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「"AI"を使えない者は、人にあらず?(8月5日)」

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最近、ネット界隈に限らず、ビジネスシーンを中心に、"ChatGPT"や"Gemini"などの《人工知能》の話題が多く交わされている。

言葉として使われる時には、人工知能よりも
短く縮められて"AI(エーアイ)"と呼ばれることのほうが圧倒的に多いが、お話の要点は、

《目新しい技術(Technology)を使いこなして、生産性を上げよう》ということ。

しかし、そこに、この"AI"のトレンドの高まりをビジネスのチャンスと捉え、

"熱しやすく冷めやすい"
私たち日本人の性質を上手に利用した
《猫も杓子も"AI"》へ流そうとする思惑が絡むと、途端に話が厄介なものになる。

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現に、ここ《note》においても、有料の記事やマガジン、あるいはメンバーシップ化してシッカリと稼ぐためには、
"ChatGPT"や"Gemini"を使おう! と言った論説を操るクリエイターも見受けられる。

ネットを見渡しても、これら"AI"を使いこなすためのセミナーや講習会の広告が目に付く。その勢いたるや、まさに《雨後の筍》の如くだ。

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私が気になるのは、やる気に逸(はや)った
一部の広告に刺激的なキャッチが見られる点である。

いわく、『"AI"を使えない者に未来はない』など、"AI"を間に置いて、使いこなせる側と、そうでない側とに、単純に二分する論法には、《選民意識》の香りすら感じるのだ。

その物言いの先には、私は平安時代末期の平家一門の驕り高ぶりを表す言葉として、かの《平家物語》のくだり、平時忠が発したとされる

『平家にあらずんば人にあらず』、
"平家でなければ、人として認められない"
と同じ香りを嗅ぎとってしまう。

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あなたも目にしたことがおありと思うが、
『"ChatGPT"を始めとする新しいやり方を取り入れないと時代に取り残される』、
『"AI"を使いこなすのは、社会人として当然のスキルであり、使いこなさない者は有能ではない』。

さらには、今、こうして書き連ねている文章さえも、自分の頭から捻り出すのとは比べものにならない品質と速さで、

『"AI"が(どこからともなく拾い上げて来る)いにしえの大文豪が綴る深く高尚な文章、おしゃれで著名なエッセイイストの気の利いたフレーズをアウトプットしてくれる』という。

事ここに至っては、
"ChatGPT"や"Gemini"などの《人工知能》が、森羅万象、人間の叡智の全てを網羅した《大賢者》と言わんばかりである。

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だが、冷静に物事の本質を見定めよう。
これらは、巧みなcommercialism(コマーシャリズム、売り込み)が、私たちに錯覚をもたらしているに過ぎないことを。

"AI"(Artificial Intelligence)、人工頭脳の『人工』という単語の表す通り、これら"AI"は、人の手で作り出された存在にすぎず、その正体は、人間が書いたプログラムコードに他ならない。

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"AI"の正体とは、私たちと同じ人間が作った
《使い手に寄り添った便利ツール》と理解できれば、今回の"ChatGPT"や"Gemini"など、生成AIとの賢い付き合い方が見えて来る。

そう!
あなたが普段の生活で使っている辞書や、ネットにあって、誰もが気軽に使えるWikipedia、あるいはGoogle翻訳などを
統合して、使いやすくしたカラクリ、道具、
応用編こそが、"ChatGPT"や"Gemini"ではないかと。

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《ゼロから創造物を生み出す知恵は、
  私たちの心にある。》

それは、古代からの賢人たちが、私たちに遺してくれた優れた芸術からも見てとれる。
人工の脳には、決して越えることが出来ない。

《知恵と創造の泉》は、私たちの心にある。

これさえ忘れなければ、小手先のつまらぬ"言葉ワザ"に、つまずくことはないのである。

もう一度、言っておく。
私たちと"AI"との関わり合いとは、

《目新しい技術(Technology)を使いこなして、生産性を上げよう》ということ。

私たちは、古代の知恵者たちの末裔である。

ゆめゆめ、従者であるべき道具に、人間が使われないよう、気をつけようではないか。

今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)


謝辞:
気づきを授けてくださった
《Hikarunさま/
「資料作成を自分でやってる私は、
  反省しなきゃいけないの?」》
に感謝します。

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