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「9.11に寄せて。(9月12日)」

《Hikarunさんへの謝辞》
私の大親友で、クリエイターのHikarunさんが『アメリカ同時多発テロ事件』に触れられていたので、リスペクトして、私も想いを綴ります。

2001年(平成13年)の同時多発テロから、今年で24年。被害に遭われた方、ご遺族様に哀悼の意を表します。
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アメリカ同時多発テロ事件(September 11 attacks)とは、2001年9月11日にイスラム過激派テロ組織アルカーイダによって行われた🇺🇸U.S.に対する4つの協調的なテロ攻撃

中でも、アーカイブスが伝える、旅客機の衝突で炎上するワールドトレードセンターの姿と、叫び声に近い実況中継。
それらの映像は、そのまま受け入れるには心に重く、映画などで展開されるフィクションではないかと、私を錯覚に陥らせた。

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《争いの原因が変わりつつある》

私がこの事件から受けたショックは、崩れ落ちるワールドトレードセンタービルの映像はもちろんのこと、この事件を境に、紛争のあり様が変わってしまったと感じたことにある。

テロ行為、民主的な手続きを経ずに、チカラを使って現状変更を試みることは、強く非難されることであるけれど、9.11は、テロというやり方が、確かに大国に相対(あいたい)しても有効打になり得ることを奇しくも証明することになった。

それまでは、紛争という忌まわしい行為は、国家間で起こると思われていたのが、組織化されていれば少人数でも国家に対抗しうると、世界に知らせてしまったのである。

また、これを機に、歴史に綴られる過去の戦争や紛争の根が、食糧や資源などの安全保障から、イデオロギーへと移ったと感じた。

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残念ながら、人類の歴史とは『戦乱の記録』である。それは、歴史を振り返ると明白だ。

同時多発テロまでは、まだ紛争の原因が概(おおむ)ね、水や食糧、近代では石油などのエネルギー資源を巡っての物理的な陣取り合戦であって、それらは古代から飽きることなく繰り返されてきた。

テーマの中心にあるのは、生物が命を繋ぐための水や食べ物の奪い合いである。

それが、直接には生き物の命を繋ぐのに何の恩恵をもたらさないイデオロギー、集団のエゴへと、その原因が移りつつある。
これは、🇮🇱イスラエルと🇵🇸パレスチナ、そして🇷🇺ロシアと🇺🇦ウクライナ・NATO(北大西洋条約機構)の問題にも共通する。

喉の渇きや、空腹などから逃れるためではなく、《思想》や《信条》に、戦を始めるための理由を見つけてしまったのは、救い難い。

社会的な生き物と語られる人類が、地球で生きる他の生物、その生きるためにやむなく繰り返す弱肉強食という"命の輪廻"から、愚かしくも自ら離れてしまったと、私は感じ取ったのである。

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《日本は、大丈夫?》

翻(ひるが)って日本では、お米のお話。今年の新米が出回り始めた今もなお、マスコミがお米不足を昨年から引っ張り続けようとしているが、さてどうだろう。

また、ここに来て政治的リーダーの不在や、そこまでに至る派閥間の足の引っ張り合い。
少子化と高齢化、高度成長期に集中して構築された社会インフラの老朽化と補修のこと。

私が気になるのは、《水道設備》についてである。
これには予算や利権も絡んで、水源地の保全を含んだ水道事業を民営化するという動きが数年前から燻っている。
いつかの郵政民営化(2009年、平成21年)と重なるのは、私の思い過ごしだろうか。

(満腹だと腹は立たない説。)

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お水については、中世日本、江戸時代以前にも遡る、いわゆる《水争い》から続く稲作などの食糧問題に繋がりを感じるが、これらは食べなければ生きていけない生き物としての真っ当な争いであって、9.11に見られるイデオロギーが争いに中心にないことに、私はホッと胸を撫で下ろしている。

イデオロギーを掲げても、おなかはいっぱいにはならない。
ケンカは良くないが、思考や信条という目には見えず、立ち位置によって揺れる存在よりも、ごはんのためなら、その罪の重さも、幾分は軽くなるのではないか。

それに、空腹だから、怒りっぽくなるのである。満腹であれば多少の不愉快を前にしても鷹揚とした気持ちでいられる。
ケンカをやめて、みんなで目の前の(🌏地球という)大皿盛りのお料理を仲良く分け合おうではないか。

何か、私の《食いしん坊》が、バレてしまうオチで申し訳ない。

今日も、良い一日になりますように。

(🎹MIYABI)

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