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「(再)できれば、またいで通りたい。『魔王』(7月2日)」

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この時期は、お仕事として、学校の音楽鑑賞のお仕事が小さなピークを迎える。

何しろ文科省の「教育指導要項」によるものだから、どこの教育現場でも、近い時期に一斉にピアノ演奏(あるいは伴奏)の需要が高まる。

ピアニストも自営業であるから、忙しいのは歓迎なのだが、中学校の音楽科の教科書にある「シューベルトの『魔王』」の引き合いだけは、私はお仕事を受ける時に慎重にならざるを得ない。

それというのも、あの『魔王』という楽曲は、ピアニストの肉体と精神に対して、あまりにも容赦のない代償を要求してくるからである。

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実は昨年の今頃にも、スケジュール帳に並ぶその二文字を前に、全く同じような葛藤をこの場所に綴っていた。

季節が巡り、再びあの「三連符の嵐」と対峙する季節がやってきたのだと思うと、演奏家としての身が引き締まる。
自身の備忘録も兼ねて、当時の記事をここに少し再録し、振り返ってみたい。


(シューベルトの手書き譜(自筆譜)のマニュスクリプトは現在複数存在し、特に有名な第3稿の自筆譜(1815年作))

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あなたは「魔王」と言う歌曲をご存知ですか?
中学の音楽の教科書に、《鑑賞教材》として載っているので、ご存知の方も多いのでは?

物語は、嵐の中、医者のもとに、たどり着こうと馬を飛ばす父親の腕の中で、熱にうなされ、魔王の幻影におびえ、最後に息絶えてしまう幼い息子さんのお話。

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歌曲「魔王」を強く印象づけるのは、ピアノによる冒頭からのオクターブ音程を三連符で同音連打し続けるフレーズ。
この緊張感ある音型は、熱にうなされる息子を抱きつつ、馬を疾走させる父親の心理描写。

左手が奏でる低音から三連符が駆け上がり、すぐに3つの四分音符で下がるのは、吹き荒れる嵐を表してるかのようです。

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この物語を歌い語るテノール歌手は、語り部、魔王、父、息子の四役を歌い分けます。

特筆すべきは、魔王の表現。
最初は長調で優しげに。やがては、"有無を言わせぬ"と言わんばかりに強い調子の短調で。

物語が進むにつれ、段々と悪魔の本性をあらわにする様子を、シューベルトは描いているのです。

ここでのピアノは、歌に合いの手を入れるだけでなく、情景をしっかりと作り込まなければならない。
この曲を伴奏する時は、歌い手と、早い段階からしっかり打ち合わせをしておく必要を感じます。


▲ 見渡す限り三連符が続くピアノパート。手や腕に疲労物質(乳酸)が溜まります。
(楽譜:シューベルト『魔王』D.328 冒頭の序奏とテノールの歌い出し。国際楽譜ライブラリープロジェクト(IMSLP)より引用)


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ところで、私が冒頭で「シューベルトの『魔王』の引き合いだけは慎重にならざるを得ない」と書いた切実な理由は、
この辺のテクニックの問題ではなく、曲の最初から最後まで延々と続く三連符についてです。

他の楽器と同様、ピアノ演奏にも、適度な脱力が必要ですが、この曲で連続する三連符を叩き続けていると、体に力が入り、姿勢も前かがみに。

筋肉に乳酸が溜まって、演奏し終えた頃には疲労困憊してしまいます。

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また、前述したとおり、「魔王」は学校の音楽教材で使されているので、似たような時期に伴奏のお仕事が集中しがち。 

スケジュールが埋まるという意味ではありがたいのですが、先ほど言った三連符による疲労困憊があるため、ピアニストとしては……。

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音楽としては、とても素晴らしい作品なので、私は決して嫌いではない。
でも、あの“三連符の嵐"は辛い。

同音連打ではなくて、アルペジオか、せめて同じ音の連打を避けて、オクターブを交互に鳴らす音型に変えてもらえませんかね。


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——あれから一年が経ち、今年もまた学校の体育館や、様々なピアノの前に立つ日々が始まっている。
シューベルトが楽譜に刻んだあの容赦のない三連符を前に、私の指は今年も乳酸の洗礼を受けるのだろう。

効率よく稼げるビジネスとして割り切るには、この曲が要求する生身の代償はあまりにも大きい。

それでも、あの過酷な響きのなかに身を投じることでしか得られない、音楽家としての確かな手応えがそこにはある。

今日も良い、一日になりますように。
(🎹MIYABI

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