカ映画の吹き替え」でした。
「吹き替え」という世界観そのものが、もともとオーバーな演技を正解とするもの。
だから、赤木さんのあの「大げさな困り顔」が、設定の中に完璧に溶け込んでいた。
違和感が消えた瞬間、邪念も消えて、ただただ「面白い」がやってきたんです。
M-1が残した、豊かで残酷なもの
考えてみると、M-1の罪深いところは、「漫才を純粋に楽しむ力」を奪って、「素人評論家」を大量生産してしまったことかもしれません。
構成がどうとか、演技がどうとか。昔みたいにヘラヘラ笑っていただけの自分には、もう戻れない。
でも、そうやって緻密に分析したくなるほど、 芸人さんが人生をかけて作る4分間が、尊くて、面白い。それもまた、一つの正解なんだと思います。
ただそれでも、「みんなが笑っているのに自分だけ笑えない」瞬間は、やっぱり少し寂しい。
あなたは、自分の「違和感」をどう扱いますか
「世間が面白いと言っているもの」を面白いと思えなかったとき、皆さんはどうしていますか。
自分の感覚がズレていると、口を閉ざしますか
「お前は何様だ」と言われても、自分の真実を語りますか
それとも、時間をかけて自分なりの答えを探しますか
私は、私の受け止め方を解釈したい。 たとえそれが、世間の正解とは違っていても。
よければ、あなたのM-1感想も聞かせてください。
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