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「AIとネコ型配膳ロボットのお話。(7月15日)」

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あなたは、ここ《note》で文章やイラスト、あるいは音楽を創作して、投稿されていますよね。 

無から有を創造するのは、どの分野であっても、作者の魂を削り、時間と手間を栄養にして育てるようなものですから、本当に大変な作業です。  

ここ数年、シンプルでAI初心者にも使いやすいChatGPTや、検索エンジンでお馴染みのGoogle社のGeminiなど、それぞれに強みや特徴を持つAIが次々とリリースされています。  

それと歩幅を合わせるように「AIで創作サポート」といったコンテンツも目につくようになりました。 

中には、AIに丸投げして能率化を図ろうと謳う、いささか先走り感のあるものも見受けられ、少しその危うさを心配してしまうこともあります。  

「あなたはAIを創作活動に使っていますか?」


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AIの活躍は、なにも創作分野だけに留まりません。身近なところでは、ファミリーレストランのネコ型配膳ロボット「BellaBot(ベラボット)」くんが挙げられます。  

正面から見ると愛らしいネコ耳と豊かな表情モニターがあり、縦に長く伸びた胴体にはトレイが複数段備わっています。 

厨房でお料理を積まれ、お客さんのテーブル番号をタッチパネルで入力されると、客席へと健気に進み出します。  

あらかじめ登録された配置をもとに、目の前にお客さんが歩いてきたらその場で止まって道を譲り、他の配膳ロボットとも上手く協調して働いています。  

指定されたテーブルに着くと、「お待たせしました。お料理をお運びしました」ときちんと挨拶ができるお利口さんです。


その姿を見ていると、私は江戸時代の「茶運び人形」を連想します。  

あちらは歯車仕掛けのカラクリで、差し出された両腕に、お茶で満たされた茶碗を乗せるとその重さで動き出します。  

鯨のヒゲのゼンマイを動力に、調整された距離を進んでお客さんの前でピタリと止まり、茶碗を取ることで再び戻っていく仕組みです。  

配膳ロボットのベラボットくんはAIが動きを制御していますが、茶運び人形はすべて機械式です。  

きっと、茶運び人形が活躍した江戸時代には、現代以上に驚きをもって受け入れられたことでしょう。物言わぬモノにさえ魂を感じ、愛着を抱くのは、日本人が昔から持っている繊細な感性なのかもしれません。  

それが証拠に、ベラボットくんの頭部には喜怒哀楽を表現するデジタル画面だけでなく、触ると反応する「なでなでセンサー」まで搭載されており、耳や頭を撫でると嬉しそうにしてくれます。  

本来の配膳業務には含まれていないオプションですが、その愛くるしい様子は、猫好きにはたまらない魅力です。



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このベラボットくんは、医療現場でも診療室と受付の間でカルテを運ぶなど、徐々に活躍の場を広げているそうです。  

少子高齢化で労働人口の減少が危惧される中、とても頼もしく、明るいニュースではないでしょうか。  


どうやら「決められたお役目(ルート)」を果たす場所では、AIはすでに頼もしい相棒のようです。  

しかし、これが形のない「心」を扱う場所になると、少し話が変わってきます。


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話を、私たちの「創作活動」を助けてくれる生成AIに戻します。  

私も、Geminiを文章の誤字脱字や言い回しのチェックに使っています。先ほどのベラボットくんのように、決まったルートを真っ直ぐ進むのは得意なAIですが、創作という「地図のない森」を歩かせると、とたんに足元が怪しくなります。  

AIは「行間を察する」ことや「そこにあるものから連想する」ことが滅法弱く、時折とんでもない間違いを平気でアウトプットしてきます。  

さらに、段落をいくつも含む長めの文章を委ねてしまうと、必要のない装飾を紛れ込ませたり、わざと類語で変化をつけているところを同じ単語で丸め込んだりと、やりたい放題にされてしまいます。  

パーツ(部分)の確認なら実用的ですが、すべてを一度に委ねるのには、いささか危険なレベルです。



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文章のパーツすら手に余る現状で、創作を「丸投げ」してそのまま使おうとするのは、未来からやってきた全身青色で、お腹に秘密のポケットを備えたネコ型ロボットが来てくれるのを待つようなものかもしれません。  

あるいは、昭和レトロな100万馬力のロボット少年を待つようなものでしょうか。  

彼は心優しくお空も飛べますが、その巨大すぎるエネルギーは、まだ人間社会が安全にコントロールしきれるレベルには達していません。  

そんな、便利さと危うさが背中合わせの「未完のテクノロジー」が、私たちの部屋にやってくるのを夢見ている状態に、どこか似ている気がいたします。


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配膳ロボットが「店舗運営の中の決まり切った部分」を的確に担っているのに対し、創作活動でのAIの使い方ははるかに複雑で曖昧です。  

AIは今、人間の思考というさらに複雑な「推測」や「想像」、ときに「空気を読む」といった、人間同士であっても難易度の高い作業を文章の丸投げによって担わされているように感じます。  

「推測」や「想像」「空気を読む」という営みは、数式化することが極めて困難です。まさに「十人十色」であるはずのグラデーションを、「十把一絡げ」の精度でなんとかしようとしているところに、AIの苦戦の理由があるのではないでしょうか。  


創作においては、丸投げではなく、無から有を創造する「推測」や「想像」といった人間が有利な部分は私たちが引き取る。  

そして、手間はかかるけれど思考の分岐が少なく真っ直ぐに進められる「誤字脱字のチェック」や「類語・同音異義語の確認」といった単純作業をAIに手伝ってもらう。  

要は「適材適所」としての付き合い方が、一番心地よいのだと思います。  



どうしても丸投げしたいならば、その前に、どら焼きが好物というネコ型ロボットの複雑系を組み上げるか、軽いステップで歩き笑う感情を備えたロボットが誕生するくらいにテクノロジーが進展するのを待った方が良さそうです。  

あなたは、どう思いますか?  

今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)

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